京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

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下京区大宮松原西入る中堂寺西寺町には、多くの寺院が集まっていますが、その中で地域以外の方にも比較的知られているのが、長円寺(長圓寺 ちょうえんじ)です。(寺院の来歴が記された駒札があるのもここだけです。)
長円寺は、京都の三十三の観音菩薩を祀っている「洛陽三十三所観音霊場」の第二十四番の札所ということもあって、巡礼で来られた方の受け入れ体制も整っているという印象です・・小さな観音堂で、心静かに端正な観音菩薩像と対面させていただけます。



さて、長円寺は、山号を延命山(えんめいざん)という浄土宗寺院です。江戸時代の慶長十三年(1608)、当時の京都所司代・板倉伊賀守勝重が、清巌和尚に請じて建立したのが始まりで、勝重の死後、その法諱(諱 ほうき)の「長円院(長圓院)」にちなんで寺名を「長円寺(長圓寺)」としたということです。ただ、観音堂はそれより早い時期にこの地に建立されていたという伝承があり、以下のような観音菩薩像の由来が伝わります・・・

平安時代の天禄三年(973)、一条天皇の時代に、京の都に疱瘡が流行しました。時の大納言・藤原親衡は、これを鎮めんとして、名僧として知られる恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)に一体の観音像を作らせました。そして、この像を宮中に安置して二十一日間の祈願法要を行ったところ、たちまち疱瘡は治まったということです。以来、疫病除けの霊験あらたかな観音様として今日まで祀られるようになったと伝わります。
その後、この観音像は比叡山に安置されますが、天正十五年(1587)、三河国(愛知県東部)の永安寺の住職であった清巌和尚が、応仁の乱後の京都の寺院の荒廃を嘆いて、観音像を比叡山から移して空き地となっていたこの地に小庵を建立し祀ったといわれます・・これが長円寺の観音堂の由来ということです。そして前記したように、京都所司代となった板倉勝重が、清巌和尚に帰依して土地を寄進して堂宇を整え、長円寺(長圓寺)を創建したということです。



ここで板倉勝重について少し書いてみます・・板倉勝重(いたくらかつしげ 1545〜1624)は、江戸時代の歴代京都所司代の中で最も良く知られた人物でしょう。

京都所司代は、江戸の徳川幕府の代理として、天皇家や公卿の動向を監督して京都市政を指揮し、また近畿八ヵ国の訴訟の処理や西国大名の監視なども務めました。
板倉勝重は所司代を務めること十八年、その跡を継いだ子の重宗は三十五年という長期の在職で、この二代の板倉氏の行政手腕が、江戸初期の京都市政を確立したといえます。江戸時代を通して京都所司代は短期のものを含め五十八代を数えますが、その多くがニ〜三年程度で交代していて、大阪の夏・冬の陣前後の豊臣家への監視や、禁中並公家諸法度の施行等の諸問題を処理した板倉勝重と子の重宗の業績に並ぶ京都所司代はいなかったといえます。

さて、板倉勝重は、天文十四年(1545)に三河国(愛知県)に板倉好重の子として誕生しました。
板倉氏は足利一族の出身で三河に定着し、戦国時代初期に三河の松平氏(後の徳川氏)仕えた家柄です。勝重は幼少時に出家しますが、永禄四年(1561)に父・好重が、そして跡を継いだ弟の定重も天正九年(1581)に戦死したことから、家康の命によって還俗して家督を継ぐことになります。
その後、天正十四年(1586)に駿府町奉行を務め、天正十八年(1590)の家康の関東転封後は、直轄領の代官や小田原奉行、江戸町奉行を兼務しました。そして、慶長六年(1601)京都町奉行を経て、京都所司代に就任しました。所司代屋敷は、二条城の北一帯に及ぶ広大な敷地があり、上屋敷や堀川屋敷、千本屋敷などから構成されていました。(本屋敷跡は上京区藁屋町の待賢小学校付近、下屋敷跡は上京区下堀川町のひまわり幼稚園付近に石標があります。)

その後、板倉勝重は、慶長十四年(1609)に山城・近江国に領地を加増され、すべて一万六千六百余石を領する大名となっています。また、元和元年(1615)の大坂の陣の原因となった方広寺鐘銘事件では強硬策を主張して重要な役割を果たし、禁中並公家諸法度の施行後はその指導と監視に当たりました。元和六年(1620)に、高齢を理由に子の重宗に京都所司代の職を譲って京都堀川で隠居し、寛永元年(1624)に七十九歳で死去しました。


さて、長円寺は、その後、天明八年(1788)の天明の大火で堂宇を焼失しますが、第十五世・瑞誉上人が再建し、華頂宮尊頂法親王から「長円寺(長圓寺)」の額を賜っています。
境内には、本堂・庫裡・客殿・観音堂等があり、本堂には本尊として慈覚大師円仁作と伝える阿弥陀三尊像を祀っています。そして、先程も書きましたが、本堂北の観音堂に安置する聖観音像は、恵心僧都作と伝えられ、「洛陽三十三所観音霊場」の第二十四番の札所として静かに巡礼者を迎え入れています。

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