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京福電鉄嵐山線の山ノ内駅から北へ百メートル、右京区山ノ内宮脇町にあるのが山王神社(さんのうじんじゃ)です。この神社も、前回の猿田彦神社と同じく京福電鉄嵐山線沿線の小さな観光スポットのひとつですが、境内は日本のクスノキの大樹をはじめ多くの木々で囲まれ、また「夫婦岩(めおといわ)」と呼ばれる巨石もあって、古代からこの地が自然信仰の霊地だったと感じさせます。
山王神社は、祭神として大山咋神(おおやまくいのかみ)、玉依姫神(たまよりひめのかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)を祀ります。
神社の創建は、平安時代後期の白河天皇の時代に、近江国坂本(滋賀県大津市坂本)の日吉大社から日吉山王大神をこの地に勧請したのが始まりといわれます。当時、この山之内(山ノ内)の地は、天台宗比叡山延暦寺の寺領で、天台座主・良真僧正が、西の京禅房として普賢寺という寺院を構えていたと伝えられ、この良真が普賢寺の守護神として山王大神を勧請したということです。
祭神の大山咋神と玉依姫神は夫婦神で、大己貴神は有名な大国主命(おおくにぬしのみこと)の別名で、酒造りや施薬治病の神、縁結び福の神等として広く信仰されています。また祭神として平安末期作の特色を持つ一木造男神像も祀られているということです。尚、現在の本殿は平成二年(1990)九月十九日の台風で本殿が倒壊した後、翌三年(1991)八月に修復再建したものということです。
境内には末社として、境内右奥に赤山神社と若宮神社、左奥に祖霊社とお福稲荷神社、また、鳥居を潜った右手には水琴窟(大地主神)があります。
泰山府君(たいざんふくん)=赤山明神を祭神とする赤山神社は、天台宗の慈覚大師円仁が中国唐に渡った時、山東省赤山にある山神、福寿の神・泰山府君に祈念し、その後無事に帰国した後、天台宗の守護神・方除けの神として比叡山の西麓に勧請したのを始まりとしています。(円仁の遺言により弟子の安慧が左京区修学院開根坊町にある赤山禅院を創建しました)この赤山神社は、平安時代に山王大神をこの地に勧請した際に、合わせて赤山明神を勧請したもので、元々現在地より南東約五百メートルの山之内赤山町の鎮守社として祀られていたものを、明治十一年(1936)に山王神社境内に遷座したものということです。
若宮神社は、湍津姫神(たぎつひめのかみ)と白山姫神(しらやまひめのかみ)を祭神としています。湍津姫神は、山王神社の祭神・大己貴神(おおなむちのかみ)の妃神として美の神として信仰され、また、白山姫神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冊尊(いざなみのみこと)二神の総称で、縁結びの祖神として信仰されています。元々現在地より南約三百メートルの山之内瀬戸畑町の鎮守社として祀られていたものを、明治十一年(1936)にこの神社境内に遷座したものということです。
祖霊社は、歴代の神主や氏子総代、神事係また区域発展に尽くした功労者の遺徳を偲んで功績を称えその霊を祀るために昭和四十七年(1972)九月に創建された社で、春分の日に慰霊祭が行われます。さらに、稲荷大神を祭神とするお福稲荷神社は、昔ある人が境内の大樹の根元に白い蓑笠が落ちているのを見て拾おうとした所、蓑笠ではなく蜷局(とぐろ)を巻いた白蛇だったことから、畏怖して祠を建てて招福を祈って祀ったと伝えられている社です。
境内右手にあるのが、非公開の水琴窟のある小さな庭園です。茶室「清々」を中心としたこの茶園は、「元文年間(1736〜41736〜40)申歳 山王大権現」と刻まれた銘石から、巨岩の運搬や優れた造園技術に近世豪族の影響があると考えられています。そして、山王神社では、平成十三年(2001)六月に、復元された水琴窟の「音」を、大地を司る神として知られる「大地主神(おおとこぬしのかみ)」として祀りました。尚、この庭園は大正八年(1919)に大楠を含む景観的配慮によって整備され、平成十四年(2002)に門を移築して新しい庭園として再整備されています。
神社の境内で最も人目を引くのは、「夫婦岩(めおといわ)」と呼ばれる、夫婦和合、安産、子授けの岩として古来信仰されてきたというしめ縄の飾られた二つの巨岩です。
「夫婦岩(めおといわ)」は、右が男岩(高さ約一・五メートル、幅約一・三メートル)、左が女岩(高さ約一メートル、幅約二・五メートル)とされ、女岩は中央部分が少し窪んでいて、昔からこの両岩を撫でて子授けを祈り、二つの岩の周囲を左から三回廻って安産を祈るという習慣があったといわれています。また、生まれた子供の初宮詣の時には、神酒、洗米、梅干を供えた後、梅干の皮で鼻をつまんで、長生きや出世を祈り、種は女岩中央の窪みに納めて神酒を注ぎ、子孫繁栄を祈る習慣が今も伝えられているということです。また、この巨岩は、平安時代の天台座主の良真がこの地を訪れた際、良真の後を追って比叡山から飛んできたという伝承もあり、比叡山延暦寺とこの神社のつながりを示す伝説とも考えられています。
また、境内西側には、鎌倉時代に親鸞上人が、諸国布教の際にこの地に立ち寄って、この岩の上に座ったといわれる「足跡石・座石」が安置されています。最後に、鳥居付近の水琴窟のある庭の南、境内北西には、樹齢七百年と伝えられる御神木のクスノキが数本あり、神社にちなんで「山王楠」と呼ばれて神社のシンボル的な存在です。
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