京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

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下京区松原通新町下る藪下町にある小さな神社が、松原道祖神社(まつばらどうそじんじゃ)です。
この神社は、天明の大火(1788)や元治元年(1864)七月の禁門の変の火災によって焼失し、その際、所蔵する古文書類も焼失したために、創建時期や由緒も不明となってしまったようですが、平安時代の説話集「宇治拾遺物語」や「今昔物語」にも登場していて、この話題性から観光サイトなどでも採り上げられることもあるようです。


松原道祖神社(まつばらどうそじんじゃ)は、平安時代以前の創建とも伝えられ、平安京の五条大路(現松原通)に祀られたことから、「五条の道祖神」と呼ばれ、また「首途の社」とも呼ばれてきたということです。

祭神は、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)、天鈿女命(あめのうずめのみこと)です。前にJR京都駅近くの「道祖神社」について書いた文章の転載になりますが・・
猿田彦神は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、葦原中国(あしはらなかつくに=日本国土)を治めるために高天原から日向国・高千穂峰に降った・・いわゆる天孫降臨の時に、その道案内をしたことから、道の神・旅人の神とされます。また、天鈿女命(あめのうずめのみこと)は、天照大神が天岩戸に隠れて世界が暗闇になった際、岩戸の前で踊りを披露して天照大神を誘い出したことから、踊り=芸能の女神とされました。この二神は、天孫降臨の際に出会って結ばれたことから、通常、夫婦神として一緒に祀られています。また、猿田彦神は、村の境界や道の辻などに祀られる、元々中国伝来の「道祖神(どうそしん)」と同一視されるようになり、子孫繁栄や交通安全の神として信仰されるようになりました。

松原道祖神社も五条大路の道の神として、また、塞(さい 厄災を塞さぐ)の神として崇め祀られて来たと伝えられ、現在では、道の神から転じて交通安全や、塞の神から厄除開運の神として、また夫婦円満、家内安全、商売繁盛等の様々なご利益があると信仰されています。また戦前は付近の民家内に祀られていたそうですが、戦後間もなく、地元住民の熱意等により現在地に祀られたということです。




ここで、松原道祖神社が「五条の道祖神」として登場する「今昔物語集」巻二十、「五条の斎」として登場する「宇治拾遺物語」巻一の内容について書いてみます。

まず、「今昔物語集」第二十の三、「天狗、仏と現じて木末に坐せる語」です。(尚、「宇治拾遺物語」巻二の十四「かきの木に仏現ずる事」は、場所は五条天神になっていますが同様の話です。)

「昔、醍醐天皇の時代に、五条の道祖神が鎮座している傍に実のならない大きな柿の木がありました。ある時、突然、この木の梢に仏様が出現したことがあったということです。この仏様は淡い光を放って様々の花を降らすなど不思議な出来事をおこしました。この奇跡に、たいへん尊いことだと貴族から庶民に至るまで都中の人々が、仏様に参詣するために牛車や徒歩で集まって大騒ぎとなり、その後六、七日が経過しました。

ここに、右大臣源光(みなもとのひかる)という人がいました。深草の天皇(仁明天皇)の皇子で、たいへん賢く才能ある人物で、この仏が出現したことに疑いを持ちました。「本物の仏が、急に木の梢に現れる事などあるはずが無い。これは天狗などの仕業であろう。そうであるなら彼らの術は七日間が限度だ。今日にでも、私自らが行って正体を見てやろう。」と思って、正装で牛車に乗って出かけました。そして、集まっていた人々に道を空けさせて、牛車を降ろさせ簾を上げて見れば、確かに木の梢に仏がいて、金色の光を放ち、様々の花をまるで雨のように降らして素晴らしく尊い様子です。

しかし源光は、たいへん怪く思って、二時間もの間、この仏をじっと見つめ続けました。仏はしばらくは光を放って花を降らしていましたが、源光が見つめ続けるうちに、たちまち大きなトビ(とんび 屎鵄)が翼を折れた姿となって、木の上から地面に落ちてきました。周りの人々はこれを見て奇怪な事だと驚き騒ぎます。そして子供たちが寄ってきて、このトビを叩き殺してしまいました。光は、「やっぱりそうであろう。本物の仏がどうして木の梢に出現するのだ。皆このことを考えずに、有り難がって騒ぐとは馬鹿げたことだ。」といって屋敷に帰りました。現場で見ていた人はもちろん、これを伝え聞いた世間の人も、右大臣様は本当に賢い人だと感心して誉めたということです」
・・・・もっとも、仏様が木の上に出現するのは怪しいと思っても、天狗ならやりかねないというあたりは、現代人から見ると可笑しく思われますが・・。

尚、このエピソードからは、源光(みなもとのひかる)という人物、当時としては合理的な考え方のできる意思の強い人物のように感じられます。この源光は、藤原時平と共に菅原道真を失脚させた張本人の一人で、失脚させた道真の後釜として右大臣に就いたのですが、その後、狩猟中に泥沼に転落して溺死するという悲惨な死に方をして、当時の人に道真の怨霊に呪い殺されたといわれることになります。




次に、「宇治拾遺物語」巻一の一「道命阿闍利、和泉式部の許で読経し、五条の道祖神が聴聞した事」です。

「昔、大納言・藤原道綱の子で道命阿闍利(どうみょう 974〜1020)という色事の好きな僧がいました。読経がたいへん上手く、和泉式部といい仲になって、毎夜式部のもとへ通っていましたが、その日も、式部の家で夜目醒めて、読経をして八巻を読み終える頃には、夜明け近くになっていました。

ふと、傍に人の気配がします・・・道命が「誰だ」と問いかけると、相手は「私は、五条西洞院の辺りに住む老爺でございます」と答えます。そこで、「一体、何用なのか。」と尋ねれば、「今日、聞かせていただいたお経は、生涯忘れないでしょう。」と言います。
道命が「法華経を読むのはいつものことなのに、なぜ、そのような事を言われるのか。」と聞くと、翁、すなわち「五条の斎」は、「身を清めてから、お経を上げられる時は、梵天様や帝釈天様などが来られて聴聞されるので、私などはとうてい近寄って聴聞することはできません。今宵は、身を清めるための行水もされなかったので、梵天様や帝釈天様もお聞きに来られなかったので、私のようなものが近くまで来られたわけで、忘れがたい思い出となりました。」といったということです。・・・」
お経を唱える時は、常に身を清くして唱えるべきであるという教訓話です。
ここに登場する翁=「五条の斎」は、梵天や帝釈天などよりかなり格の低い神様として描かれていますが、この神が五条の道祖神だといわれています。

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