京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

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2009年02月

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京都市東山区本町(十六丁目)、東福寺の西を南北に抜ける本町通の半ばに、宮内庁管轄の「東山本町陵墓参考地」があります。「陵墓参考地」となると皇室史跡の中でもかなりマニアックな分野で、一般観光客が足を止めることはまず無い史跡ではありますが・・
(尚、このブログは、京都の寺社仏閣を中心とする史跡ガイドで、天皇陵や皇室史跡を専門的に採り上げている訳では無いので、複雑多岐に渡る「陵墓参考地」の成り立ち等は研究書を参照していただきたいと思います。記述に当たっては、この分野では必読の「事典陵墓参考地(外池昇著 吉川弘文館)」を参照します。)

天皇陵やその関連史跡、まして「陵墓参考地」などには興味が無い人のために、「陵墓参考地」をごく簡単に定義してみると・・・
「陵墓参考地」とは、「埋葬者が特定出来ず、祭祀の対象にもならないものの、宮内庁によって陵墓の可能性があるとされている土地を意味し、そのため、開発等による破壊から守る必要があるとして国が土地を買い上げて管理し、陵墓に準ずるものとして立ち入りが禁止されている」といった所でしょうか。

明治以降現在まで、指定の解除や陵墓へ移行した例も有るなど時代によって変動が有りますが、現在、京都市内には、「沓塚陵墓参考地(伏見区深草田谷町)」、「大亀谷陵墓参考地(伏見区深草大亀谷古御香町)前に少しブログに登場」、「浄菩提院塚陵墓参考地(伏見区竹田小屋ノ内町)」、「後宮塚陵墓参考地(伏見区竹田小屋ノ内町)」「中宮塚陵墓参考地(伏見区竹田田中宮町)」、「天王塚陵墓参考地(左京区岡崎入江町)」、「御室陵墓参考地(右京区御室大内)」、「円山陵墓参考地(右京区嵯峨大覚寺門前登り町)」、「入道塚陵墓参考地(右京区嵯峨大沢柳井手町)」、そして今回の「東山本町陵墓参考地(京都市東山区本町)」が指定されています。



さて、現在の東山本町陵墓参考地は、大正十三年(1924)に陵墓参考地に指定されました。指定の理由は、この地が第八十五代・仲恭天皇(ちゅうきょうてんのう)の陵墓の可能性があると考えられたからです。
仲恭天皇(ちゅうきょうてんのう)は、第八十四代・順徳天皇の第一皇子で、承久三年(1221)に僅か二歳で即位しました。幼児の即位の背景として、順徳天皇が父の後鳥羽上皇と共に「承久の乱」の準備に専念する必要があったからとされます。しかし、「承久の乱」は後鳥羽・順徳の敗北という結果となり、仲恭天皇も在位三ヶ月に満たずして廃位されました。このように、仲恭帝は歴代天皇中で在位期間が最短という影の薄い天皇で、明治三年(1870)に天皇として認められ「仲恭天皇」と追号されるまでは、「九条廃帝」と呼ばれていました。退位後の九条廃帝(仲恭天皇)は、母の実家・九條家で過ごし、天福二年(1234)九条殿で十七歳で崩御したとされます。


さて、「九条廃帝」こと仲恭天皇の陵墓については、歴史資料も乏しかったために、明治二十二年(1889)に現在の京都市伏見区伏見区深草本寺山町に「仲恭天皇九條陵「(ちゅうきょうてんのうくじょうのみささぎ 以前にブログに採り上げています)が定められものの、天皇が崩御した九条殿跡地からその埋葬地を推定したに過ぎず、遺骸も無い決定根拠に乏しいものでした。そのため、大正・昭和と陵墓研究が進むと、宮内庁も九條陵の西北に位置する東山本町のこの地が、真陵である可能性がより高いと考えるようになり、一旦決定されてしまった九條陵との整合性はともかく、この地を陵墓参考地と定めてその保存を図ったようです。

この地が天皇ゆかりの地という伝承は古くからあったようで、江戸時代の「陵墓一隅抄」は、この伏見街道(本町通)の東山本町の地には、廃帝社と呼ばれる一祠があり、その名前の通り九条廃帝(仲恭天皇)陵とされ、また同じ「廃帝」の淡路廃帝(淳仁天皇)と混同されることもあったと記しています。
また、「事典陵墓参考地」に引用されている大正末期に著された「山陵(上野竹次郎編)」によると、かつて、この地には民家の中に土塚があって、塚上には二つの小さな祠があり塚本社、廃帝社と呼ばれていたということです。祠の一つは、淳仁天皇と崇道天皇(早良親王)、もう一社には神功皇后、井上内親王、他戸親王が祀られ、明治十年(1877年)に祠は廃されましたが、この土塚を九条廃帝(仲恭天皇)陵に当てはめるという説は根強かったようです。ただ上野は、根拠は廃帝社という名前によるのみで、それ以上の有力な根拠が有る訳では無いと記しています。
(尚、前にブログに採り上げた東山区五条橋東にある若宮八幡宮は、相殿に仲恭天皇を祀りますが、これは明治十年(1877年)塚本社が廃された際に、当時の宮内省によって仲恭天皇の神霊が奉遷されたものということです。)
現在の仲恭天皇九條陵が極めて信憑性に乏しい陵墓である以上、この東山本町陵墓参考地が、仲恭天皇の真陵である可能性は残されていると言えるのかもしれません。

尚、墳形は楕円丘、面積は四畝八歩 (約四百二十三平方メートル)ということです(昭和二十四年十月「陵墓参考地一覧」)

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