京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

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京都市上京区の寺町通沿いには、これまでにブログに掲載してきたように、山中鹿之介の墓のある本満寺、織田信長の墓で知られる阿弥陀寺、足利義教の首塚や曲直瀬道三、施薬院全宗の墓のある十念寺、「額縁門」や金森宗和の墓で知られる天寧寺、西園寺家ゆかりの西園寺、京都六地蔵の一つ「鞍馬口地蔵」や吉田松陰四天王の一人、入江九一等の長州藩士首塚のある上善寺といった歴史的にも興味深い寺院が建ち並んでいます。
今回の光明寺(こうみょうじ)は、これらの寺院群の中でもかなり地味な存在で、ブログに掲載するか迷ったのですが、「括弧抱き止めの弥陀」として、京都の通称寺院の会が発行している「通称寺巡拝の栞(旧版)」にも出ているので、少し書いてみます。



京都市上京区寺町通今出川上ル五丁目にある浄土宗寺院、光明寺(こうみょうじ)は、本尊の阿弥陀如来像が 鎌倉時代の宇都宮頼綱(うつのみやよりつな 蓮生)ゆかりの「括弧抱き止めの弥陀」で知られています。
江戸時代の天明七年(1787)刊行の「拾遺都名所図会」によると、宇津宮入道蓮生が夢中に抱き止めたというこの本尊「抱止如来」は、高さ約九十センチ(三尺)で、弥陀寺慈覚の作と記され、西山の三鈷寺同じ像があると記しています。「括弧抱き止めの弥陀」のエピソードは古くから有名だったようで、江戸時代初期にこの地に祀られて以来、無常息災、病気嫌いの仏様として今も信仰を集めているということです。


尚、宇都宮頼綱(うつのみやよりつな)は、元々、鎌倉幕府の有力御家人でしたが、元久ニ年(1205)に北条氏に謀反の嫌疑を受けて出家し、実信房蓮生と号しました。蓮生は歌人としても優れ、京都の小倉山麓の二尊院の側に山荘を構えて、藤原定家と親交を深めます。そして、蓮生が定家に、山荘の障子に貼るための色紙の執筆を依頼したことをきっかけに、「小倉百人一首」が生まれることになりました。


さて、寺伝によると、仁治二年(1241)、宇都宮頼綱が出家して実信房蓮生と号した年(史実とは合わないようですが)のある夜、蓮生は長野の善光寺から飛んで来たという阿弥陀如来像が、空中に浮かんでいるという夢を見ました。目を覚ましました蓮生が、念仏を唱えながら自身の袈裟で包み込んで抱き留めるようにして得た阿弥陀如来像が現在の本尊と伝えられます。
その後、この阿弥陀如来像は、高野山の光明院へ移されますが、室町時代末期の天文五年(1536)に、性誉宗鎮和尚が現在地に光明寺を建立した際、本尊として当地に祀ったと伝えられます。また、光明寺は、創建当初は広い寺域を有したということですが、天正十五年(1587)の兵火に遭って焼失し、現在のような小さな寺院となったということです。

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