京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

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京都市西京区の大枝という地域は、中国地方から丹波を経て京都に繋がる旧山陰道(国道9号線)沿いにあり、自動車の往来の多い9号線沿いには飲食店を中心とする数多い商業施設が立ち並んでいます。
有名な神社仏閣を中心とした京都観光ガイドでは、京都市内への通過点的な扱いで、ほとんど登場しない地域ですが、幾つかの興味深い史跡も点在しています。
今回はこの大枝地域から兒子神社(ちごじんじゃ)を採り上げます。


兒子神社は小さな神社ですが、参道は真っ直ぐに伸び、境内は背後のなだらかな山に溶け込んで広がっています。また、周辺には多くの花木や楓が植えられていて、季節ごとの花を楽しめます。この地区の神社の中では開放感がある親しみやすい印象の神社です。


さて、京都市西京区大枝塚原町、旧山陰道(国道9号線)の北側の山沿いにある兒子神社(ちごじんじゃ)は、境内の案内板によると、祭神は兒子大國御魂神で、聖徳太子の幼時の像が祀られているところから、兒子神社と呼ばれているということです。
創建時期等は不明ですが、寛文十一年(1671)の「境内七反五畝十歩、境内に四末社あり」との古記録があることから、少なくとも江戸時代前期に遡ると考えられています。その後、明治六年(1873)に村社となっています。

また、平安時代の延喜式の「乙訓郡十九座(大五座・小十四座)」の一つ、「乙訓郡茨田神社」に比定する説があり、大枝の古名の「宇波多(うわた)」と「茨田(うわた)」が同音であることを根拠としていますが、実際は不明です。また、西にある大枝神社(大枝沓掛町)の由緒書によると、元々は大枝神社も聖徳太子の幼児像を祀っていたとされ、両社が深い関係にあったことが伺えます。

境内には、稲荷神社、猿田彦神社、聖社、水神社・山神社が点在し、区民の誇りの木に選ばれているクスノキ、ツブラジイの大木もあります。また、五月中旬には例祭(子供神輿神幸祭)が行われます。

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阪急電鉄の桂駅西口から直線で約五百メートル、市街地の住宅に囲まれた小さな寺院があります・・これが、洛西観音霊場第二十五番札所の阿弥陀寺です。(京都市西京区桂千代原町)
民家のような建物にびっしりと小さな観音菩薩像が貼り付けられたたいへんユニークなお寺です。


阿弥陀寺は、山号を吉祥山(きっしょうざん)という浄土宗西山深草派の寺院で、本尊として阿弥陀如来像を祀ります。寺伝によると、創建は室町時代で、現在、新京極にある浄土宗西山深草派総本山・誓願寺の第三十九代法・空覚照恵上人が、隠居寺として創建したのが始まりとされます。その後、尼寺となり明治時代に衰退しますが、昭和三十六年(1961)に、先代の赤壁住職が入山して復興しました。

観音巡礼の観音様は、通称、「千代原観音」と呼ばれる、千手千眼観世音菩薩立像です。胎内には化仏の頭部等が納められており、これらは恵心僧都作と伝えられます。また、元々は西山の法華山寺に祀られていたと伝えられます。
(尚、法華山寺は、洛西の歴史を語る上では重要な寺院で、通称「峰ヶ堂」と呼ばれ、室町時代の全盛期には「東の清水寺、西の法華山寺」と言われたほどの大寺院でしたが、丹波方面から京都を伺う勢力が往来する唐櫃越の山上に位置していたため、応仁の乱以降、何度も戦乱に巻き込まれて衰退、廃寺となりました。)

その後、この観音は、観音寺(阿弥陀寺の東、約百五十メートルにある現在の桂小学校付近)に移されましたが、記録によると、観音寺では、正月の十八日に修正会が催され、かつては通過儀礼的な役割もあった西国巡礼の若者達が観音講を行うなど、千代原地域でも観音信仰が盛んだったようです。そして、その後、観音寺が廃寺となったために、この観音菩薩像は、当山に奉られるようになったということです。


さて、この千手観音菩薩立像(千代原観音)は、雷除け、悪病除けのご利益があるとされ、堂内には、右に本尊阿弥陀如来像、左に千手観音菩薩立像(千代原観音)が祀られています。また、御詠歌の額は弘化二年(1845)に奉納されたものということです。
また、先代住職は、千手観音菩薩立像(千代原観音)の脇仏の日光、月光菩薩をはじめ二千体余りの観音像を刻んで、境内のところ狭しと安置しました。中には身丈四メートルの車など現代の道具を手に持つ千手観音像もあり、他にも子授け観世音大菩薩、水子供養地蔵尊等々が祀られています。

尚、前回に採り上げた洛西観音霊場第二十二番札所の常楽寺の納経も受け付けています。

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阪急電鉄の桂駅西口の直ぐ傍にある、赤い鳥居の目立つ大宮社(おおみやしゃ)は、京都の西部を代表する有名な松尾大社に関係する神社で、松尾七社(大宮社、月読社、櫟谷社、宗像社、三宮社、衣手社、四之社)の一つとされています。
木々に囲まれた静かな境内を進むと本殿があり、その左手に社務所があります。社務所を区切った左側には、「常楽寺」という寺名と御詠歌、札所を示す木札が掲げられています。この知らない人は絶対に気付かないような場所が、洛西三十三ヵ所観音巡礼の第二十二番札所の常楽寺(じょうらくじ)です。(西京区川島北裏町)


千手院常楽寺は、現在は無住で、古資料が失われているため来歴も不明な寺院ですが、堂内には観音霊場の観音である十一面千手観世音像を中心に、右に釈迦像と薬師如来像、左に地蔵菩薩像が安置されています。十一面千手観世音像は安産や厄除けにご利益あるとされ、古くからこの川島の地域で信仰を集めてきたようです。

元々、京都の洛西では阿弥陀や観音信仰が盛んで、各地で観音講が組まれて、多くの人々が西国三十三ヵ所観音巡礼を行ってきましたが、兵庫、和歌山から舞鶴(京都府)、岐阜まで広がる巡礼は費用も掛かることから、より身近な巡礼地として「西の岡(洛西)三十三ヵ所観音巡礼」が生まれたようです。しかし、その後、明治の廃仏毀釈の影響で衰退してしまいました。
ようやく、昭和五十八年(1973)に古記録を基にしてかつての観音霊場を復活させた「洛西三十三ヵ所」が復活すると、今回の川島地区でもこれを機会に観音講が復活し、常楽寺では講の参加者が交代で札所に詰めて巡拝者に対応していたということです。
現在は無住のため、納経は次回に採り上げる阿弥陀寺(洛西観音霊場第二十五番札所)で受け付けています。

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