京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

滋賀県のお勧め名所

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京都〜半日程度で行ける滋賀県のお勧め史跡です。
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善水寺(湖南三山)

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常楽寺に続いて、最後は善水寺です。
善水寺は、多数の仏像の名品を所蔵することでも知られ、前から一度行きたかったお寺です。



善水寺も、和銅年間(708〜715)に、元明天皇の勅令により、鎮護国家の道場として創建された和銅寺というお寺でした。その後、桓武天皇が病気になった際、伝教大師最澄上人が、和銅寺に涌く霊水で天皇の病気を治したことから、善水寺の寺号を賜ったと伝わります。
南北朝時代の延文五年(1360)に本堂は消失しますが、貞治五年(1366)に延海上人により再建されます。元亀二年(1571)、織田信長は比叡山焼き討ちの際、滋賀全域の天台系のお寺も攻撃しましたが、(湖東三山も全て焼かれました)善水寺も、延暦寺焼討ちの3日後に焼き討ちを受けて、本堂、仁王門、塔、六所権現社を残し全山焼亡してしまいます。
その後、徐々に復興し、天和ニ年(1682)に東叡山寛永寺の末寺となり現在に至ります。





さて、国宝の本堂は、南北朝時代の、貞治五年(1366)の建造で、入母屋造桧皮葺の桁行七間・梁間五間の堂々とした建物です。屋根の曲線が非常に美しく印象的です。この本堂内には、秘仏の藤原時代の本尊薬師如来をはじめ三十余体の仏像を安置しています。
その他、観音堂、元三大師堂、行者堂が境内に配置され、また不動の大岩、磨崖佛・雷鳴岩、百伝池、十二坊といった面白い史跡も点在しています。





善水寺は、滋賀県屈指の仏像の宝庫と呼ばれ、明治時代に所蔵30余体中、14体が国宝に指定されました。しかし、戦後の新法により審査方法が厳しくなり、全て重要文化財に格下げされました。
(現在15体が重文指定)
秘仏で見られませんが、この中で一番は、やはり本尊薬師如来だと思います。数年前に、東京・京都で開催された「最澄と天台の国宝展」にお目見えしています。その他、梵天・帝釈天像、僧形文殊菩薩像、兜跋毘沙門天立像、不動明王坐像、持国天・増長天立像、立金剛二力士立像、四天王立像、金銅釈迦誕生仏立像といった重文の仏像が立ち並んでいます。
どれもさすがに良い仏像なのですが、東寺の講堂の立体曼荼羅と比較してしまうと、やはりワンランク下という感じで、残念ながら心に迫るほどのものはありませんでした。こと仏像に関しては、渡岸寺(向源寺)の十一面観音立像など全国で十数点程を除くと、やはり奈良・京都の国宝仏に匹敵するオーラを感じさせる仏像はそうは多くないという所でしょうか・・と勝手に言ってるだけです^^;






善水寺も石段の続く参道があるのですが、巡廻バスの駐車場が境内のすぐ横に出来ていて、参道を通らずいきなり境内に入りました。そのためか少し物足りない感じが残りました。お寺の境内まで続く参道の雰囲気が楽しみなので、すぐ本堂では感動が半分という感じです。
本堂は迫力があり、目的の仏像群も良かったのですが、お寺全体の印象としては、まずまずといった感じでしょうか。「湖南三山」は寺宝的には、「湖東三山」に匹敵するお寺ばかりです。ただ境内は少しスケールが小さいというところでしょうか。また紅葉は少なく観光地としてはこれからの整備が待たれます。

常楽寺(湖南三山)

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湖南三山の続きです。
長寿寺に続いて常楽寺です。常楽寺は、通称「西寺(にしでら)」と呼ばれています。


常楽寺の創建も詳細不明ですが、和銅年間(708〜715)に、元明天皇の勅令により、鎮護国家や鬼門除けのために良弁僧正が建立した勅願寺と伝えられています。
延暦年間(782〜805)に法相宗から天台宗に改宗したと伝わり、平安後期に比叡山の末寺と定められたと考えられています。当時、この地の阿星山(あせいざん)の麓には多くの寺院が建ち並び「阿星山五千坊」と呼ばれたのですが、その多くはその後衰退していきます。常楽寺も一時火災で焼失しますが、室町時代の延文五年(1360)に観慶上人によって再建されたということです。





さて、常楽寺を歩いてみます。
まず、時代劇などで見かけるような低い山門があります。実は昔は堂々とした山門があったのですが、豊臣秀吉が伏見城築城の際に伏見に移築してしまったのでした。さらに、毛利輝元により伏見城から園城寺(三井寺)の大門として移築されたそうです。(前回に長寿寺の時に書きましたが、織田信長も長寿寺にあった三重塔を安土城の総見寺に移したりしていますね。)
現在の山門はそれ以降に建てられたものです。でも雰囲気は良いと思います。

山門を入って紅葉の残る道を歩くと、正面に本堂、奥には三重塔が見えてきます。共に国宝指定の貴重な建物です。本堂は南北朝時代、三重塔も室町時代の建造です。
この本堂は、たいへん巨大な建物で、七間六間の入母屋造ということです。
これまで行った「湖東三山」の西明寺と金剛輪寺、「湖南三山」の長寿寺、常楽寺、善水寺と、全て本堂が国宝指定されているのですが、滋賀県の国宝建築は堂々として迫力があります。特に常楽寺の本堂は圧倒されるスケールで、三重塔も存在感があり、この点で、常楽寺は、長寿寺よりも勝っているように思いました。




このように、滋賀県のお寺は、仏像より建物に魅力を感じることが多いのですが、実際、滋賀県は全国で3番目に国宝建築が多い地域で、合計22件を数えます。(最高は奈良64件、ついで京都48件。)
因みに、国宝全体では、京都255件、東京234件(特に工芸品が多く90点)、奈良207件(仏像数70は全国最高)を数え、国宝全体の65%がこの3県に集中しています。
さらに大阪60件、滋賀55件、和歌山36件を加えると、国宝79%が6県に集中していることになります・・・すみません話がズレました。m(__)m





さて、本堂の中には、中央に本尊の千手観音坐像(秘仏・南北朝時代)、両側には二十八部衆立像(鎌倉期時代)、風神・雷神像(鎌倉時代)が祀られていて、全て重要文化財に指定されています。
しかし、二十八部衆と風神・雷神ということは30体のはずなのに、全部で28体しかありません。
実は、風神と魔喉羅迦王は盗難に遭って現在まで行方がわかりません。このような重要文化財クラスの盗難品は、古美術マーケットでの売買は不可能ですから、海外に流出しているか、怪しげな人物の秘蔵コレクションになっているかもしれません。

その他の見所として、常楽寺は近江西国観音霊場第一番にもなっていて、本堂や三重塔の裏山には「近江西国観音石仏」といって、三十三の札所を模した石仏が周囲に安置されています。他に重文の石造燈籠等の寺宝が有るようです。また、行事としては長寿寺と同じく、1月中旬には祭事の「鬼ばしり」が行われます。





常楽寺は、本堂や三重塔が美しく、長寿寺よりは観光名所らしく感じます。ただ「湖東三山」と比較すると、参道が短く境内もやや狭く、やや物足りない感じもあります。(といっても京都の小さな寺院クラスよりも、お勧め度は上だと思います。)

長寿寺(湖南三山)

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滋賀県湖南市にある長寿寺は、通称「東寺(ひがしでら)」と呼ばれています。


長寿寺の創建年代は不詳ですが、寺伝によれば、奈良時代、聖武天皇の天平年間(729〜749)に良弁僧正が建立した勅願寺ということです。
当時、聖武天皇は、滋賀の紫香楽宮(しがらきのみや)に遷都していたのですが、世継ぎがなかったので、良弁を呼んで祈らせたところ、間もなく皇女が誕生します。そこで喜んだ天皇は、紫香楽宮の鬼門に当るこの地に寺院を建立し、皇女誕生に因む子安地蔵尊を行基に刻ませて本尊とし、皇女の長寿を願って長寿寺という寺名としたということです。
この頃もうひとつの常楽寺も創建され、いつしか位置関係からそれぞれ東寺(ひがしでら)、西寺(にしでら)と呼ばれたようです。

その後、平安時代にかけて、この地の阿星山(あせいざん)の麓には多くの寺が建ち並び、「阿星山五千坊」と呼ばれるほどの天台仏教圏を形成するようになりましたが、現在、多くが衰退し、長寿寺と常楽寺のみが当時の栄華を留めています。
その後、長寿寺は、源氏、足利氏の祈願所となっていますが、織田信長により境内の三重塔が安土城へ持ち去られ、楼門は蓮台寺(栗東市)に移築されて、現在に至ります。






かつては、三重塔がある立派な伽藍配置だった長寿寺ですが、現在は本堂と弁天堂を除けば、たいへん簡素な雰囲気です。
国宝の本堂は、鎌倉初期に再建されたもので、正面側面共に五間の寄棟造で、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根が特徴です。天台系寺院の伽藍としては珍しい建築様式で、藤原時代の古式を留めているということです。特に大屋根があまり見慣れない雰囲気で面白く感じました。

本堂内は、ご住職の奥さんが案内する事になっているようですが、この奥さん、素晴らしくお話上手で、大爆笑の連続で観光客にも大人気のようです。
この本堂内には秘仏の本尊・子安地蔵尊が祀られ、両脇には、釈迦如来坐像と阿弥陀如来坐像(共に藤原時代・重文)が安置されています。秘仏は50年に一度のご開帳で、次回は平成二十数年になるということです。仏様にお願いして、皆さんそれまで長生きしなあかんよ・・奥さんが笑います。

他に収蔵庫には、約3メートルの藤原時代の丈六阿弥陀如来坐像が祀られています。
こちらはご住職が案内担当のようです。この大仏様、戦後アメリカ軍にトラックに載せられて没収されたのですが、その後付近の住民200人がバタバタ倒れて、アメリカ軍も驚いて返却したという前代未聞の仏様だと、ご住職は奥様と対照的に静かに話しておられました。
境内には、他に室町末期に建てられた弁天堂があり、高さ1mの弁財天坐像が祀られています。






さて、長寿寺は、簡素な表門から長い参道が続きます。イチョウの葉を踏みしめて歩く田舎道のような感じの参道は素朴で良いです。本堂周辺はそれ程広くなくて、まずまずといった印象。
「湖東三山」に比べると、一段スケールが小さいというところでしょうか。1月中旬には「鬼はしり」という面白そうな行事もあり、秘仏も見たいと思いました。

その他の印象として、長寿寺前で市営巡廻バスから降りると、自治体職員の方達が各所に配置されていて、明るく挨拶して迎えてくれます。地域ぐるみでの町おこしという雰囲気がいっぱいです。最初、拝観者は数人程度だったのですが、そこに大型観光バスが数十人の観光客が連れてきました。「湖南三山」観光、結構人気なのかな?というのが第一印象でした。

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このブログでは、京都から簡単に行けるお勧めスポットも、時々取り上げていきたいと思っています。
(あくまで、京都起点ということで、カテゴリーは京都にしてみました。)


最近、滋賀県の新たな観光名所として「湖南三山」が一部で話題です。
2004年秋、市町村合併により湖南市が誕生したこともあって、湖南市内の長寿寺、常楽寺、善水寺という3ヶ寺をアピールし、観光化しようという計画のようです。
昨年秋から本格的に取り組んでいて、今のところ、毎年秋に3ヶ寺を巡廻するバス路線が設けられています。お寺によっては、普段は事前申し込みが必要だったり、仏像拝観が出来ない場合もあるのですが、この期間は自由に拝観できるようになっています。
ただ、これらのお寺は、桜の名所でもあるので、春の拝観が無いのは残念・・今後に期待したいです。




京都からのアクセスは比較的楽です。
JRを利用すれば、JR西日本の琵琶湖線で草津まで新快速で約20分程度。そこから草津線に乗り換え、石部まで約10分。石部駅前(または甲西駅)には自治体が準備したバスが待ってくれています。(特別拝観期間〜11月28日終了しました)



JR東海系の、関東向けのパンフレットでは「湖東三山&湖南三山」と大きく取り扱っているようです。(東京からの観光客の方から見せていただきました。)果たして「湖東三山」に匹敵するのか?その辺りも含めて、京都のお寺と平行して3回にわたって取り上げてみます。


(写真は、長寿寺で見つけた可愛いお地蔵さん)

百済寺(湖東三山)

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湖東三山のラストは、百済寺(ひゃくさいじ)です。



西明寺は平安初期、金剛輪寺は奈良時代の創建でしたが、百済寺はより古く、推古十四年(606)、聖徳太子の創建という滋賀県の最古刹です。
寺伝によれば、聖徳太子が、朝鮮半島から日本に渡来した百済人のために創建し、ご本尊も聖徳太子の自作の観音菩薩ということです。堂宇は、百済国にある龍雲寺を模して建てられ、開闢(かいびゃく)の際は、高句麗の僧、恵慈をはじめ百済の僧が任命されました。




その後、平安初期に天台宗が開創されると、百済寺もやがて天台寺院として「湖東の小叡山」と言われる壮大な寺院となり、室町時代までは、現在の4倍近い寺域の大寺として栄えますが、戦国時代になり戦乱の影響で一部堂宇を焼失し、ついに天正元年(1573)六角氏を援助したための報復として、織田信長の焼き討ちを受け、全山ことごとく焼き尽くされてしまいました。
(この時、ご本尊他数点の仏像や経典は僧たちにより奥の院に運ばれて、今日まで残存することになります。)




百済寺の焼き討ち直後の宣教師ルイス・フロイスの書簡に「(百済寺)と称する大学には・・僧坊1千が立ち並びまさに地上の楽園で・・・」と記されていて、当時の栄華がわかります。信長は、百済寺の焼け跡から多数の石垣等を運び出し安土城の城壁に利用したのでした。





さて、信長の死後、天正十二年(1584)に信長・秀吉時代の武将として知られる堀秀政が、仮本堂を建てたのを端緒に、江戸初期の慶長七年(1602)に徳川家に寺領を与えられるなどして徐々に復興の兆しが高まり、ついに寛永十四年(1637)に本堂他の伽藍の再建許可を得ることに成功。この時に建造されたのが現在の本堂、仁王門、山門等ということです。
湖東三山(西明寺、金剛輪寺、百済寺)は、天台宗総本山の比叡山延暦寺とまった同じように、織田信長の焼き討ちで衰退し、徳川家の庇護により復興されたことになりますね。





さて、百済寺も他の湖東三山のお寺同様に、赤門という小さな表門から長い石段が続きます。
石段の横には、「足腰の弱い方のため」として、土道もありますが、それ程厳しいものでは無いと感じました。
例えば、京都の神護寺、豊国廟、善峯寺、奈良の室生寺の奥の院等に比べると、石段の間隔が広く、傾斜角度が緩やかでそれ程大したことはありません。
参道を登ると、2メートル以上の巨大な草鞋のある仁王門が迎えてくれます。ここから本堂まではすぐです。(尚このお寺には塔が無く、かっての五重塔の跡が残っています。)





本堂は江戸期のもので重文指定され、本尊他数点の仏像が収められています。
本尊の十一面観音菩薩立像は、住職1代に一度の公開で55年振りの開帳ですが、別名「植木観音」と呼ばれています。
別名の由来は、聖徳太子が深い山で、猿の群れが集まって、枯れた杉の大木にお供えしているのを見て、立ち木のままご本尊を刻んだという伝説によるようですが、
ご住職の説明によれば、聖徳太子が高句麗の恵慈の案内で、この地に来た時、杉の木の上部分が百済の龍雲寺の本尊のために百済に運ばれたと知って、木の下半分に十一面観音を刻んだことから名付けられたのでは・・百済からこの地に来た渡来人が農耕技術などを新しい技術を、日本に移植したということが、「植木」という名に込められているのではないかということでした。
(調査では平安時代の作と考えられています。)





本尊が飛鳥〜平安時代の作なら国宝指定される可能性が極めて高いはずですが、国宝にも、重文にも指定されていません。
ご住職の解説によると、織田信長の焼き討ちに遭った際、僧たちは、観音菩薩を救出しようとするも、光背を合わせると4m以上の像のため、重くて持ち出せず・・菩薩本体を台座部分から切断して数人で担いで逃げました。こうして、観音像は、一度切断されて光背等と共に江戸期に修復されたため国宝や重文指定を受けることは出来なかったようです。
55年ぶりに開帳された観音像は、金彩色の本体3m20cmの大きなお姿で、長い手を持ち、丸いお顔が印象的でした。また極彩色の聖徳太子孝養像も合わせて特別開扉されていました。






さて、このお寺の最大のアピールポイントは、別名「天下遠望の名園」といわれる本坊・喜見院の庭園です。
本坊の喜見院は江戸時代に焼失し、現在の建物は昭和十五年に移築改築されたもので、その際庭園も拡大移築されました。現在の庭園は、広大な池泉回遊式&鑑賞式の庭園で、さらに山上からの眺めも楽しめる大パノラマ庭園になっています。
山上からは、眼下の湖東平野を一望し、遥かに湖西の「御山(比叡山)」の姿も遠望できるということです。少し写真を掲載しましたが、どうでしょうか?
個人的には、それ程驚くほどには・・という印象でした。
ただ、ここから遥か西方880キロ真西には、渡来人の母国、百済国の都があったそうで、聖徳太子や日本に渡った百済の人々が百済の都への想いから、この地を選んだのではというご住職の話には歴史ロマンを感じます。





百済寺は、境内には四季を通じて花々が咲き、特に紅葉時期は石垣参道が赤く染まると人気があります。特に注目したい本堂の横の幹の周囲5m、推定樹齢千年という「千年菩提樹」の写真を掲載します。
お寺の説明によると、百済寺は正式には「釈迦山百済寺」といって、お釈迦様の名前を山号にいただいた唯一のお寺だそうで、この菩提樹は、山号に因んで「仏陀の聖樹」として旧本堂の前庭にあったのですが、信長の焼き討ちで幹まで焼損したそうです。
しかし根までは死なず、幹の周囲からまた蘇り今日まで枝を伸ばしているそうです。
生命の偉大さ、永遠不滅のお釈迦様の教えを象徴している存在で、これもお寺のシンボルのひとつです。
(写真8、幹の真ん中にある表示が、信長に焼かれた当時の直径80cmを示しています。)





ご住職の熱心なお話を聞いたこともあって、長い解説になりましたが、
百済寺は、歴史のあるお寺らしく、聖徳太子が百済人のために創ったという創建時代から、「地上の楽園(ルイス・フロイス)」と呼ばれる栄光時代、信長の焼き討ちにより全山壊滅、さらに、焼き打ちから蘇った菩提樹・・・様々な歴史の変遷がお寺の所々から感じられます。参道の周辺には百坊跡、二百坊跡、七百坊跡など僧堂の名残も残っていて、時間があればもう少し山の中を歩きたかった気がします。





百済寺は、山上のパノラマ庭園から景色を眺めたり出来るように、湖東三山の中では最も明るい印象で、一般観光向きな感じがしました。三山の中では最も寛いだ気持ちになれるお寺といえるでしょう。山寺ですが、京都の善峯寺や神護寺とかよりも開放的な感じです。
私の好みでは、甲乙付け難い湖東三山ですが、どれももちろん一見に値します。

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