京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

銀閣寺・哲学の道・南禅寺他

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時代祭その2

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前回からの続きです。
写真が今ひとつですが、主な登場人物をピックアップします。



いよいよ、鎧姿の武将が続々登場してきます。
織田信長の上洛・・「織田公上洛列」です。
織田信長の入京の功労者、立入宗継を先頭に、信長以下、丹羽長秀、滝川一益、柴田勝家、羽柴秀吉らが登場します。(写真は織田信長)




続いて、南北朝時代の「楠公上洛列」です。
甲冑姿の楠木正成・正季兄弟らが登場。楠木正成が、明治以降戦前まで、国家公認の最高のヒーローだったことを窺わせます。(写真は楠木正成)




次ぎは、「中世婦人列」です。
京都洛北の大原女装束の女性を先頭に、淀君が登場。
淀君は、新聞記事によると、今年は19歳の花街・祇園東の舞妓さんのようで、大河「功名が辻」の淀君を参考にキツメのメイクだそうです。写真は横向きですが^^;
その後は、京都桂の巫女といわれる桂女(かつらめ)装束の女性達、藤原為家の室(阿仏尼)、静御前が続きます。(写真は淀君、静御前)




次の鎌倉時代は「城南流鏑馬列」で、後鳥羽天皇が行った流鏑馬行事の射手が登場し、
藤原時代は、「藤原公卿参朝列」で藤原氏最盛期の文武両様の姿を現したもののようです。




そして、「平安時代婦人列」です。
この平安絵巻のようなパレードで一番華やかで人気がある行列かと思います。
登場するのは、巴御前、横笛、常盤御前、紫式部、清少納言、紀貫之の女(紀内侍)、小野小町、和気広虫、百済王明信(女性です)
(写真は、巴御前、清少納言、小野小町、百済王明信です)




この後は、少し地味な印象のためか見物客は確実に減ってきます。
平安初期の延暦時代からは、坂上田村麻呂を先頭に武官と文官の行列「延暦武官行進列」と「暦文官参朝列」(写真は坂上田村麻呂です)



いよいよ行列も最後が見えてきます。時代祭の神饌物を奉献する「神饌講社列」と、御神幸列の「前列」と「神幸列」。「白川女献花列」は、京都・北白川の風俗、白川女(しらかわめ)が登場します。最後は、京都丹波の弓矢の名手らの「弓箭組列」です。


大体以上のような順番で登場してきます。





さて、時代祭は、子供の頃から数回は見ているのですが、数年前に平安神宮の特別席で見た時は、行列がゴール間際のお疲れ状態で、沿道の知人に手を振ったり、話し掛けたりする人もいて、少しダレた印象が気になりました。「葵祭」や「祇園祭」だったらこんな風に観客と話したりしないだろうと思ったのです。(時代祭は、京都市民のオープンな祭なのでラフな気分が持ち味なのかもしれませんが。)




そういうわけで、今年は、京都御苑のスタート時点の最前線で鑑賞しました。
まだ緊張感がありシャキットした姿を見たいと思ったからです。
特に、初めて桓武天皇と孝明天皇の鳳輦が見られたのは良かったです。行進の10分程前、この鳳輦の前で、鼓笛隊を先頭にした「維新勤王隊列」が音楽奉納するのも初めて知りました。(前回に写真で紹介しました。)こういうことはあまりガイドブック等には書かれていないですから・・今回、一番印象的だったのは、この辺りでしょうか。



とにかく秋の京都の代名詞になっている祭りです。
(迫力やしみじみした感動は無いので、私のお気に入りの祭では無いですが。)
歴史や時代衣装に興味のある方は、一度はご覧になって良いと思います。


次回は、マイナーな行事ですが・・夜に密かに行われる元服式です。こっちはお勧め。

時代祭その1

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昨日の10月22日、京都で時代祭が行われました。

「時代祭」は「葵祭」や「祇園祭」と並んで京都三大祭のひとつと言われていますが、賀茂社の「葵祭」や祇園社の「祇園祭」のような千年以上の古い歴史がある祭とは、違う特徴があります。



明治28年(1895)に平安遷都1100年を記念して始まったこの祭は、京都市民が生んだ市民祭でした。今では全国各地で市民の祭・パレードが開催されていますが、時代祭はその先駆けだったのです。



明治初期、東京奠都(てんと)後の京都は荒れて沈んだ雰囲気の中にありました。その後、京都御苑周辺の復興計画が進められ、京都市民も自分達の町としての新しい京都の近代都市化に協力していきます。
明治28年(1895)に、平安京時代の神殿を縮小した平安神宮が造られ、平安京創始の第50代桓武天皇(後、昭和15年に平安京最後の第121代孝明天皇も合祀)が祀られました。
合わせて、京都に関係した歴史上の人物が当時の衣装で登場する「時代祭」が行われることになったのです。
京都こそ日本伝統文化の中心地であるとして、明治の京都市民が自分達の誇りを取り戻すために必要とした祭だったのかもしれません。





現在まで、この祭は平安神宮の創建時につくられた市民組織「平安講社」が管理運営しています。市内旧学区ごとに編成する「組」を単位とした構成でしたが、その後、組織が広がって、戦後には、京都花街や女性会による「婦人列」、青年会議所による「幕末志士列」などが加わり、全長2キロの大行列になっています。




当初は小規模だった祭りは、徐々に拡大し、今年で102回目になります。
まず、午前に平安神宮で神幸祭があり、桓武天皇と孝明天皇の御霊代を2基の鳳輦(ほうれん)にお遷し、午前9時に行列を整えて神幸列が平安神宮を出発し、午前10時頃、行在所の京都御所建礼門前に到着します。(写真1は、御所に到着した鳳輦(ほうれん)です)
行進の10分程前、鳳輦の前で、鼓笛隊を先頭にした「維新勤王隊列」が音楽奉納します。
(写真2)
祭りの行列は正午に御所を出発し平安神宮へと進みます。





一応ざっと行列の流れを書いてみると、

先頭は、鼓笛隊を先頭にした「維新勤王隊列」です。明治維新の際、京都府北桑田郡山国で生まれた勤皇部隊の山国隊を模しています。(写真)


続いて、「幕末志士列」。桂小五郎、西郷吉之助、坂本龍馬、中岡慎太郎、高杉晋作、梅田雲浜、橋本左内、吉田松陰・・七卿落ち(三條実美、三條西季知、東久世通禧、壬生基修、四条隆詞、錦小路頼徳、澤宣嘉と護衛の真木和泉と久坂玄瑞)さらに吉村寅太郎、頼三樹三郎、姉小路公知、中山忠能、平野国臣・・と続きます。



「徳川城使上洛列」は、徳川幕府の皇室への挨拶行列で、先頭を行く槍(やり)持、傘持、鋏箱(はさみばこ)らが、「ヒーサー」の掛け声で動きを止めたり、突進したりと単調な行列の中で、珍しく動きがあり、一際盛り上がるところです。(写真)



「江戸時代婦人列」は華やかな女性風俗で知られます。和宮、太田垣蓮月、中村内蔵助の妻、池玉瀾、梶、吉野太夫、出雲阿国が登場してきます。カメラのシャッター音が一段と高まってきます。
(写真は和宮)



続いて安土桃山時代に入ると、まず、豊臣秀頼初参内と元服時参内を模した「豊公参朝列」・・・ここでは大きな牛車が注目を集めます。(写真)



次回に、引き続いて、その後の行列内容と画像を続けたいと思います。

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椿、梅、桃、桜、つつじ、牡丹、菖蒲、紫陽花、蓮、睡蓮、百日紅、芙蓉、桔梗、コスモス等・・・。
季節ごとの花が咲くおかげで、観光客が訪ねてくるお寺や神社は多いですね。


例えば、桜の花が無い平野神社(京都市北区)とか、紅葉の頃以外の興聖寺(宇治市)とかは残念ながらあまり魅力は感じられません。
しかし、桜や紅葉の季節は本当に素晴らしい名所になるんですね。




今回取り上げた、迎称寺(こうしょうじ)というお寺は、京都に住んでいる人も知らないようなマイナーなお寺です。
ただ、花の寺に詳しい方は、萩で有名なお寺だ・・或いは、萩の咲く土塀だと、ご存知だと思います。



京都市左京区の真如堂の近くにある、古色蒼然とした土塀のあるお寺というと、何となく覚えている人もいるかもしれません。
迎称寺(こうしょうじ)は、時宗の寺院で、創建時は一条堀川にあったそうで、その後移転を繰り返して現在に至るそうです。墓地には、江戸中期の優れた本草学者の稲生若水(1655−1715)の墓があります。


ここの萩は、境内でなく、土塀に沿って植えられているため、真如堂を訪問したついでに萩を楽しむといった感じになります。東側は崩れかけた土塀が残っていて侘びしい印象です。写真は整備された南門側ですが、こちらも何となく寂しげです。
私も崩れかけた土塀は知っていましたが、お寺の名前までは知りませんでした。


もう少し萩で知られる身近なお寺を訪問してみます。

大文字山その3

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さて、大文字山からの京都市街の眺めです。


これを見ると、疲れが吹っ飛ぶことは確実です。
なんとなく、上洛した織田信長が、洛中洛外図屏風を楽しんでいた気分がわかるような・・・
自分が京都市街を手中にしているような感じ。



京都の景色を楽しめる場所は色々有りますが、私はまずここを第一にお勧めします。
角度的に見える範囲も広くて、遠くは、西山から北山連峰まで、南は京都タワーを遥かに越え、淀、長岡方面まで見渡せます。
また、それほど高くない山のため、車の動きなども確認でき、家々もくっきり、はっきり見えて、
石を投げれば届くような感じで見えるといえば、判り易いでしょうか?
(掲載した写真より実際に見るとかなり大きく感じられると思います。)


今回の写真画像は、夕方だったため、やや逆光の西日で色がとんでしまって薄く残念なのですが、
それでも、京都タワー、平安神宮、蹴上の都ホテル、京都御所、黒谷、吉田山、京大グラウンド、下鴨神社、植物園、賀茂川、上賀茂神社〜松ヶ崎の「妙」と「法」等が確認できます。



実際には、最後の画像並みか、もう少し大きい感じで見えると思います。
午前中のの大文字山の後からの光なら、もっと遠くまで見渡せると思うので、また再チャレンジしたいですね。
この眺望を楽しむために、ここに登ってくる価値は十分ありますよ。

大文字山その2

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続きです。

さて、「千人塚」を過ぎれば、もうすぐ・・・最後の頑張りです。(初めての方で、この辺りで挫折した方もあると聞きましたが、実はもう8割近く来ています。)
最後は、急な石段が第1陣、第2陣と合計100段程続きますが、ここを登りきれば、ようやく火床です。



「大文字」の大の字の真ん中部分の広場に到着です。
ここには、中心に「弘法大師堂」があり、周辺には送り火の火床が点在しています。
(写真)


送り火の当日は、この場所に多くの人が集まり、午後7時から弘法大師堂で灯明が灯され、浄土院(大文字寺)住職と大文字保存会員なや参詣者等によって般若心経が唱えられます。
その後、午後8時から弘法大師堂の灯明から松明に火を移して、大文字の中心で、大きく火が燃え上がる場所(金尾=かなわ)の部分の親火にまず点火された後、合図で他の火床に一斉に点火されていきます。尚、金輪の燃えた後の薪は魔除けになるとして持ち帰られます。(写真、大文字中心の金尾の火床)



火床の数は合計75ヶ所あります。(火床は、中心に1、上に9、右手に10、左手8、左足20、右足27ヶ所です。)
他は、火床と火床の間隔は約3.5m、「大」の字の横棒の長さは約80m、左側の足が約160m、右側の足が約120mという大きい字形になります。(写真、足部分の火床を上から撮影)


ここまで登ってきたのは、なんといっても、その眺めの素晴らしさを楽しむためです。
次回はここからの眺めをアップします。

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