京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

銀閣寺・哲学の道・南禅寺他

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左京区銀閣寺町、銀閣寺の門前の左にあるのが、八神社です。
(以前に少しだけ書きましたが、もう少しまとめてみます)小さな神社ですが、銀閣寺のついでに寄られる方も少しはおられるようです。



創建は、大同年間(806〜10)とも延喜年間(901〜23)とも伝えられ、江戸時代の喜永六年(1853)に、周辺になる浄土寺村が全焼した火事のため、神社の古記録が焼失し詳細は不明ということです。ただ、室町時代に吉田神社の祠官・吉田兼右が著した「諸社根元記」の中にある「山城国愛宕郡如意峰神祇斎場所」がこの神社だと考えられています。
この「諸社根元記」には、「延喜五年(905)宣下、於山城国愛宕郡如意峰神祇斎場所、 奉安鎮三千一百三十二座之神体・・・鎮魂八神殿、亦在神祇官、神祇官者古在平安城宮内省、則今二条所司庁之西也。自茲移東山如意嶽、後土御門院天皇文明十六年移吉田神楽岡」とあるようで、如意嶽(大文字山)の八神を祀る神祇斎場所とは、現在の八神社を指すようです。
尚、八神社という名称は、古代律令制での神祇官の八神殿で祀られた八神を祀ることから呼ばれたもので、延喜式によると「神産日神・高御産日神・玉積産日神・生産日神・足産日神・大宮売神・御食津神・事代主神」になります。

その後は、隣の浄土寺や銀閣寺の鎮守社として、またこの地域一帯の産土神(氏神)として広く崇敬を集めているようです。他に末社に稲荷社等を祀っています。

石段を登ると、深い森に囲まれて昼でもほの暗い中、本殿・拝殿があります。観光客で活気のある銀閣寺のすぐ隣ですが、この神社境内は静かで、地元の方らしき人が二の鳥居の横に座って休憩されているのを良く見かけます。観光客を避けた地元の方も憩いのスポットという感じでしょうか。

梅のある風景(東北院)

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前にブログで採り上げました、左京区浄土寺にある東北院では、「軒端の梅(のきばのうめ)」が咲き始めています。


一応、東北院について簡単に確認してみます・・
東北院は、桓武天皇が、平安遷都の際、御所の表鬼門に弁才天を祀ったのが始まりという古寺で、その後、藤原道長が創建した法成寺境内に、道長の娘、上東門院彰子(一条天皇中宮)が、一院を建立し弁才天を移しました。この院内の小堂には彰子に仕える和泉式部が居住し、庭の梅を眺めていたという伝説があり、これが謡曲「東北」として後世に伝わります。

「東北」のストーリーです。
旅の僧が東北院を訪れて、梅の花を観ていると、花の精が現れて、和泉式部が植えた「軒端の梅(のきばのうめ)」の謂れを語り花の中に消え去ります。それを聞いた僧が、和泉式部のために法華経を唱えていると、式部の霊が美しい姿で現れて、昔話を語り舞いながら消えていきます。僧は思わず目覚めるという物語です。

東北院が現在の地に移ったのは、元禄六年(1693)で、本堂前の和泉式部ゆかりの「軒端の梅(のきばのうめ)」は、謡曲「東北」に因んで後に植えられたものです。
東北院は、知らないと素通りしてしまうような小さなお寺ですが、梅は小さなお寺に相応しく優しげで美しく、訪れるならこの季節が一番です。

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続いて3日、吉田神社の「火炉祭」は、午後11時からということです。
この日は昼間に盧山寺で行事(ブログの記事はいましばらくお待ちください。)を見たために、節分はかなり堪能した気分になっていましたが、年に1度なのでやはり吉田神社に最チャレンジ。



さて、吉田神社の本宮境内の三ノ鳥居前には、直径5m高さ5mの巨大な八角柱型の火炉が作られています。中は節分祭中に参拝者が持参した古いお札がぎっしり積み上げられていました。(写真)。この古いお札に浄火を点じて焼上げるということで、火が天に昇ると、春(立春)が訪れると言われています。


さて、午後10時半にはかなりの人数が境内を埋め尽くし、いよいよ11時の点火で天にも届くような勢いで炎が燃え上がり、大きな歓声が上がりました。「立ち止まらずに左へ移動してください。」とずっと警備員が言い続けますが、中々人の動きはありません。点火後からでも、どんどん参拝者が石段を登って来て、休憩所の裏を通って本宮の方へ誘導されています。吉田神社の境内は、それ程広くないので、皆が立ち止まってしまうとすし詰め状態になり確かに危険です。その後30分程度で火が弱まってくると、ようやく帰る人が増えてきました。今年は週末のためか、12時を過ぎてもまだまだ参拝者が来るようでした。
尚、吉田神社では4日午前9時から後日祭、午後1時から福豆抽選会があるそうです。


次回は盧山寺の節分祭です。

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2月2、3日の夜、吉田神社に行って来ました。
京都で節分と言えば、まずは吉田神社ということになっています。(2番目は壬生寺でしょうか)幼い頃、夜店というものを初めて知ったのも吉田神社の節分だったはず・・抽せん券付福豆等というので賞品が当たったこともあったようです。今回は、しばらく京都を離れていたこともあって久しぶりになります。




吉田神社については何度か書きましたが、ここの節分祭は室町時代以来の伝統ある行事として、物凄い数の参拝者が来られます。正月の初詣の人出はそれほどでもありませんでしたが、節分だけは特別ですね。


まず、2月2日の午前8時から本宮・斎場所大元宮で前日祭、8時半から斎場所大元宮で疫神祭(えきじんさい)が行われます。この神事は見たことが無いですが、大元宮前に「厄塚」を設けて、神酒洗米を撒いて1年間の無病息災を祈るようです。
大元宮正面に立つ厄塚(上部のみ写真1)は、参拝者の厄を除くという節分信仰の中心となるもので、厄神を塚に封じ込め、社殿と繋がった注連縄により周りの八百万の神との感応を得て一年の無病息災を祈るもののようです・・ということで、この厄塚に触れながらお参りしましょう。斎場所大元宮に厄除祈願に来られる方はたいへん多いようで、私も夜に寄ってみましたが、いつも静かな大本宮も人で溢れていました。

午後6時からは、本宮の舞殿周辺で「古式追儺(ついな)式」が行われます。
こちらは一番有名な鬼追い神事で、「鬼やらい」とも言われます。平安朝の初期より毎年宮中で行われていたものを、古式に則って伝承・継承してきているようで、この様式を現在まで伝える数少ない神事の一つと言うことです。「方相氏(ほうそうし)」と呼ばれる、黄金四つ目の仮面を被って矛と盾を持った鬼追い役が、「侲士(しんし)」と呼ばれる子供たちを従えて、赤、青、黄色の3匹の鬼を追って舞殿の回りを巡って、最後に殿上人が、桃の弓と葦の矢を放って疫鬼を追い払うということになります。私は人の多さを甘く見ていました・・昨年の紅葉や秋の祭見物の頃のパワーが欠けていた様で、お参りしてウロウロしていると、あっという間に人垣が出来て遠過ぎて写真はほとんど撮れませんでした(T_T)(写真の一番最後1枚のみです。)

少し失望したので、夜店を見ながら初日は終了・・・ランダムに写真を掲載します^^;
翌日は、午後11時からの「火炉祭(かろさい)」へ行きました・・・続く。

大豊神社

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左京区鹿ケ谷宮ノ前町、「哲学の道」沿いにある大豊神社は、小さな神社ですが、中々面白い話題のあることで知られる神社です。
細い参道を進むと、背後の山が迫って木々に覆われた少し暗い雰囲気の境内があります。本殿の主祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)で、八幡神(応神天皇)、天神(菅原道真)を併祀しています。また境内には幾つかの末社があります。


元々は、背後の山、椿ケ峰を御神体とした山の中腹にある神社でしたが、平安時代の仁和三年(887)、宇多天皇の病気回復祈願のため、尚侍藤原淑子(藤原長良の娘、関白藤原基経の異母妹)が勅命を奉じて、医薬や治療の神、少彦名命を椿ケ峰に奉祀したのが大豊神社の創建と伝わります。
創建当初は椿ケ峰山中にあったことから椿ケ峰山天神、次いで大宝大明神と呼ばれたようです。当時、鹿ケ谷には、藤原淑子が夫の菩提を弔うために建立した円成寺がありましたが(この円成寺が、現在の奈良の観光寺院、忍辱山・円成寺となったという説があります)、寛仁年間(1017〜21)に、山の神社は、円成寺の鎮守神として、山から下りて現在の地に移され、大豊大明神の神号を賜わったようです。こうして大豊神社という名称になったわけですが、当時は広大な面積を持ち大いに栄えたようです。

しかし、南北朝の騒乱や、応仁の乱以降、豪華な社殿も焼失して、以降全く衰退してしまいます。
江戸時代の文政三年(1820)にも焼失し、この時には貴重な古記類も失われたそうです。後に天神(菅原道真)、八幡神(応仁天皇)を合祀したのは、衰退する神社を存続させるためにメジャーで強力な神様を祀ったようです。こうして、現在は本殿、拝殿、末社のみの小さな神社になっていますが、地域の産土神として信仰を集め、観光地としても注目されてきています。



さて、大豊神社は、末社に駒鼠(駒ネズミ)、駒猿、駒鳶(トビ)、キツネの像が置かれていることでも知られます。特に一番有名なのは大黒社の駒鼠(駒ネズミ)です。
大黒社は大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀っていますが、ネズミとの関係は以下の「古事記」に出ていくる物語に基づいています。

旅の途中で、大国主命(おおくにぬしのみこと)は、須勢理比売命(すせりひめのみこと)に見初められます。娘を心配する父、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、大国主命を試そうと、蛇で埋め尽くされている部屋、次にはムカデ&蜂がいっぱいの部屋で寝る事を命じます。
大国主命がこの試練を乗り越えると、素戔嗚尊は今度は広い野原に矢を放ち、矢を拾ってこいと命じます。 大国主命が矢を探して野原に分け入ると、さらに素戔嗚尊は野原に火を放ちます。炎に囲まれた大国主命の危機を救ったのが、ネズミでした。一匹のネズミが火を避け隠れる穴を教え、また別のネズミが探していた矢を拾ってきてくれたのです。(さらに試練は続きますが、最後には素戔嗚尊は大国主命と娘との結婚を許すことになります。)そういう訳で、大黒社に駒ネズミが置かれているわけです。



他にも、稲荷社にキツネがいるのは御馴染みですが、日吉社には鬼門除けの狛猿、愛宕社は火難除けの狛鳶(トビ)がそれぞれ社を鎮っています。観光スポットとしての大豊神社の人気を支えているのが可愛いこれらの動物達のようです。
また境内には、直ぐ背後の椿ケ峰の御神水が涌き、椿やしだれ紅梅、様々な野草が咲きます。全体にひっそりとした小さな神社ですが、この素朴な雰囲気に惹かれる方もいるようです。


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