京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

上賀茂神社・下鴨神社・賀茂川他

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以前に、桜並木が綺麗な「半木(なからぎ)の道」を採り上げましたが、その際「半木の道」の名前の元となった府立植物園内(左京区下鴨半木町)に祀られている「半木神社(なからぎじんじゃ)」についても少し書きました。今回はこの半木神社の写真を掲載します。


さて、半木神社は、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の境外末社で、祭神は天太玉命(あめのふとだまのみこと)です。
神社の駒札によると、半木神社の鎮座地を中心とするこの地域は、かつて賀茂氏族(錦部氏)が開墾した土地で、奈良時代頃から錦部の里と呼ばれていました。錦部の里と称したのは、古くからこの地で、養蚕製紙業が営まれ絹織物の生産が盛んだったためと考えられていて、京都の織物発祥の地ともいわれています。

その後、この地は、平安時代の後一条天皇の時代、寛仁二年(1018)十一月二十五日に、朝廷より正式に賀茂別雷神社(上賀茂神社)の社領地として錦部郷の名を以って寄進されたということです。しかし、この地で古くから養蚕業に携わっていた賀茂氏や秦氏の人々は、自身の職業の守護神として四国の阿波国(徳島県)から天太玉命(あめのふとだまのみこと)を勧請して祀ったといわれ、これが半木神社の創建と伝えられます。
また、半木神社は「流木神社(なかれぎじんじゃ)」とも呼ばれていて、賀茂川の上流、西賀茂にあった流木神社の祭神の内の一座が賀茂川(加茂川)の増水で流失して、この地に漂着したために社殿を造って祀ったとも伝えられ、「流木(ながれき)」が転じて「半木(なからぎ)」となったと考えられています。


現在ではかつての姿を留めていませんが、下鴨半木町の鎮守神として、また京都の織物発祥の地にある神社、農事林業らを総括する植物園の守り神として崇敬され、植物園内の神社周辺の森は「半木(なからぎ)の森」と呼ばれ、古代山城盆地の植生を残す貴重な自然林として保存されています。また、毎年四、十一月の二十日に行われる春秋の祭典には、織物関係者等が多数訪れるということです。
さらに、植物園の多くの木や花が実を結ぶというところから、園内にある半木神社は試験の合格や恋愛成就の願いがかなうとの信仰が厚く、本社の賀茂別雷神社(上賀茂神社)では努力が実を結ぶ=「実守(みのりまもり)という御守りを授与しているということです。

下鴨神社の御手洗祭

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現在(七月二十五日)、世界遺産としても知られる下鴨神社(左京区下鴨泉川町)で「御手洗祭(みたらしまつり)」が行われています。(今年は、七月二十四日〜二十七日までの四日間 午前五時半〜午後十時半 献灯料200円)


御手洗祭(みたらしまつり)は、通称「足つけ神事」とも呼ばれ、下鴨神社の境内末社の井上社(御手洗社=みたらししゃ)の夏越しの例祭で、 毎年、夏の土用の丑の日に行われます。古来、夏は疫病が蔓延しやすい季節だったことから、その始まりとなる夏の土用の祭日には、病気の抵抗力の弱い子供やお年寄りの厄除け、また妊婦の安産祈願などで、多くの参拝者で賑わったということです。

参拝者は、下鴨神社境内を流れる「御手洗川(みたらしかわ)」の流れの中に、曲橋の手前から入って、井上社(御手洗社)に向って、膝下まで足を浸しながら水の中を歩いて行きます。そして、途中でろうそくに火を灯し、井上社(御手洗社)前で、社殿に献灯し無病息災を祈願します。このように、川中を歩いて灯明を奉納することから「足つけ神事」とも呼ばれているわけです。そして、その後、ご神水をいただくと、心身を清められ、延命長寿の霊験あらたかといわれます。
また、御手洗池から採れた黒い小石は、厄除けの神石「かん虫封じの神石」として昔から信仰され、毎年取り替えることで子供のかんの虫を抑える効験があるとされます。



さて、ここで井上社(御手洗社)について書いてみます。

井上社(御手洗社)は、瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)を祭神としています。
瀬織津姫命は、罪や穢を祓い除く女神と考えられたことから、この神事は、平安時代に遡り、季節の変わり目(元々、土用は一年に四回あり、立春、立夏、立秋、立冬の前、十八日を指します。)に当時の貴族が行っていた禊祓いに起源があるとされます。

神社の駒札によると、井上社の前身は、平安時代の歴史書「三代実録」の元慶三年(879)九月二十五日の条をはじめ諸書に見える唐崎社という神社だったようです。唐崎社は、賀茂斎院の禊や解斎(げさい=斎戒を解く、物忌みを終える事)、関白の賀茂詣の解除に参拝した社と伝えられています。
この唐崎社は、元々、高野川(左京区大原から流れ出て、出町柳で賀茂川(鴨川)と合流しています)と鴨川の合流地の東岸に鎮座していましたが、室町時代の応仁・文明の乱で、文明ニ年(1470)六月十四日に焼亡したために、文禄年間(1592〜96)に、現在地に再興され、寛永六年(1629)の式年遷宮によって官営神社となりました。また井戸の井筒の上に祀られたことから「井上社」と呼ばれるようになったということです。

賀茂祭(葵祭)に先立って、五月初旬に行われる斎王代の禊の儀(「斎王」は平安時代に未婚の内親王が選ばれて賀茂社に奉仕しました。現在は代理(斎王代)として京都在住の一般から選ばれた女性が務めます)は、この井上社(御手洗社)の前の御手洗池で行われ、今回の夏の土用の丑の日に行われる「足つけ神事」、立秋の前夜に行われる「矢取神事」もよく知られています。

尚、御手洗池から清水が湧き出ることから、この「御手洗池の水泡」は、「鴨の七不思議(泉川の石、船島、亀島、乳の清水等があるそうです。いずれも御手洗川、瀬見の小川、奈良の小川、泉川など下鴨神社境内の川に関するもので、川(水)の霊力を現しているということです。)」の一つとされていて、池底から浮き上がる水泡をかたどったものが、みたらし団子の発祥とも伝えられています。


御手洗祭は、早朝から夜遅くまで参拝できるので、多くの方が参加し易い神事で、特に夜間はろうそくの灯りが幻想的でいい感じです。参道の糺の森では露店も並んで子供たちや若いカップルも楽しめる京都の夏の風物詩の一つになっています。冷たい水に足をつけると、暑さを忘れるひんやり感が味わえますよ。

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前回の半木の道の続きです。

北山方面から北大路まで歩いて、折り返してみます・・・
といっても、半木の道は800m程度なので、風景が変わるわけでは無いのですが・・。

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京都市内のソメイヨシノはいよいよ終わりという時期に、美しい花を付けるのが、左京区下鴨半木町、京都府立植物園の西側の土手の道「半木(なからぎ)の道」の紅枝垂桜(ベニシダレザクラ)です。
「半木(なからぎ)の道」は、京都の桜の名所として有名ですが、花のピークが遅いために、他の市内の桜の名所と一緒には見られない場合も多いです。(現在、いよいよピークを迎えていますが、雨がやや心配です。)


さて、京都の中心を流れる鴨川を遡ると、出町柳(左京区)の合流点で二つに分かれ、右を高野川、左を賀茂川(または加茂川)と名を改めます。
これら川沿い両岸にはソメイヨシノが植えられていますが、賀茂川(加茂川)に架かる北山大橋から北大路橋の間、京都府立植物園沿いの東岸の道は、「半木(なからぎ)の道」と呼ばれ、紅枝垂桜(ベニシダレザクラ)で知られる散歩道です。紅枝垂桜(ベニシダレザクラ・ベニヤエシダレザクラ)は、枝垂桜の赤色が強いものの総称で、対岸のソメイヨシノとのコントラストも魅力です。


「半木(なからぎ)の道」という名前は、東隣にある府立植物園内に祀られている「半木神社(なからぎじんじゃ)」に由来しています。
この神社は、天太玉命(あめのふとたまのみこと)を祭神(天太玉命は、機織り技術に優れた古代氏族・錦部氏が祀っていた殖産の神で、この錦部氏が西陣織のルーツという説から西陣織の神ともいわれます。)とする半木町の鎮守社です。また、植物園内の神社周辺の森は「半木(なからぎ)の森」と呼ばれ、古代山城盆地の植生を残す貴重な自然林として保存されています。
「半木神社(なからぎじんじゃ)」は、賀茂川(加茂川)の上流、西賀茂にあった流木神社の祭神の内の一座が賀茂川(加茂川)の増水で流失して、この地に漂着したために社殿を造って祀ったと伝えられ、「流木(ながれき)」が転じて「半木(なからぎ)」となったと考えられています。


「半木(なからぎ)の道」は、京都市民の憩いの場として整備された鴨川河川敷公園に属する約800mの遊歩道で、京都鴨川ライオンズクラブの手によって昭和四十七年(1972)〜五十一年(1976)の5年計画で紅枝垂桜(べにしだれざくら)が植樹され、現在まで保護・保全が続けられています。
桜は、現在では大きく成長し、桜のトンネルを潜るのが楽しい散歩道になっています。(春以外も鴨川河川敷の草花や鳥達を眺めながら散歩できるお勧めの小道です。)

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さて、今回は、京都市左京区の北大路通と北山通の間、賀茂川と高野川の間を彎曲して流れている琵琶湖疎水の「第二疎水分線」の桜並木を採り上げました。



少しだけ、琵琶湖疎水についてです・・
京都を流れる琵琶湖疎水は、明治時代に滋賀県琵琶湖から京都市内に引かれた水路です。
明治初期、日本の国家的な公共事業は全て外国人技師が設計・監督していましたが、琵琶湖疎水の開通は日本人のみで行った日本最初の大土木事業となりました。開通には多くの難問題がありましたが、明治十八年(1885)六月に着工し、明治二十三年(1890)三月に大津から鴨川合流点までが完成、さらに明治二十五年(1892)十一月に伏見までの延長が着工し、明治二十七年(1894)九月に完成しました(第一疎水)

さらに、明治二十年(1887)九月、蹴上から分岐する水路として、大文字山(如意ヶ岳)山麓に沿って、南禅寺から吉田山の東北を通って高野、下鴨から堀川へと流れる「疎水分線」が着工し、明治二十三年(1890)三月月に竣工しました。今や京都を代表する観光名所となった「南禅寺水路閣」や「哲学の道」はこの分線開通によって生まれました。
その後、明治三十年代に入って、第一疏水だけでは電力等の需要増大に対応できなくなり、第一疏水の北側に平行して第二疏水が明治四十一年(1908)十月に着工して、明治四十五年(1912)三月に完成しました。第二疏水は、水道水源として汚染を防ぐため全線を掘抜きトンネルか鉄筋コンクリートの埋立てトンネルになっていて、蹴上で第一疏水と合流しています。そして現在まで様々な改修工事等が行われてきました。



琵琶湖疎水は、当初は水力発電や上水道、舟運、灌漑、防火等を目的としていましたが、現在は京都市内に水道水を供給することが最も重要な目的となり、京都市民の貴重な水道水源となっています。
また、明治時代には当時最新の技術を取り入れてモダンなイメージだった琵琶湖疏水も、今では京都の風土に溶け込んで趣のある景観を形づくっていて、「南禅寺水路閣」や「哲学の道」以外ににも「山科疏水」や平安神宮の前を流れる「鴨東運河(岡崎疎水とも)」、哲学の道から北白川、高野と北上する「北白川疎水」等の疎水沿いの散策路は桜の名所としても知られます。


今回の「第二疎水分線」も京都の隠れた桜の名所の一つとして知られます。
特にこの辺りは、草花の茂った土手沿いに疎水が流れるために、他の疎水沿いの道とは違った自然に近い素朴な雰囲気が人気なのでしょう。

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