京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

山科・醍醐・小野周辺

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 前のページ | 次のページ ]

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

毘沙門堂は昨年に沿革を書きましたので、今回は取り急ぎ桜の画像のみをアップします。

春の毘沙門堂は「毘沙門しだれ」と呼ばれる大きな枝垂れ桜が有名で、観光写真によく登場してきます。この大桜は、毘沙門堂の中興以来約350年に渡って咲いているそうで、現在で5代目です。(樹齢百数十年、高さ約10m、枝張りは約30m)さすがに見事でした。
他にはピンクの梅のような桜も目立っていました。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

このブログ初登場の醍醐寺です。
しかし醍醐寺は有名なので、沿革等は次ぎの機会にきっちり書くことにして、今回は桜についてのみ掲載します。

この日は、山科疎水〜毘沙門堂〜醍醐寺を訪問したのですが、山科周辺で撮りすぎたため醍醐寺はメモリー不足でついで程度になりました。
もう少し撮りたかったのですが、今ひとつ桜と一緒に撮りたいポイントとなるものが無かったのが残念。
霊宝館の枝垂れ桜はもう葉桜でしたが、少しだけ霊宝館中心に桜をアップします。

山科疎水と毘沙門堂も続けて掲載します。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

続いて、京都市山科区にある日向大神宮です。

京都の伊勢神宮として知られる特徴ある神社で、南禅寺の水路閣から疎水沿いにインクライン(傾斜鉄道)に抜けた地点にあります。
ここは紅葉の隠れた名所でもありますが、この写真を撮った先週末時点ではこのような感じでした。今は七部程度だということです。




この神社の創建は、第23代顕宗天皇の時代に溯ると伝わるも不詳・・平安時代に清和天皇の勅願により、天照大御神(アマテラスオオミカミ)をこの粟田山に勧請したことに始まったというのが通説のようです。その後応仁の乱で焼失しますが、松坂村の農民・松井藤左衛門によって仮宮が造営され、宮中から修理料を賜り社殿の再建が行われたとも、また、江戸初期の寛永年間(1624―44)、に伊勢人の野呂左衛門尉源宗光が再興したとも伝わります。





かっては、日向神宮、粟田口神明宮、日岡神明宮等ともいわれた日向大神宮は、社殿が京都では珍しい神明造で、内宮、外宮が置かれた「京のお伊勢さん」として有名でした。
昔は、この神社の南の谷を東海道が通っていたため、往来する旅人たちが道中の安全を祈った有名な場所でした。また、中世には伊勢神宮へ参宮が流行となり、伊勢への代参として多数参拝があったということです。さらに、神社の入口の一の鳥居の付近から「京の七口」の一つ、粟田口となり、茶屋が軒を並べて大変賑わった地域でした。




周囲の山は神体山で、日御山(ひのみやま)、神明山(東山三十六峯の一山)という豊かな森林地帯です。このため、日向大神宮は、内宮、外宮その他の建物が、周囲の山と一体となる境内構成が見事ということで、内宮、外宮は京都市の有形文化財に、境内は環境保全地区に指定されています。
境内は、鳥居をくぐると、拝殿と外宮が重なって建ち、そこから一段高くなって最も奥に内宮があります。この傾斜構造も特徴的なようです。天照大神を祀る神社だけあって、内宮から坂を登ると「天の岩戸」があります。(写真)




山中に向かって細い参道が数百メートル続き、周囲を山に囲まれた静かな雰囲気の神社です。
かって「京のお伊勢さん」として多くの参拝者があったという様子はほとんど感じられませんが、古風な社殿が重々しく魅力的です。山の神社といえば、どこか寂しい感じがするものですが、ここは厳かな雰囲気があり、紅葉スポットとしてもお勧めできます。

毘沙門堂

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

毘沙門堂です。

京都の山科にある毘沙門堂が全国的に知られたのは、JR東海「そうだ京都へ行こう」キャンペーン(2000年春)の影響が大きいようです。
桜と紅葉は、京都でも知る人ぞ知る名所だったようですが、観光ガイドなどでもあまり登場しないので、私も学生時代の史跡探訪サークルでも行ったことが無いお寺でした。今回ようやく行くことが出来ました。



ここは、天台宗のお寺で、本尊として最澄作と伝わる毘沙門天を祀っていることから毘沙門堂の名前があるようです。
創建は大宝三年(703)僧行基が開いたという古いお寺で、平安時代には、今の京都市内上京区、御所の北にあって出雲寺という名前で呼ばれていたそうです。



その後、平治の乱以降の戦乱の中で移転し、ようやく建久六年(1195)円智上人(出家前は平親範)が、衰退廃絶した平等寺、尊重寺、護法寺の3寺を統合してかっての出雲寺のあった地に創建しますが、その後も応仁の乱、織田信長時代の元亀の乱などで荒廃廃絶。
寛文五年(1665)に天海僧正と弟子の公海僧正によって現在の地に再建されたのが現在の毘沙門堂で、後西天皇の皇子公弁法親王が入寺して以来、門跡寺院となっています。




さて、このお寺、毘沙門天王、七福神等の旗竿が立てられ、一見して、庶民の信仰を集めてきたお寺という感じです。急な石段の上にあるのが、仁王門で寛文五年(1665)建造のものです。



このお寺には、もう一つ勅使門という、後西天皇から拝領した氷川檜皮葺きの総門があり、門跡門主の式以外は開かれない門のようです。こちらはいかに門跡寺院らしい風情があります。
境内には、樹齢百数十余年の枝垂れ桜があり、これがJR東海のポスターになった桜です。春は綺麗でしょうね。



拝観料500円を払って、本堂から宸殿に渡りました。
狩野益信作の襖絵(動く襖絵)、丸山応挙作の鯉の絵や、江戸初期の回遊式庭園の晩翠園などが見所です。宸殿や霊殿なども立派で、山科の山間にこんなお寺があるのも以外でした。



どうも、このお寺は、皇族縁の寺院らしい重々しさと、庶民的な雰囲気が混在しているようで、少し不思議な感じです。
寺宝や庭園などの見所もあり、山科区の観光寺院としては、醍醐寺、勧修寺、随心院に次ぐお勧め寺院といえそうです。

山科疎水2

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

山科疎水の続きです。
少しだけ降った雨も止み、明るくなってきました。


帰りは早く感じられて、あっという間に、本圀寺から第2トンネル東口洞門辺りまでたどり着きました。(周辺のお寺等の印象については次回に少し書いてみます。)


山科疎水は、私にとって身近な「哲学の道」に似ているような所もあり、特に、毘沙門堂までの登り道は、「哲学の道」の霊鑑寺や安楽寺の周辺に似ている印象です。
また、毘沙門堂自体は、「哲学の道」における法然院に匹敵するお寺という感じでしょうか。



「哲学の道」は銀閣寺〜永観堂・南禅寺という観光名所に連結しているのに対し、こちらはトンネルと公園で終わってしまうのでマイナーなのは仕方がありませんが、自然は豊かです。
「哲学の道」のある東山周辺の山を疎水ギリギリまで近づけたといった感じで、緑が多くて森林浴やジョギングにはこっちの方が向いています。(ただ、夕方以降は女性の一人歩きは危険かもしれません。)
観光客は少なくても、地元の人たちが子供を連れて楽しんでいます。夫婦でジョギングしている方もいます。「哲学の道」ではあまり見られない光景でしょう。
(私が撮ってきた写真を見て、家人が人のいない寂しい所・・と言っていましたが、たまたま人が写っていないだけだとフォローしました。)

やはりここは、山科付近の人にとっては、私にとって身近な鴨川公園や京都御苑のような憩の場所なのだと感じました。
また桜の頃にでも来てみたいですね。

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
hir**i1600
hir**i1600
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事