京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

金閣寺・大徳寺・鷹峯他

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京都市北区鷹峯千束町、有名な光悦寺の崖下の紙屋川(天神川)沿いにひっそりと建っている小さなお寺が吟松寺(ぎんしょうじ)です。

金閣寺の門前右手から、この鷹峯まで鏡石通(街道)と呼ばれている道が続いていて、1.5キロ程度歩けばここまで来ることも出来ます。
吟松寺については浄土宗寺院ということ以外不明で、(機会があればお寺の方にもう少し情報を聞きたいとは思います)普段は訪れる方はまずいないお寺です。
ただ境内にはもみじが多く植えられていて、秋の紅葉時には知る人ぞ知る穴場になります。熱心な紅葉ファンを除けば、京都人もほとんど知らないお寺なので、京都市内では数少ない静かに紅葉を楽しめる場所になっています。

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少しマイナーな寺院ですが、北区ではまずまず知られるお寺を少しだけ採りあげました(ただし、情報不足のため京都市案内板そのまま程度の記事ですが・・)


北区紫野東蓮台野町にある西向寺は、正式には幸阿弥谷と号する浄土宗知恩院派の寺院です。
寛永年間(1624〜1644)に、清誉浄顕(せいよじょうけん)上人が西向庵という草庵とこの地に創建し、念仏弘通(ぐつう)の道場としたのが西向寺の起こりと言うことです。
現在の堂宇は宝暦二年(1752)、6世俊龍和尚により再建され、その後、明治十五年(1882)に、本山知恩院から寺号を得て、西向寺と名を改め、以後庶民の寺として栄え現在に至っていると言うことです。

本堂には本尊阿弥陀如来二十五菩薩を祀ります。また南脇壇に安置する二体の阿弥陀如来像は、、藤原時代中期の作で「二葉の弥陀」と言われます。この仏像内に納められていた慶安二年(1649)銘の胎内文書(本尊再興奉加帖)によれば、上賀茂神社の別所であった上賀茂御堂西念寺というお寺に元々安置されていたようで、明治の廃仏毀釈で廃寺となった際に西向寺に安置されたものと推定されると言うことです。また、地蔵堂東側には明徳二年(1391)銘の地蔵菩薩板石塔婆があり、「京の三板碑」の一つに上げられるようです。(写真)




北区紫野上野町にある光念寺は、阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺院です。
明治初年に、地蔵寺という寺院と念光上人が再興した光念寺が合併して現在のお寺になったと言うことです。この地蔵院に祀られていたのが源義経ゆかりの仏様=常磐御前の守り本尊と伝える腹帯地蔵で、光念寺に継承されて今日に至ります。また今宮神社のやすらい祭の行列が出発・帰着するお寺として知られています。(写真)

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京都市北区紫竹にある義経関連史跡を少し採り上げました。
NHK大河ドラマ「義経」放映時には多くの義経ファンが訪れたようです。



北区の紫竹牛若町は、その名前通り牛若丸(義経)にちなんだ史跡が多い場所ですが、かってこの地には義経の父・源義朝の別荘があり、義経の母・常磐御前はこの地で牛若丸(義経)を産んだという言い伝えがあります。

さて、牛若町の畑の中に、常盤御前が牛若丸(義経)を産んだ時に産湯に使ったという井戸の跡と石碑「牛若丸誕生井」があります。(写真)
この地の井戸水を産湯に使ったという義経伝説に基づいて、大正七年(1918)に義朝に仕えたという伝承をもつ旧家・上野家当主が建立したと言うことです。また少し離れた木の下には牛若丸(義経)の「へその緒」を埋めたと伝える「牛若丸胞衣(えな)塚」があります。(写真)
少し南には「源義経産湯井遺址」の石碑があります。(写真)
牛若丸(義経)誕生時にこの井戸水を産湯に使ったという同様の史跡です。この地には後に大徳寺の塔頭・大源庵が建立されますが廃寺となりました、そして大正十四年(1925)、区画整理が行われた際に、井戸の原形が失われたので、井戸の由緒を伝えるために碑が建立されたと言うことです。





最後に、同じ紫竹地区にある総神社をついでに追加します。源義経の父・義朝を祭神にしているので何とか義経との関係もありそうです。
総神社は北区紫竹西南町にある小さな神社です。祭神は、天穂日命(あめのほひのみこと)、八幡大神(はちまんおおかみ)、天満大神(てんまおおかみ 菅原道真)、源義朝神霊(みたま)になります。
前回に登場した川上大神宮のやすらい祭は、今宮神社への途中でこの神社に立ち寄ります。川上大神宮は上賀茂社の読経所の鎮守社だったとも伝えられ、同様に上賀茂神社と繋がりのある総神社に中継地として休憩場所を借りているのでしょう。

さて、総神社は、山城国(京都)一ノ宮賀茂別雷神社(上賀茂神社)三十八社の一つで、神宮寺の賀茂御読経所聖神寺の鎮守社として社僧から崇敬された神社と伝わります。創祀年代は不詳ですが、社僧の始は天武天皇の白鳳年間(7世紀)と伝えられるため、その時代に祀られたとも考えられるようです。
古来、総神社の森は「菅宿の森」と呼ばれてきたようです。これは、菅原道真が筑紫に流刑される際、この神社の宮守であった叔母を訪れ別離の情を述べ、一宿したという古事に依ると伝えられています。またこの紫竹地区は源氏ゆかりの地だったことから、常盤御前との関係で「常盤の森」とも呼ばれたようです。

玄武神社のやすらい祭

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今宮神社、川上大神宮と同日に、紫野雲林院町の玄武神社でもやすらい祭が行われました。
この玄武神社のやすらい祭は、他の2つとは違って今宮神社の疫神社とは関係なく玄武神社独自の祭です。



玄武神社の沿革を簡単に書いてみます。
北区紫野雲林院町にある玄武神社は、前に登場した雲林院の近くにある小さな神社です。
玄武神社の社号「玄武」は、古代中国から伝わった王城守護の四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)の一つ、北の鎮護神「玄武」に由来しています。
祭神は、文徳天皇の皇子・惟喬(これたか)親王で、「惟喬社(これたかしゃ)」とも呼ばれてきたようです。惟喬親王は第一皇子でしたが、権力を握る藤原氏との縁が薄く、藤原氏の圧力により皇太子の地位を、生後1歳の弟惟仁親王(後の清和天皇 藤原良房の娘の子)に譲らざるを得なかった悲劇の皇子です。また、その後山に篭って轆轤(ろくろ)の技術を付近の住民に伝え、木地師の元祖とも呼ばれる伝説的な生涯でも知られる人物です。

社伝によると、創建は平安時代の陽成天皇の元慶二年(878)、惟喬親王の母方の末裔で大宮郷の郷士・星野市正紀茂光(ほしのいちのかみしげみつ)が、悲運な生涯だった親王の御霊を慰めるために、また王城北の鎮護の地の守護神として、親王の外祖父・紀名虎(きのなとら)が所持していた親王愛蔵の剣を「御霊代(みたましろ)」として奉祀して祀ったと伝えられます。またかっては、玄武の亀との関係から境内の池に亀が多く放育されていたので、「亀宮(かめのみや)」とも呼ばれたようです。
尚、現在の社殿は昭和三十八年(1963)に再建されたものです。






さて、平安時代の康保三年(966)、前年に起こった大水後に疫病が流行し、これを鎮めるため、勅命を受けて玄武神社で鎮花祭を行ったと伝えられ、これが京都最初の鎮花祭と言うことです。
その後、長保元年(999)から翌年にかけて、再び疫病が流行したために、同年(1000)に鎮花祭が再び行われ、それ以後は永代勤めるよう勅命を受けたと伝えられます。

現在もこの毎年の第2日曜日に「玄武やすらい祭(玄武やすらい花)」が行われますが、玄武神社の氏子地域はかなり広いために、4班編成で担当範囲を練り歩くようです。まず早朝の午前8時半〜9時頃に出発し12時頃帰社します。午後1時〜1時半に再度出発し6時頃帰社することになっているようです。また午後1時半からは、別に行列が氏子内を巡行しているようです。
(写真は12時ごろに帰社した時のものです。)





玄武神社の祭行列は、氏子地域が広いこともあって子供達の参加も多く元気な印象です。
玄武神社、今宮神社、川上大神宮と三ヶ所のやすらい祭を追ってみましたが、各地域の暖かい雰囲気が感じられて良かったです。

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北区西賀茂南川上町にある川上大神宮社は、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)を祭神とする小さな神社です。
元は上賀茂神社読経所の鎮守社であったとも伝わりますが、資料が少なく詳細は不明のようです。やすらい祭に関係していなかったら、このブログで採りあげることも無かったかもしれません。




今宮神社と同じく4月8日に、川上大神宮でも「川上やすらい祭(やすらい花)」が行われました。
正午前に、神社の境内で宮司さんが祭神に祝詞をあげ神饌を奉げます。そして鬼が踊りを奉納した後に、町内を巡行しながら、北区紫竹西南町の総神社を経て今宮神社に向かいました。
この鬼は、赤熊(しゃぐま 飾り髪)で顔がほとんど見えずかなり無気味です。また子供がいないのは地域の参加者不足によるものと思います。


今宮神社に到着した後は踊りを奉納し・・鉦や太鼓を打ち鳴らしますが、人数も少なく飛び跳ねる踊りは無いので今宮神社の行列に比べると地味な印象でした。
伝統ある行事を維持する事はたいへんだと思いますが、来年も頑張って祭を盛り上げて欲しいです。


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