京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

嵯峨野・嵐山・洛西他

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今回は、人気の鈴虫寺(華厳寺)です。


鈴虫寺は、江戸中期の享保8年(1723年)に、鳳潭上人(ほうたんしょうにん)が開かれた華厳宗のお寺でしたが、現在は臨済宗の禅寺で、ご本尊は大日如来ということです。境内には、鳳潭上人の座像やお墓があり、隠元筆の寺号偏額があります。




拝観料500円で、何もパンフレットが無いというのも珍しいですが、普通のお茶とお茶菓子が付いてきます。(パンフレットが無いのは、掲載して紹介するほどの観光客向けの寺宝が無いという理由も有るのかもしれませんが、または、そのような俗なものは不用と考えておられるのかもしれません。)
お寺は高台にあり京都市内を見渡せ、また竹林等も有りますが、この付近ではありふれた光景です。特に傑出した寺宝も無く、普通なら観光客など来ないような小さなお寺です。




しかし、とにかく京都屈指の人気寺院になっています。


その理由は、鈴虫寺という名前の由来となった鈴虫の音色と、その虫の音の中で行われるご住職の説法「鈴虫説法」によります。
また、石段を上った山門脇には、日本で唯一わらじを履かれた「幸福地蔵菩薩」があって、地蔵様は、祈願者(願い事は一度に一つだけです)の願いを叶えるために歩いて来られるそうで、これも人気です。必ずここでお参りしてから境内に入るという観じです。




鈴虫は最大1万匹もいるそうです。これが一年中鳴き続けています。
先代のご住職が、涼しげな鈴虫の虫の音を用いて、人の気持ちを清めることを思い付かれて、約28年の歳月をかけ、鈴虫が一年中鳴くように飼育法を研究されたのです。今ではこのアイデアが大成功。寺宝や美しい風景が無くても多くの人が集まっています。
もちろん、鈴虫だけでなく、名物ご住職のお話を聞きに来られる方がほとんどです。
ご住職のカリスマ性が全国から多くの参拝者(観光客とは少し違うかも)を集めています。
まさに、季節に関係なく、行列の出来るお寺です。




私が訪問した日も、100人程度の観光客がいるから驚きです。他の観光寺院の大部分が閑散としているのと比較すると恐るべき人気です。
もちろん、小さなお寺なので一度には入りきれません。私の後からの人は、受付前にずらっと並んで順番待ちをしています。
私もご住職の「鈴虫説法」がすでに半ばですが、鈴虫のガラスケースが幾つも並べられている本堂に座らせていただきますと、すぐにお茶とお菓子が運ばれてきました。
ざっと数えると60人程がご住職の法話を熱心に聞いています。8割程度が20歳代の女性といった感じです。




お寺と神社の御参り方法の違い、竜安寺の石庭の話・・・大体知っている話ですが、ご住職は若い方向きのお話をされているようです。
お菓子の中に黒いものがありますやろ。鈴虫が潰されて入っているという笑い話が本当のように伝えられてますわ・・ご住職は笑います。
終わり頃には厄年の話・・東北で起こった子供殺害事件の犯人は33歳の厄年の女性。JR西日本の脱線事故の運転手と車掌は共に厄年。広島の事件も奈良の事件も・・・前厄・本厄・後厄らしいです。
そしてお寺で売っているお守り・お札を買うと悪い事が起きず、彼氏彼女のいない方も3ヶ月後には恋人が出来るなど幸せがやってくるそうです。ご自宅や会社にお祓りになり、朝夕に手を合わせばとにかく幸せになるということです・・・最後はお守りの宣伝の話になってきて終わります。




皆さん神妙な顔つきで聞かれていました。
この日は、他のお寺へも行く予定が有り、ご住職の法話を最初から聞き直す時間は無かったので、その後は出てしまいましたが、前半はどんなお話をされていたのでしょうか。




その後は境内を通って出口の方に廻ります。
途中、高台からの見晴らしも良く、しばし見ていましたが、その他の人々は次々素通り。
いったいここに来ている人は、風景を楽しむという感性というものが無いのか・・・と少し呆れましたが、ここに来られている方は、景色を楽しむのではなく、あくまで祈願成就、心の平穏を求めに来られているのかもしれないと思い直しました。




感想としては、やはり鈴虫寺は、ご住職のわかりやすい説法と鈴虫の音色を利用するというソフト面でのアイデアで大成功を収めているなあと思いました。
(どこかITビジネス成功者のような・・どれだけ儲かっているのかとも思ってしまいますが・・すみません)
もちろん、その成功も、押し寄せる観光客に対して、毎日数回も禅の教えを説くご住職の努力があってのことで、ここを訪れる人の大部分は、普通の京都見物のために来られた方でしょうが、お話を聞かれた後は一様にほっとしたような表情をされているように感じました。



私が近くの浄住寺に行った帰りに、また鈴虫寺の前を通った時も、閉門近いのにタクシーで来られる方もいて、まだ多くの人が石段を降りてきます。人の写っていない写真はここでは撮れないようです。




お寺とは、境内の風景や寺宝を鑑賞するためだけに訪問する場所では無く、仏様に会い、そこでお祈りすることにより心の平穏を得る、信仰の場、仏様との出会いの場であるということを、面白い話を通して、静かに、それとなく再確認させておられるのかもしれません。ホームページで個人のお悩み相談もされているようです。




観光目的のみでこのお寺を訪問する人は、何も無くてガッカリするでしょう。
しかし、ただご住職の法話を聞くためだけに、もう一度行きたくなるようなお寺があっても良いのかもしれません。

落柿舎

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嵯峨野めぐりの際に、まず最初に立ち寄りそうな場所として、野宮神社や落柿舎があります。
それ程時間がかかりそうになく、ちょっと寄っていこうかという感じです。



落柿舎は、江戸時代の俳人、向井去来の閑居跡です。

長崎生まれの去来は、若い頃は武芸に秀でた人物で、軍学や新道等も学び、京都やその他を転居した後、32歳で松尾芭蕉の弟子となり、貞享三年(1686)に、嵯峨野に落柿舎を建てます。


落柿舎と言う名前の起こりですが、
この庵には40本の柿の木が植えられていましたが、ある時、商人がやってきて、去来に柿の実を一貫文で買うという約束をしてお金を置いていきました。
去来がその夜寝ていると「ころころ・・ひしひし・・」外では朝まで音がしています。嵐により、一夜にして全ての柿が落ちてしまったのです。

翌朝、全ての柿が一度に落ちるなど、この年になるまで見たことも無いと驚いた商人が金を返せといってきて騒ぎとなるのですが、金を返して解決した後、去来は友達への手紙で「落柿舎の去来」と名乗り始めます。この面白い失敗談から落柿舎と命名した去来の人柄も面白く感じます。



芭蕉も3度ここを訪ねていて、元禄四年(1691)には16日間ほど滞留し「嵯峨日記」を書いているように、2人の信頼関係は厚く、去来は後に「蕉門十哲」のに数えられる程の俳句の才を発揮することになります。



落柿舎の玄関横の壁には、去来が在宅であることを知らせるため掛けていたというエピソードに基づいて蓑傘が掛けられていて、ここを訪れる人は大体、この蓑傘の写真を撮ります。
庭には去来や芭蕉その他の句碑が点在し、落ちついた雰囲気です。


なお、落柿舎の北側の弘源寺墓地には、去来の子孫の墓があり、その中に40cm程の自然石に「去来」とだけ書かれた素朴なお墓があります。去来の遺髪を納めたといわれる「去来塚」です。


落柿舎は、実際、こじんまりした藁葺き屋根の小さな庵に過ぎません。
これまで何故こんな小さな場所が観光ガイドで結構大きく取り扱われるのかと思ってきました。


嵯峨野という場所にあるから脚光を浴びているという印象は確かにありますが、写真を撮っていると、小さなそれらしく演出された小道具が生き生きしてくる感じです。
今回は少し落柿舎を見直した気がしました。

夏の祇王寺・滝口寺他

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少しずつですが、夜など過ごし易くなってきたような気がします。
夏が名残惜しい反面、秋の観光シーズンも待ち遠しい感じです。


先日、念仏寺に行った際に、拝観受付終了間際の祇王寺と滝口寺にも寄ることが出来ました。
この2つのお寺は、平家物語の平清盛と祇王・祇女、滝口入道と横笛の悲恋の物語で知られています。



さて、祇王寺では、4時半受付終了の3分前に駆け込むと、受付のおばさんは時計を見ながら少し嫌そうな感じでしたが、私だけの時間を過ごすことが出来て良かったです。



苔も綺麗な状態で中々手入れされています。何か気配が変だと思ったら、前からここで飼われている白猫が座敷に座っています。(少し写真などとって邪魔をしてしまいましたが)
急いで、既に少し暗い本堂の平家物語で知られる祇王・祇女、母刀自、仏御前の木造と、入口横の祇王・祇女、母刀自のお墓の宝筐印塔を拝んで出てきました。



昔この地には、法然の弟子良鎮によって創建されたという往生院という大きなお寺があったそうですが、その後荒廃し小さな尼寺だけが残って、後に祇王寺と呼ばれるようになったそうです。
明治の廃仏毀釈により廃寺となりますが、大覚寺の援助で再興され、明治28年に元京都府知事が祇王の話を聞いて嵯峨にある別荘の一棟を寄付したのが現在の祇王寺の建物です。



そういうわけで、現在のお寺自体は歴史的に新しいものですが、祇王・祇女の物語がぴったりの嵯峨野を象徴する美しい雰囲気には誰もが惹かれます。
出来れば、紅葉の頃に、ここで静かな時間を過ごしたいのですが、嵯峨野で屈指の人気のあるお寺です。朝駆けで9時前に来ないと不可能でしょう。




さて、隣の滝口寺、ここは大丈夫ですよって感じで通してもらえました。
このお寺はどちらかといえば、祇王寺に行くついでに寄る人がいるお寺という感じでもあります。(あるいは寄らない人もいます)


このお寺も、祇王寺と同じく往生院という大寺の境内で、三宝寺という名前でしたが、祇王寺と一緒に明治の廃仏毀釈により廃寺となります。そして、祇王寺が再建された後に、同じく再建され、高山樗牛の小説「滝口入道」の名前から滝口寺と命名されました。



入口付近には、新田義貞の首塚と、その愛人勾当内侍の供養塔があります。滝口入道と横笛、新田義貞と勾当内侍というダブル悲恋がこのお寺の売りになっています。
境内は、苔はやや荒れていて、特に残念なのがこのお寺の見所の竹林が色が抜けて汚い状態だったことです。
この2つのお寺は成り立ちからもセットもののような感じなので、祇王寺だけでなく、秋の紅葉が美しい滝口寺も出来れば見てあげて欲しい気がします。




嵯峨野のお寺は、どれも雰囲気が似ていると良く言われますが、嵐山の天龍寺や北嵯峨の大覚寺のような壮大なお寺とは違った親しみやすさが良いですね。

ただ観光客の方も、全部見るのは時間と拝観料がかかりますので、
例えば、清涼寺は見ても、横の宝篋院へは寄らずに、常寂光寺を見て、二尊院を飛ばして、祇王寺へ。
檀林寺や滝口寺を飛ばして、急いで化野念仏寺へ・・・という人も多い気がします。


天龍寺をメインに、トロッコ列車や大河内山荘など嵐山周辺だけでも1日終わってしまうので、全部は見てられないのが正直なところだと思うのですが、秋の紅葉に関しては、少し人気の無いお寺のほうが綺麗だったりしますので、是非何度か来て見ていただきたい気がします。


写真は、檀林寺の土塀、祇王寺境内、滝口寺本堂&十三塔、念仏寺の石仏です。

嵯峨鳥居本

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24日で「化野念仏寺の千灯供養」と、「愛宕古道街道灯し」も終わりました、また来年ですね。

今回、久しぶりに、念仏寺付近の鳥居本を歩きました。

この嵯峨鳥居本(門前町)地区は、京都市内の伝統的建造物保存地区に指定されています。
京都市内では他に、「上賀茂(社家町)」、「産寧坂(門前町)」、「祇園新橋(茶屋町)」が指定されています。(ブログでも前に少し書いてみました。)



ついでに、近畿地方の伝統的建造物保存地区としては、
京都府下では「美山町・北地区」。近畿他県では、滋賀「坂本」&「近江八幡市・八幡」&「五個荘町・金堂地区」。大阪「富田林市・富田林」。兵庫「神戸北野町・山本通」。奈良「橿原市・今井町」が指定されています。



古い町というのは、魅力的ですね。
ヨーロッパの中世都市のように、市街地全体が城郭で囲まれ、昔の雰囲気を維持している魅力的な町が少ない日本ですから、なんとか昔の風情のある場所ぐらいは維持管理していかないといけないですね。
他の近畿の伝統保存地域とかも、機会があれば、取り上げてみたいです。




さて、嵯峨鳥居本が、伝統的建造物保存地区へ登録された理由は、

「古来から、景勝の地として知られる嵯峨野の西北に位置する当地区は、愛宕街道に沿った集落で、17世紀中頃から農林業や漁業を主体とした集落として開かれました。その後、ここより奥にある愛宕神社の門前集落としての性格も加わり、江戸時代末期から街道沿いに、農家、町家、茶店が建ち並ぶようになりました。町家風民家と農家風民家が共存し、町並みも農村的景観から都市的景観へ移り変わっていくさまを示しています。」
(全国伝統的建造物保存協議会HPより引用)ということです。




確かに、祇王寺、化野念仏寺を経て愛宕神社の一の鳥居に至る参道沿いの約600メートルの区間には、草葺きの民家やお店が建ち並び、嵐山付近や北嵯峨とは、また違った風情が感じられる気がします。
街道の奥には、愛宕神社の一の鳥居が見えます。
愛宕神社の一の鳥居前には、400年前から営む鮎料理屋の平野屋があり、ドラマや映画の撮影地としても知られます。
山に囲まれた狭い奥嵯峨周辺は、どことなく寂しげで、移ろい行く秋にぴったりという感じです。


嵐山を起点に、この辺りまで来ると、今日の嵯峨野散策も一区切りという安堵の気持ちと、立ち去り難い名残惜しい気持ちが起こります。

私は、秋に訪問した際、この風景をいつまでも楽しんでいたい・・帰りたくない気持ちになってしまったものでした。

愛宕古道街道灯し

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8月23日、24日の化野念仏寺の千灯供養と同時に行われるのが、化野念仏寺付近の鳥居本地区周辺の地蔵盆「愛宕古道街道灯し」です。
(23、24日午後7時から午後9時まで)


付近の京都嵯峨美術大学の学生や地域の人々、さらに希望者の方(沿道の協賛店で、オリジナル提灯を飾ることもできるそうです。)が絵を描いた提灯など約500個が、愛宕神社の一ツ鳥居〜祇王寺、ニ尊院さらに清涼寺大門までの街道筋に灯されました。


提灯は割いた竹をしならせて骨組みを作り、その上に和紙を張って形をつくったりしているもので、写真ではわかり難いですが、愛宕と書かれたジャンボ提灯は、大人2人は入れそうです。他にも棒状の一番長いもので2〜3mぐらいあるでしょうか?それぞれ手作りの個性的な図柄で面白いです。


もう少しこうしたら目立ったのに・・とか地区の方同士で話していたり、ちゃんと固定されているか熱心にチェックしている大学生もいて、皆さん頑張っておられました。カメラを向ける方も多く、私も色々撮ってみました。


昔の京都の魅力を知って欲しいということで始まった「愛宕古道街道灯し」は、もう開始から10年程になるそうですが、今では観光客も多くて、奥嵯峨を代表する名物行事となっているようです。(私は、今回初めて見ることが出来ました。)

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