京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

嵯峨野・嵐山・洛西他

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二尊院

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学生時代から、嵯峨野・嵐山周辺では、天龍寺、常寂光寺、祇王寺等が好きで、それ以降も何度か訪れていたのですがと、二尊院は久しぶりです。


この夏も祇王寺や化野念仏寺に行った後、二尊院を飛ばして、清涼寺に行ってしまいました。
なぜ二尊院がそんなに好きでなかったのか?ごく単純に、常寂光寺には参道途中に魅力的な仁王門があるのに対し、二尊院は、総門から参道の真正面は壁で、唐門(勅使門)や堂宇が極端に南に偏って、シンメトリーで無いのが落ち着かないということもある気がします。
好みってそういう単純なものだと思うのですが・・・。





さて、二尊院は、正確には二尊教院華台寺(けだいじ)といって、明治以降、天台宗のお寺です。
二尊院の名前の由来は、本尊に釈迦・阿弥陀の二如来(鎌倉時代・重文)を祀っている所からきています。平安時代初期の承和年間(834―47)に、嵯峨天皇の勅願により、慈覚大師円仁開山した華台寺というお寺がニ尊院の始まりと伝わります。
やがて次第に荒廃しますが、鎌倉時代に正信房湛空上人が再興に務めました。その後、応仁の乱で諸堂は全焼しますが、本堂や唐門(勅使門)は30年後に再建されたそうです。
重々しい総門は、豪商角倉了以が伏見城の遺構と伝える「薬医門」を移築したもので、広い参道は「紅葉の馬場」と呼ばれる紅葉スポットになっています。





寝殿造りの本堂の横には、茶室「御園亭(みそのてい)」があります。これは後水尾天皇の皇女、賀子(がし)内親王の化粧の間を、元禄時代に下賜され移築したものです。
本堂の前は、「龍神の庭」と呼ばれ、九頭竜弁財天が祀られていて、石段を登れば、中興の祖湛空上人の御廟があります。




広い境内は山裾まで広がり、「伝後奈良・土御門・嵯峨三帝塔」やニ条家、三条家(三条実万・実実父子他)四条家、三条西家、鷹司家の墓が点在しています。
歴史上の湯名人では、伊藤仁斎(写真)・東涯父子、角倉了以・素庵父子ら角倉一族(写真)。
また画家・富田渓仙や映画俳優・坂東妻三郎等の墓や、さらに奥には、藤原定家が百人一首を選定した時雨亭跡があります。




ニ尊院は、嵯峨野・嵐山でも屈指の紅葉の名所と呼ばれ、一番美しいという人もいるようです。そういうわけで、この日は開門前から待っている人が30人程度いました。(その時は私は素通りしましたが)
東福寺や永観堂の紅葉を見た直後のため、慣れから思ったほどでは無かった印象でしたが、広い境内の隅々まで回る事が出来て久しぶりに二尊院を堪能できた気がします。
このお寺も紅葉期にのみ関心が集中してしまいますが、新緑の頃もいい感じかと思います。もっと違う季節に観光してみても良いかもしれません。

檀林寺

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嵯峨鳥居本にある檀林寺は、祇王寺の隣にあるお寺です。
学生時代に一度行ったはずですが、あまり記憶がありません。この日は私が初めての拝観者のようで、お寺のお話好きな受付のおじさんが「ここは宝物館にすごい宝物がたくさんあるから、じっくり見てると1時間から2時間はかかるよ。」と話し掛けてきました。




さて、この檀林寺は、平安時代初期に嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(檀林皇后)が創建した由緒あるお寺で、平安期には12の塔頭を持つ壮大な寺院だったようです。檀林皇后は、当時来日していた中国の義空僧正を師とします。これにより檀林寺で日本で初めて禅が教えられることになったそうです。




檀林寺創建と同じ時代、嵯峨天皇の皇子、左大臣源融が付近に別荘を建設し、この嵯峨の地は、嵯峨天皇関係者を中心に別荘や寺院が立ち並んだ平安京の衛星都市のような場所になりました。
その後、これらの寺院や別荘は衰退し、源融の別荘は清涼寺へと変わります。檀林寺もその後の衰退してしまったため、その旧地には天龍寺が建てられました。





さて、昭和三十九年(1964)に現在地に再建された本堂と霊宝館には、檀林皇后縁の宝物をはじめとして、日本や中国の仏教美術品が多数展示されています。
法宝閣造りという特徴ある本堂には檀林皇后を型どったという本尊の准胝観音母像、渡辺崋山筆の山鷲濤鷲図などがあります。
霊宝館は展示スペースが狭く、宝物が所狭しと並べられていて、どこか古美術店のような感じです(それもギャラリー風の店では無く、沙汰な道具屋さんのような・・・m(__)m)この展示方法が、今風の魅力が無いので、お寺も今ひとつ人気が無い気がします。限られた中での変更は現実的には難しいでしょうが、展示方法が違えば、霊宝館の魅力も増すとも思います。




今の檀林寺からは、平安初期の栄華を感じることは出来ません。僅かに寺宝にその時代を偲ぶ物があるのみです。ただ人気寺院の多い嵯峨野にあることで恩恵を受けているようです。隣の祇王寺を訪れた観光客が、境内の紅葉に惹かれて門を潜られているからです。
特に寺宝に傑出するものは無く、お勧めするほどでは有りませんが、紅葉もまずまず綺麗で、親しみ易いお寺ではあります。

直指庵

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直指庵は、嵯峨野の観光地から少し離れた北嵯峨にひっそりと建っています。

徒歩では少し距離があるためレンタサイクルを利用する観光客が多く、門前付近には自転車がたくさん止められています。ここまで来ると、嵐山や嵯峨野の喧騒が遠く感じられ、静かな一時が持てる気がしてきます。竹林の中の小さな庵のような簡素なお寺ですが、そこが良いのかもしれませんね。




直指庵は、江戸時代初期の正保三年(1646)に、南禅寺で臨斉禅を学んだ独照性円(どくしょうしょうえん)禅師が、この地に移り没蹤庵という草庵を結んだのが始まりです。
しかしその後、独照禅師は、枯れた松の枝が落ちるのを見て大いに悟り、禅の教え「直指人心(直接、自分の心の奥底にある本心に問いかけて、自分の本当の姿、仏心を把握するというような意)」から寺号を定めず直指庵と称したということです。
その後、独照禅師が、明の高僧隠元(いんげん)禅師に黄檗宗を学んでこの地に招請してからは、伽藍が建ち並ぶ大寺院となりました。しかしその後、徐々に衰退して独照禅師の墓堂だけが残される状態となったようです。




ようやく幕末になって、勤皇家であった近衛家の老女、津崎村岡局によって再興され、浄土宗の庵寺となりました。
村岡局は、勤王の志士達と交わり、特に西郷隆盛らの活動を助けたことで知られる女傑です。そのため安政の大獄で捕らえられますが、その後、許されて直指庵に隠居して、付近に住む子女の教育等に力を尽くし明治六年(1873)に八十八歳で没しました。
尚、本堂は明治十ニ年(1879)に賊による放火で焼失し、地元有志の人々により明治三十ニ年(1899)に再建され現在に至ります。本堂では、本尊阿弥陀如来や文殊菩薩、願かけ阿弥陀を祀っています。





村岡局の後も、住持はその姪の寿仙尼が継いで以降尼寺となったためもあって、近年は女性の駆け込み寺として知られ、彼女らの悩みを綴った五千冊を超える「想いで草」ノートの部屋があり、悩みを綴るだけでなく相談も出来る、「癒しの寺」として親しまれています。
また、境内には、開山堂や水子地蔵尊、思い出草観音像、修練道場、村岡局の墓、与謝野晶子の歌碑等が点在しています。





境内は深い竹林や木々に囲まれて静かな風情が漂っています。
悩みが無くても、この小さな庵には、心をほっとさせる親しい雰囲気があるように感じます。
また、いつかそっと訪ねてみたい・・誰にでも門戸を開いているような親しみのあるお寺です。

鹿王院

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嵯峨野・嵐山観光で穴場的な存在が、嵯峨北堀町にある鹿王院です。
紅葉の時期でも、京福電車の鹿王院駅(嵐山駅から2駅東)で下車する人は少ないので、静かに紅葉を楽しみたい方にはお勧めです。




このお寺は、室町時代の康暦二年(1380)、足利義満が24歳の時、長寿を祈って建てた宝幢禅寺(ほうどうぜんじ)というお寺の開山塔でした。
宝幢禅寺は、開山を義満の師、普明国師(春屋妙葩)とする京都十刹の第五の名刹だったのですが、応仁の乱で、開山堂(現在の鹿王院)を残して焼失してしまいました。鹿王院のみは、その後も寺院として存続し現在に至ります。




鹿王院は、入り口=山門付近の参道が特に魅力的で、山門には、義満自筆「覚雄山」の扁額が掛けられています。(客殿にも義満筆の「鹿王院」の扁額が掲げられています)一休和尚も少年の頃(応永二年・1395年)この山門をくぐって、ここでお経を聞いた記録もあるようです。




客殿から眺める広い庭には、本堂と舎利殿が建っていて、渡り廊下で結ばれています。
本堂は比較的小さく、運慶作と伝わる釈迦及十大弟子の像や、開山普明国師・開祖足利義満の像が祀られています。その奥にある舎利殿は大きく迫力があり、鎌倉幕府将軍・源実朝が宋から将来した仏牙舎利が多宝塔に安置されて祀られています。(写真)
その前には舎利殿を中心に嵐山を借景にした枯山水庭園が広がります。
鹿王院には、その他後醍醐天皇宸翰など多くの重要文化財・古文書を所蔵しているようです。





鹿王院は、参道が冬には椿、秋には紅葉が美しく、奥には竹林もあり寺域は嵯峨野の常寂光寺に匹敵する大きさがあります。それでいて紅葉時でも1日数十人程度の、まさに穴場的な観光名所です。
嵐山観光でこのお寺に来られる方は、少し京都通という感じもしますね。
少し地味なお寺ですが、落ち着いた雰囲気は嵯峨野・嵐山周辺の喧騒を忘れさせてくれるでしょう。秋以外は広い庭を独り占めできる満足感もあります。

秋の大沢池

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大沢池に寄ってみました。

この夏、湖畔の石仏を見るために来たばかりですが、紅葉はどうでしょうか?
少し天気が悪くなってきたので、対岸の紅葉の色が見え難かったのが残念です。



とりあえず、池の周りを歩いていると、途中で時代劇のロケ中ということで、遊歩道が一部閉鎖されていました。
ドラマ名はわかりませんが、木々の間に若い町人風の男が倒れていて、そこにどうしたんだ!と別の若者が駆け寄ります。その時に、小僧が「だんな様〜」と走ってくるといったシーンのようです。ロケ隊はしばらく撮影して別の場所に移動して行きました。


大沢池の紅葉は、まずまずという印象でしたが、ここは寛げる空間です。
この日は、色々行く予定があったので長居しませんでしたが、また機会があれば来たいと思います。


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