京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

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今回は少しマイナーかもしれませんが、鳴滝方面から2つの寺院です。


右京区鳴滝泉谷町にある西寿寺は、「いずみ谷山(泉谷山)」という山号をもつ浄土宗捨世派の尼寺です。
江戸初期の寛永四年(1628)、岱中良定上人を開山として、念仏道場としてこの地に開かれました。泉谷山という山号と泉谷という地名は、この地に本堂を建立する時に泉が湧き出したことにより、現在も清水は枯れずに沸き続いけているそうです。また、この本堂を建立する際に、太陽・星・月が彫られた石が発見され、「三光石」と名付けられて鎮守社の三光石神社のご神体として祀られています。
この三光石神社では、4月と9月の友引の日に、「鳴り釜の神事」が行われています。煮えたぎる釜の鳴る音で吉凶を占うという珍しい神事ですが、明治時代以降に取りやめられていたものが、近年復活されました。
また、本堂の本尊阿弥陀如来像は平安末期の作で、江戸時代の万治元年(1658)、滋賀県甲賀郡の新宮大明神の本地仏を遷座したもので、高さ約3mあり「丈六の弥陀」と呼ばれています。
その他、西寿寺は、水琴窟(お寺では、「泉のささやき」と読んでいます)で有名で、観光客に公開はしていませんが、予約申し込み・護摩木を奉納する形で拝見できるようです。また自然葬庭園墓地、ぺット葬にも力を入れていいて、尼僧を目指す女性の方を募集支援している等幅広い活動をされているようです。





続いて、南殿・順興寺です。

右京区鳴滝松本町にある南殿・順興寺は、山号を竜華山と称する浄土真宗本願寺派の寺院です。
寺伝によれば、延徳元年(1489)、真宗中興の祖・蓮如上人が、河内(大阪)の枚方で開いたと伝えられ、蓮如上人の末子兼智(実従上人)が永禄元年(1558)から移り住んで以来、枚方御坊と称し本願寺の院家として栄えました。また後奈良天皇の勅願所となり、その際に後奈良天皇より、「南殿・順興寺」の名を賜りました。
その後、織田信長の石山本願寺攻めにより、天正元年(1573)焼失しますが、寛永二年(1625)、枚方より京都堀川丸太町に移転し、二条順興寺と呼ばれましたが、天明八年(1788)の大火に遭って焼失します。その後再興しますが、かっての栄えた姿を取り戻すことはありませんでした。昭和四十九年(1974)、現在の鳴滝の地に移転しました。
「やしょめ、やしょめ、京の町やしょめ、売ったるものはなに・・」と京都で古くから歌われている地唄万歳はこの寺に関係が深いと言われ、「やしょめの寺」と言う別名があります。
また寺宝としては、蓮如上人ゆかりの画像や文献を多く所蔵し、春季彼岸会中日に蓮如忌が行われています。

三宝寺

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右京区鳴滝松本町にある三宝寺(三寶寺)は、鳴滝方面では了徳寺と並んで知名度の高いお寺のようです。観光名所というより信仰の寺ですが、観光ガイド本で採りあげられる場合もあって注目したいお寺です。



三宝寺(三寶寺)は正式には、金映山妙護国院三宝寺と号する日蓮宗の寺院です。
寛永五年(1628 寛永六年とも)、右大臣菊亭(今出川)経季と中納言今城(中山冷泉)為尚が、後水尾天皇の内旨により、中正院日護上人を開山に迎え創建し、山号は後水尾天皇より賜わったと伝えられます。以降両家の菩提寺として栄え、最盛期には境内塔頭13を数えたと言うことです。また貴族や文化人の信仰を集め、茶道千家・千宗旦門下の四天王のひとり山田宗徧も塔頭の涼池院に住んで茶道の研究に努めたと言うことです。
その後、幕末維新の激動や東京遷都により公家等が京都を離れ東上した事等によって、保護者を失い一時衰退荒廃しますが、昭和四年(1929)、昭和天皇の即位式の建物を下賜されて移築し本堂とし、妙見堂や大黒堂を改築・再建して現在に至っています。





さて、山門を入ると、中央に本堂・方丈・庫裏等が並び、右手から石段が千体佛釈迦堂、大黒堂、妙見堂等へと続いています。
境内正面の本堂は、昭和五十六年(1981)、宗祖日蓮上人七百遠忌の際に増改築等の大修理を加えたもので、開山日護上人の作と伝えられる釈迦如来像をはじめ、日蓮、日朗、日像三上人の御真骨を奉安し、多宝如来・日蓮大聖人・子育鬼子母神等も祀ります。

石段を登ると、鐘楼(「忍辱の鐘」と呼ばれます・・・本山本法寺の開山で、将軍足利義教から迫害を受けたことで知られる「鍋かむり」日親上人の作で、三世日逞上人の代に、本法寺より譲り受けた鐘です。)を経て、昭和五十九年(1984)に再建された千体佛釈迦堂に至ります。
この釈迦堂には、日護上人の作と伝えられる半丈六尺の釈迦如来坐像が安置され(写真)、周囲に三寸立像の釈迦一千体が祀られています。「世継ぎの釈迦佛」と呼ばれ、子授けの仏様として信仰されているようです。
さらに石段を登ると、三十番神堂(日本の代表的な三十神を祀る)や最上稲荷殿(大黒天福寿尊の眷属として稲荷神を祀る)(写真)を経て大黒堂に至ります。
平成七年に再建された大黒堂には、三面大黒福寿天祀ります。伝教大師最澄作と伝えられる仏像で、秘仏として60年に一度、甲子の年に開帳されるそうです。

石段を登りつめると奥の院になる、昭和四十七年(1972)再建の妙見堂があります。
前に少し書きましたが、「洛陽十二支妙見」の「鳴滝の妙見宮」「戌の妙見様」として知られます。堂内には開山日護上人の作と伝わる北辰妙見大菩薩を祀り、開運厄除け、方除け等の神として信仰を集め、又願が叶うところから「満願妙見宮」とも呼ばれていると言うことです。特に戌歳生まれの人の守護神として、犬が子を多く生み安産に通じるところから安産祈願所としても有名で、近くには「子宝犬」の石像も置かれています(写真)

また妙見堂のすぐ下には、「縁結びの塔」があります。(写真)
これは、豊臣秀頼、淀君、国松丸の供養塔ですが、いつしかこの塔を撫でて願えば、良縁を得られると信仰されてきました。三宝寺の開祖・菊亭経季の夫人・古奈姫が秀吉の側室淀君の姪(古奈姫の養母常高院は淀君の妹)に当たるところから、この供養塔は古奈姫が建てたと考えられているようです。





また、参道を外れ、山道を進むと、茶道宗偏流の流祖山田宗偏(1627〜1708)が若き日、塔頭「凉池院」に住し茶室「四方庵」を建てていた跡地に十世山田宗偏家元によって記念碑が建てられています。(写真)山田宗偏は、後年江戸に入り赤穂義士の大高源吾に吉良邸の茶会の日を教え討ち入りを助けたことで有名な人物です。また、山田宗偏を顕彰して建てられた茶室「松宝庵」があります。

その他、境内墓地には仁孝天皇皇子・寂光院の墓(写真)や菊亭(今出川)家、今城(中山冷泉)家の墓等があります。また、宝暦年間(1751〜63)に京都御苑内の旧今出川邸より移植した「車返しの桜」があります。美しさのあまりに天皇が車を返したと言われる名桜で、円山公園の枝垂れ桜と姉妹の名桜と言うことです。また境内中心にある楊梅(やまもも)も樹齢七百年の古木として注目されます。

山国神社

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常照皇寺と同じ京北地区からです・・。

右京区京北地区(旧・北桑田郡京北町)では桂川と平行して国道477号線が走っていますが、この国道の左右には多くの小さな神社が点在し、神様に守られた道といった感じです・・山国神社、山国護国神社、稲荷神社、金毘羅神社、日吉神社、御霊神社、天満宮社等、熊野神社等が国道左右に建っています。今回は、この中で一番観光名所的に知られている山国神社を採りあげました。
毎年10月22日、「京都三大祭」の一つ「時代祭」の武者行列の先頭を進む維新勤皇隊の鼓笛隊として知られる山国隊は、この京北地区山国が発祥の地で、この神社は山国隊ゆかりの神社です。






右京区京北鳥居町宮ノ元(旧京北町鳥居宮ノ元)、国道477号線からの真っ直ぐな参道が印象的な山国神社(やまぐにじんじゃ)は、延喜式内社にも選ばれた平安時代以前からの古社と伝えられ、祭神は大己貴命(おおなむちのみこと=大国主命 おおくにぬしのみこと)です。

光仁天皇の宝亀年間(770〜80)の創建と言われ、平安遷都(794)の際に大内裏造営のための木材をこの山国郷で調達しました。以降この地は御杣料地として定められ、本殿を造営、遷都造営工事の際に大工寮修理職(しゅうりしき)の指揮を採った和気清麿呂が、祭主として奉仕したと伝えられます。
その後、大嘗祭の際の悠紀・主基の両殿建設の際には、この地から材木を調達することが恒例となったそうです。三条天皇の長和五年(1016)に神位正一位と菊花の紋章を賜り、春日・加茂・御霊・日吉の四社を建立して五社明神としたと言うことです。

その後、源平の兵乱の際に破壊され、四条天皇の天福元年(1233)再建されました。鎌倉時代末の元弘の乱(1333)の際に再び破却され、室町時代の管領細川頼之がこの地に隠棲した際に社殿の復興を将軍に執奏、応永六年(1399)に復興されました。
この時足利義満が「丸に二引」の徽章を奉納し、以来この紋を神社の紋としています。その後、後陽成天皇の慶長元年(1596)に再建され、明治六年(1873)に郷社、同三十三年(1900)府社に列格されました。境内社として、春日神社、蛭子神社。飛地境内社として御霊神社(京都市右京区京北比賀江町坊ヶ瀬)、末社に八幡社があります。





さて、山国隊です。
幕末の慶応三年(1867)、王政復古の政変に際し、朝敵となった徳川幕府討伐のために勤皇隊組織の檄文が、皇室御料地として皇室との関係が深いこの山国庄にも廻りました。
地元の庄屋らが直ちに83名の農民部隊を結成します・・これが後の山国隊で、この山国神社で出陣の誓いを行いました。翌年、山国隊士は上京し、一部は御所や京都市中の警護に付き、35名の隊士は鳥取因幡藩士と共に関東や東北地方に転戦しました、(尚、明治二年、この戦いで戦病死した山国隊7名の霊が山国神社の東北にある山国護国神社に祀られ、以来毎年慰霊祭が行われています。)

さて、明治二十八年(1895)に、平安遷都1100年を記念して創建された平安神宮の記念すべき第1回の時代祭の際に、この山国隊の人々が参加して、大正七年頃までの25年間を祭りの先頭を行進しました・・・こうして今でも時代祭りの先頭を、維新勤皇山国隊が歩くことになっています。
そして、山国神社の毎年10月の例祭「還幸祭」でも維新勤王山国隊の行進が行われています。「山国隊軍楽保存会」の人等が鼓笛を奏楽しながら進み、御輿行列が練り歩きます。この様子は「京都の自然200選」のひとつに選ばれていて、普段は静かな山国神社周辺もこの時は多くの見物客が集まるようです。この祭事は未見ですが、山を背景にした長い行列が「絵」になるようで、一度見たいと思っています。

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常照皇寺の続きです・・・・。

山奥にある寺院と言えば、山岳修行の厳しさを感じさせる寺院が多いですが、常照皇寺は京都市内でも最北端に位置しながらも、皇室ゆかりのお寺らしい雅な雰囲気が漂っていることが最大の魅力です。
境内周辺は、古くから寺の所有林として豊かな自然が保持されて来た地域で、ツガ、モミ、五葉松等の林に覆われていて、京都府の歴史自然環境保全地に指定されています。(12,000平方m)
この自然の豊かさと京風の優雅さが適度にマッチしているお寺は、京都でもそれ程多くない気がします。白洲正子さんが「かくれ里」の中で、このお寺を気に入って採り上げているのもその辺りのことがあるのではないかと思います。





さて、庫裡から書院を抜けて方丈から庭を拝見します。
まず方丈の背後の裏山斜面に多数の石組を積み重ねた庭が造られています。(写真)
またこの裏山には、「旧光厳法皇 巡遊路」といって、創建当時に光厳上皇が歩いたという約1キロ程度の自然散策路が整備されていて、1周約30分のコースのようです。

ようやく桜です・・・常照皇寺には境内に「九重桜」「御車返しの桜」「左近の桜」の3つの名桜がありますが、開花時期がずれる為に3本全てを満開状態で見ることは出来ないです。
今回は天然記念物指定の九重桜が散り始めで、緑が目立ったのは残念でしたが、その他の桜は綺麗に咲いていました。

一番有名な「九重桜」は、種類は江戸彼岸桜で、根元の周囲4.4m、周囲3.6m、樹高10m、最大枝張り11m、枝回りが最大20mあるといわれる美しい巨木の枝垂桜です。枝が長く垂れてまるで花のシャワーのような見事さです。
この京都屈指の名木を目的に多くの人々が集まりますが、それもそのはずで、この桜は樹齢約630年という驚異的な古木で、南北時代にこの山里へ隠棲した光厳天皇の厳しい暮らしを慰めるため、皇弟光明天皇が都から持参し共に手植えしたものと伝えられ、国の天然記念物に指定されています。(善峰寺の遊龍松、太田神社のカキツバタ群等と共に京都府下数少ない国指定天然記念物)
開花時期は毎年4月中旬頃ですが、元々花が小粒で繊細なのに加え、さすがに老いて開花時期も3〜4日程度と短くなってきているので、ピーク時を見られるのは運次第、また開花情報の収集も大切のようです。しかし葉桜でもやはり趣があります。とにかく必見の桜と言えるでしょう。(写真)






また、方丈前の「御車返し(みくるまがえし)の桜」は、一重と八重が一つの枝に咲くという豪華な桜です。こちらは樹齢約400年、江戸初期の後水尾天皇がその美しさに魅かれ何度も車を返して、別れを惜しんだと伝えられます。こちらも老木で衰えがありますが豪華な花を咲かせていて安心しました。(写真)
もう一つの名桜は、「左近の桜」で、こちらは岩倉具視が京都御所紫宸殿の「左近の桜」より株分けし手植したと伝えられます。(写真)

一つひとつの老木の歴史が、近年植えたその辺りのソメイヨシノとは違う年月の重み、格調を感じさせます。毎年ここを訪れて、これらの老木の無事な姿を見守って、自分の人生に置き換える方もあるというのもわかる気がします。

その他境内には舎利殿や開山堂(怡雲庵(いうんあん)があり多数の仏像と位牌が納められています。(写真)周りには石楠花も咲いていてこの小さな山寺に相応しい優しい雰囲気が漂っていました。
最後に、境内に隣接する光厳天皇の山国御陵、寺域を拡大した後花園天皇の後山国御陵を参拝しました。(写真)





山里らしい常照皇寺の素朴な茅葺きの方丈や開山堂と、桜の花の対比は素晴らしく、また紅葉も見応えがあります。JR京都駅から1時間20分程度かかりますが、それだけの価値のある(特に春は必見)お勧め寺院です。

常照皇寺その1

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今月は幾つか桜の名所に行ってみましたが、その中で一番好きなお寺といえば、やはり常照皇寺(じょうしょうこうじ)かもしれません。常照皇寺は桜だけでなく紅葉も綺麗で、夏場も山寺らしい趣の有るお寺ですが、一番はやはり桜の季節でしょう。





さて、右京区京北井戸字丸山(以前は京都府北桑田郡京北町と呼ばれましたが、平成十七年(2005)に京都市右京区に編入されました)にある常照皇寺は、正式には大雄名山万寿常照皇寺(だいおうめいざんまんじゅ)常照皇寺と称する臨済宗の京都嵯峨天龍寺派のお寺です。以前は常照寺と略称していたそうです。

常照皇寺は、南北朝時代の北朝初代・光厳(こうごん)上皇が、貞治元年(北朝 1362)=正平十七年(南朝)に、この地に庵を設けたことに始まります。一説にはこの地にあった天台宗梶井門跡系の成就寺(じょうじゅじ)という廃寺を改めたとも伝えられます。
光厳上皇は、足利尊氏に擁立され18歳から21歳まで僅か3年間天皇位にあり、その後、南北朝の騒乱の中で上皇として30年余りの激動の生涯を送りました。特に晩年、京都を奪回した南朝軍により、弟の光明、子の崇光両上皇と共に捕らえられ、南朝の本拠地・大和賀名生(奈良県五條市)にまで連行され数年間軟禁状態に置かれました。そしてようやく釈放されると出家して、諸国を行脚しこの山奥に落ち着いたとも伝えられます。そして2年後貞治三年(北朝)、51歳で死去しました。

その後、上皇の菩提を弔うために禅宗寺院として整備され、特に南北朝統一後の第102代・後花園天皇が、境内裏山の万樹林や小塩田260石等を五代溯る先祖の光厳上皇への香華料(こうげりょう)として献納し広大な寺領を得ました。その後は皇家と地元檀家が力を合わせて護寺に努めてきたと言うことです。





戦国時代末期、織田信長の命を受けた明智光秀が丹波攻略戦を展開し、天正七年(1579)、東丹波の波多野氏に続いて、この京北の宇津氏を滅ぼしました。そしてこの地に周山城を築いて支配を固めます。これに対し山国周辺の豪族が最後の抵抗を試みますが光秀軍に制圧されました・・この戦乱の際に、常照皇寺も全山焼失破壊されたと伝わります。
その後、江戸時代に後水尾天皇の援助で漸次回復し、明治時代には皇室ゆかりの寺院として下賜金を得たことにより堂宇庭園を拡大しました。しかし昭和の敗戦後は皇室からの援助も跡絶え、多くの寺田や資産を失って衰えますが、その後現在のような姿に復元してきたと言うことです。





さて、山国御陵前のバス亭からなだらかな舗装道を登ると、先ず迎えてくれるのが門前の八重桜です。(写真)、遅咲きの新しい桜ですが、これだけでもここまで来る価値があるかもしれません。常照皇寺の境内の「九重桜」、「左近桜」、「御車返し」の3つの名桜が老木なのに対し、こちらは元気があるようです。(写真)その向こうに小さな山門があります(写真)

尚、山門の右手からも参道が山際まで続いていますが、こちらは常照皇寺ゆかりの光厳天皇の山国御陵、後花園天皇の後山国御陵へと続きます。また後土御門天皇の分骨所でもあります。

山門からなだらかな石段が続き、中門の勅額門を抜けると、左右に山寺らしい斜面を利用した石組の庭が広がります。右には碧潭池と呼ばれる池があり、正面に皇室ゆかりのお寺らしい堂々とした勅使門が見えます。
このお寺は志納制です。美しいお寺なので庫裡で志納金を多目に払うことにしました。書院を抜けて広い方丈から庭を拝観しました。ここには釈迦如来像が高い位置に祀られています。(写真)


次回に続きます。

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