京都を感じる日々★マイナー観光名所、史跡案内Part1

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

京都御苑周辺

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仙洞御所1(大宮御所)

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京都御苑内の仙洞御所を拝観してきました。

仙洞御所は、桂離宮、修学院離宮、京都御所(京都御所は一般公開日が設定されていますが)と同じく、宮内庁への申し込みが必要です。



私は、今年の秋は、この仙洞御所、桂離宮、修学院離宮の3ヶ所をネット予約しています。
ネット枠は少ないようですが、4ヶ月先から受付しますので、希望日の4ヶ月前の月初めに速攻で申し込むと、だいたい許可が出ます。桂離宮や修学院離宮は数年前の新緑の頃に嫁と行ったのですが、今年は紅葉を見られそうです。



ついでに、私の母は、長年京都に住んでいながら、修学院離宮以外は見たことがないようなので、桂離宮と仙洞御所をネットから申し込んでみると、仙洞御所は一発OKでしたが、さすがに最難関の桂離宮は、紅葉の11月中の希望日は3度トライするも全てアウト。ようやく12月初めでなんとかOKをもらいました。それでも母は喜んでいるようです。



芸術に関心が無い父は、自然豊かな修学院離宮の方が好きらしく、桂離宮は昔行ったけど、つまらなかったから行かなくてもいいと、母に言ってきたようで、母もそういうものかと思って見ていなかったようです。しかし、せっかく京都にいながら見ないというのも・・・と私が予約した次第です。



白洲正子さんも、日本の庭では桂離宮と修学院離宮だけを日本の名品100選に選んでいますので、どちらも必見です。とりあえず京都で一番見てもらいたい場所のひとつです。




私は、桂離宮と修学院離宮に比べて、仙洞御所には関心が薄かったので、今回が初めてになります。


長い築地塀に囲まれた仙洞御所の拝観の受付は、仙洞御所の正門ではなく、北側の大宮御所の正門となっています。
地図上では、仙洞御所の北西の一角に大宮御所があるといった感じです。
実は昔はこの両御所は土塀ではっきりと区切られていたのですが、土塀が崩れたた後も修復されないままで、今ではひとつの御所のようになっているそうです。



現在、仙洞御所と呼んでいる場所は、かっての仙洞御所に残る庭園のことを指していて、仙洞御所の北にある建物が、大宮御所ということになります。



さて、仙洞御所は、皇位を退いた天皇(上皇)の御所で、江戸時代初期の寛永七年(1630)に後水尾上皇の御所として完成したものです。
北には東福門院(後水尾上皇の皇后、将軍徳川秀忠の娘和子)の女院御所も造られました。
実は、仙洞御所は、後水尾上皇の時代に3度も焼失し再建されたそうで、以後5代の上皇の御所として使われてきましたが、嘉永七年(1854)の大火で京都御所と共に焼失してしまいます。
当時上皇も女院もいなかったことから再建されないままになり、現在は庭園に2つの茶室があるだけです。




大宮御所は、皇太后の御所です。
現在の建物は、慶応三年(1867)に、英照皇太后(孝明天皇の女御)のために、女院御所の跡に造営されたもので、明治時代になり英照皇太后が東京に移った後は、御常御殿(おつねごてん)のみを残して整理され、現在に至っているようです。




大宮御所は、これまで天皇皇后両陛下や外国元首等が来られた際の宿舎として用いられてきました。
厳しい規則があり、世界の王族は泊まることが出来ますが、アメリカ大統領などは泊まることは出来ない規則になっています。また皇太子一家は泊まることが出来ますが、秋篠宮など他の皇族は泊まることが出来ず、ホテルに泊まることになるという厳しさです。
大宮御所は、江戸末の建物なので、照明が暗いという難点もあり、このような厳しい規則があることもあって、大宮御所の北側に、京都迎賓館が完成した現在は、皇族や外国元首ほとんどが迎賓館の方へ泊まられることになるようです。




今回の写真は、参観入口から大宮御所の建物中心です。
次回は仙洞御所の庭園をより詳しく掲載する予定です。

捨翠亭と九条池2

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前回の続きです。
捨翠亭の2階に上がってみました。2階から眺める九条池は中々良いです。

自分の庭がこんなだったらなあ・・こんな場所なら1日居ても良いなあ・・という貴族気分が味わえます。2階は私だけで、つい寝転がりたくなりましたが・・していませんよ。

この捨翠亭は、茶会や句会等の利用で一般解放されていて、平日1日利用1万2千円、
半日6千円(土日は料金アップ)だそうですが、
普通の参観料100円で貴族気分を味わえるのだから、それで十分です。お勧め。

捨翠亭と九条池1

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京都御苑の南西には、捨翠亭と九条池があって一般公開されています。
公開は、毎週金土の午後3時半までです。


この地は、五摂家(一條、ニ条、鷹司、近衛、九条という、摂政関白に任じられる家柄)の一つ九条家の邸跡です。九条池には、前に取り上げた厳島神社がありますが、九条家の鎮守社だったものです。また捨翠亭は、九条家の茶室別邸でした。


捨翠亭は、江戸後期の数奇屋風の書院造りの建築で、主に歌会や茶会に使われてきたものです。
九条家の建物は明治に入り取り壊されましたが、捨翠亭だけは残されることになりました。
その後、老朽化から何度か部分改修され、平成12年に出来るだけ現状維持する方向で全面改修されて、翌13年に完成しました。


「捨翠」亭という名前には、緑の草花を集めるという意味があり、平安時代の貴族が草花を摘んで楽しんだというところから名づけられたそうです。また、現在でも九条池に時々来るという美しいカワセミからとられたとも言われているそうです。
改修以前は、2階部分は危険なため公開されていなかったのですが、現在は2階にも上がれるようになりました。

次回は2回からの眺めを少しご紹介します。

京都御苑の公家跡

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また面白くない話になりますが、江戸時代まで、今の京都御苑には、200もの公家屋敷が立ち並んでいたそうです。現在、京都御苑の北には、現存する唯一の公家屋敷の冷泉家があります。


江戸時代末の慶応年間の公家屋敷図によれば、京都御苑には、大きな屋敷としては、北に近衛家と桂宮家、西北に一條(一条)家、中央に有栖川宮家、西南に嘉陽宮家と閑院宮家、南に九條(九条)家と鷹司家があったことがわかります。


現在、京都御苑内の公家邸跡の木標としては、近衛邸跡、桂宮邸跡、一條邸跡、有栖川宮邸跡、西園寺邸跡、九條(九条)邸跡、鷹司邸跡、嘉陽宮家跡の標示がされています。
閑院宮邸跡は庭園屋敷が再建され公開されていることは前に少し書きましたが、九條(九条)家の遺構の捨翠亭も改修され公開されています。


その他、それ程重要でない公家も、立て札により夫々の公家邸の位置がわかります。「明治天皇誕生の地(中山家跡)」「和宮生誕の地(橋本家跡)」「北清水家の椋(北清水家跡)」です。

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京都御苑周辺の建物から・・旧下村正太郎邸(大丸ヴィラ)です。

場所は烏丸丸太町。この前登場した新島襄の旧邸とは、京都御苑を挟んで対称的な位置ですね。


ここは、昭和7年(1932)、時の株式会社大丸百貨店の社長下村正太郎氏の邸宅として建てられた洋館で、現在は株式会社大丸の所有になっています。
以前は、大丸の外商顧客のイベント会場として使用されていた建物ですが、現在では非公開です。



前に登場した駒井邸と同じく、W・M・ヴォーリスの設計です。
ヴォーリスの設計作としては、京都市内では他に、同志社大学アーモスト館、東華菜館(旧八尾政レストラン)、京都メソジスト教会(京都御幸町教会)、旧京都帝国大学YMCA会館(京都大学YMCA館)、京都大丸等が残っています。



依頼主の下村正太郎氏が芸術に詳しい人だったため、鉄筋コンクリート3階建てですが、16世紀イギリスのチューダー朝様式の凝った建物になっています。


木々に囲まれていて、どこかチューダー朝の女王、エリザベス1世とかに出会いそうな?雰囲気があったりします。家具も、同じく16世紀風に作られているということで、凝りに凝ったというところでしょうか。
昭和59年(1984)に京都市登録有形文化財に登録され、家具の一部も文化財に追加登録されています。


建築ファンならずとも1度は見てみたい建物です・・公開が待たれますね。
今回は、閉ざされている厚い門の上にカメラを設置してなんとか撮影しました。


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