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さて、安楽寿院の続きです・・
現在の安楽寿院の境内は、京都市指定の史跡に指定されているように落ち着いた佇まいです。
書院の左には、鳥羽離宮の発掘調査を行った杉山信三博士(1906〜97)の調査に基づいた鳥羽離宮復元鳥瞰図の石標がありますが、現在の安楽寿院は少し地味な印象の寺院なので、鳥羽離宮についての基礎知識が無いと、歴史的な面白さを感じ無いということも有るかもしれません。
前述したように、安楽寿院は鳥羽・近衛天皇陵を含む広い敷地を持っていましたが、陵墓地は明治以降に宮内庁所管となり、現在は書院、庫裏、阿弥陀堂、大師堂、三宝荒神社等が立ち並んだ狭いものになっています。
書院と庫裏は、寛政七年(1795)の建立で、同一の建物を内部で書院と庫裏に分けています。この建物は、元は安楽寿院六子院の一つ塔頭・前松院の建物でしたが慶長年間(1596〜1615)移設したものということです。また、この書院前には、築山の刈り込みが特徴的な江戸時代初期の枯山水庭園があり、これも特別公開されました。
また、書院と庫裏の前庭にある石標には「明治天皇御小休所安楽寿院」と刻まれています。(写真)これは明治五年(1872)に明治天皇が全国を巡幸した際に、この地で休憩したことを示しています。(尚、昭和の初期までは天皇関係史跡は「明治天皇聖蹟」等と呼ばれ、全て国の史蹟に指定されていましたが、終戦後に全て指定解除されています。)
阿弥陀堂は、昭和の台風の被害がもとで倒壊した堂(本御塔の後身)の代わりに、本尊・阿弥陀如来坐像を祀るために昭和三十四年(1959)建立されたものです。
また、大師堂は、慶長元年(1596)の山城伏見の大地震で新御塔が倒壊した際、応急措置として集められるだけの材料で、とりあえず仏を祀るために建てたものといわれます。新御塔の方は慶長十一年(1606)に豊臣秀頼によって復興されましたが、この御堂の方は勤行堂としてそれ以後も使用され、その後現在地へ移築され大師堂として弘法大師像を本尊として祀ったということです。大師堂には他に大日如来、薬師如来、聖観音、十一面観音、千手観音、地蔵菩薩、不動明王、歓喜天など旧塔頭の仏像が祀られているということです。
鐘楼は慶長十一年(1606)に豊臣秀頼が安楽寿院を整備した際に建立された建物ですが、現在は柱や梁に当時の材を残すのみで、梵鐘は元禄五年(1692)に鋳造されたものです。
また三宝荒神社は、何度も火災に遭ってきた安楽寿院をこれ以上火災に遭わないように、慶長十一年(1606)に復興された際に、火災除けに荒神を勧請したもので、その霊験からか以後の四百年間は一度も火災に遭っていないということです。
さて、平成十八年(2006)に完成した収蔵庫(新本御塔)には、中央に本尊の阿弥陀如来坐像が祀られています。
本尊の阿弥陀如来坐像(重要文化財)は平安末期の作で、鳥羽上皇の念持仏と伝えられ、胸に卍が記されているため「卍の阿弥陀」とも呼ばれています。元々は、保延五年(1139)に建てられ鳥羽上皇の遺骨を納めた本御塔の本尊と推定されていていますが、鳥羽離宮の造仏はほとんど円派仏師(定朝の弟子長勢を祖とする京都の仏師集団)が担当していたことから、賢円、長円等の円派の作と考えられています。光背と台座は天文二十二、二十三年(1553、1554)頃に修理が施されていますが、全体的にこの時代の他の仏像と比べると、面長な顔や細く長めの胴部等、定朝一派の造仏とは違った特徴があり、この時期の円派一派の貴重な遺品といえます。
他に寺宝として、朱雀明王画像(鎌倉時代 重要文化財指定)、普賢菩薩画像(鎌倉時代 重要文化財指定)、阿弥陀二十五菩薩来迎図(鎌倉時代 重要文化財指定)があり、この三点は普段は京都国立博物館に寄託されています。
他に宝冠阿弥陀如来像(奈良奈良国立博物館へ寄託)、中尊寺経の一部(三巻)、室町末期から近世初期の作と考えられる鳥羽上皇・美福門院・八条女院画像、豊臣秀吉や徳川歴代将軍朱印状、澄禅筆種子曼茶羅、大般若経六百巻(内十巻は平安時代初期の作)、明月記断簡などを多数の寺宝を所蔵しています。(今回の特別公開では、これらの寺宝のほとんどが収蔵庫(新本御塔)内で展覧できました)
また、平成十八年(2006)九月から、安楽寿院収蔵庫(新本御塔)周辺の境内の東西南北三十メートル四方の敷地に、かつての鳥羽離宮の庭園の一部を忠実に再現する試みが行われています。
昭和四十六年(1971)から鳥羽離宮跡では断続的な発掘調査が行われて、これまでに多数の庭石が出土していました・・南殿跡からは、御所跡・園地・遣水、北殿跡からは、勝光明院阿弥陀堂と推定される基壇や園地・中島、東殿跡や安楽寿院旧境内では、大規模な園地や中島、田中殿跡や金剛心院境内では釈迦堂・九体阿弥陀堂や園地、馬場殿跡周辺からは庭園の一部が発見されましたが、これら調査で発見された景石を安楽寿院収蔵庫の周囲に移築して、鳥羽離宮時代の庭園を復元する試みです。景石の大部分は高野川流域から採取され、和歌山県周辺部から運ばれてきたと推定される和泉砂岩や緑色片岩もあるということです。これら大小約六十個の石を再利用して、池(玉砂利を敷いています)や滝組、舟着場等をできるだけ忠実に再現していますが、まだ未完成で、今後も造園が続けられるということです。
その他境内には、平安時代の三尊石仏、鎌倉時代の石造五輪塔(重要文化財)、「冠石」等があります。
平安の藤原時代の貴重な遺仏といわれる三尊石仏は、薬師三尊・釈迦三尊・阿弥陀三尊の石仏で、江戸時代の享保年間(1716〜35)に成菩提院跡から出土したと伝えられています。
元々は三体並んで祀られていましたが、材質が軟らかい凝灰岩で、昔はこの石仏の体を削って水で練って子供の顔に塗ると、湿疹が直るという信仰があったために削られ、摩滅して傷んでいます。そこで、一番破損が少ない阿弥陀三尊は、京都国立博物館で保管されています。(阿弥陀三尊像は写真パネルの展示がありました。)
境内の一番端に当たる離れた場所には、高さ約三メートルの石造五輪塔があります。
鎌倉時代の弘安十年年(1287)の年号が刻まれた中世の貴重な石塔として、国の重要文化財に指定されています。
また、「冠石」は、鳥羽上皇が鳥羽離宮に入って堂宇を増築する際に、この石の上に冠を置いてこれを中心に造営したと伝えられる石です。さらに、その左には、「白河法皇 鳥羽法皇 院政之地」と記された石碑があります。
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