京都を感じる日々★古今往来Part2・・京都非観光名所案内

京都を感じる日々★古今往来part1・・京都非観光名所案内のニューバージョンです。

山科区

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大石神社その2

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大石神社の続きです・・

さて、明治元年(1868)十一月、明治維新によって、京都を出発し東京に向かった明治天皇の一行は、江戸入城に先立って高輪泉岳寺前に勅書と金一封を贈りましたが、その勅書は、大石内蔵助以下の赤穂義士を表彰したもので、「汝良雄等 固ク主従ノ義ヲ執リ仇ヲ復シテ法ニ死ス 百世ノ下人ヲシテ感奮起セシム 朕深ク嘉焉賞ス」と記されていました。
これは、江戸の庶民に人気のあった赤穂義士を顕彰することで、明治天皇以下の新政府に対して、人々が忠誠心(内蔵助らを模範とした)を表明することを期待するというメッセージが込められていました。

元々、赤穂義士の討ち入りは、江戸時代から人形浄瑠璃・歌舞伎の人気題材として「仮名手本忠臣蔵」等「忠臣蔵物」と言われる人気ジャンルとなっていたのですが、幕府を憚って登場人物を太平記の歴史上の人物に置き換えていました。しかし、明治以降は、幕府を憚る必要が無くなって実名での上演が可能となり、明治天皇のお墨付きをもらったこともあって、益々民衆に支持されて上演回数を重ね、講談や浪曲、映画、文芸等の題材にもなっていきます・・・今回の大石神社の創建も、この内蔵助らの人気が背景にあったことは言うまでもありません。

そして、現在でも忠臣蔵はたいへん人気があることから、大石神社には一年を通して多くの参拝者があります。近年では、平成十一年(1999)には、NHK大河ドラマ「元禄繚乱」放映に合わせ儀式殿を宝物殿に改築し、平成十三年(2001)より十五年(2003)にわたる「大石神社忠臣蔵三百年記念祭」の記念事業として、平成十四年(2002)に拝殿の銅板葺き替えを行い、参道の整備や神木の枝垂桜の整備等を行っています。



さて、本殿の左にあるのが、天野屋利兵衛を祀る末社の義人社です。
忠臣蔵に登場する天野屋利兵衛(あまのやりへい)は、大阪の本町橋に店を構えていた北組惣年寄の豪商といわれます。(京の呉服商・安田善右衛門、または綿屋善右衛門がモデルともいわれます)

利兵衛は討入りの際に赤穂義士に武器を調達し資金面でも援助しましたが、討ち入り前に準備していた武器を発見され、奉行所に捕まって拷問を受けます。しかし、赤穂義士が本懐を遂げるまでは決して白状しなかったといわれ、「天野屋利兵衛は男でござる」 の名ゼリフで知られています。
前述したように、この末社は、昭和十三年(1938)に大石神社創建に関わった吉田大和之丞が、赤穂義士を助けた義商・利兵衛を祀るために創建したもので、「商売の神様」 と言われ、現在も商売繁盛のご利益があるとして信仰されています。

(尚、前にブログに登場した地蔵院(通称「椿寺」 北区大将軍川端町)には「法正院空誉上斉善士」と刻まれた利兵衛の墓があります。また、これもかなり前にブログに掲載した「赤穂義士の寺」こと本妙寺(左京区北門前町)には、綿屋善右衛門が建立したという赤穂義士の吉田忠左衛門・子の沢右衛門と貝賀弥左衛門(吉田忠左衛門の実弟)夫妻の墓(三名の遺髪を納めます)があり、さらに、聖光寺(下京区寺町綾小路上ル かなり前に訪問したのに未だブログ登場待ち状態)には、大石内蔵助の実母・お熊の墓と共に「安田善右衛門好時」の名前で利兵衛の墓があり、寺の山門横には「天野屋利兵衛は男でご座る」の石碑があります)



さて、本殿の右にある枝垂桜は、神社の建設が認可された昭和八年(1933)から、この地に生育していた枝垂桜を整備して境内に定植させたもので、昭和十年(1935)の御鎮座の際に御神木としたものです。戦後は、その美しさで参拝者や地域の人々に親しまれ、「大石桜」と呼ばれるようになり、毎年四月の第一日曜日には「さくら祭」が催されています。「さくら祭」では、琴の演奏、武者小路千家による献茶式等が行われ、そば席や子供たちへの露店等もあります。(今回の訪問時は、桜はピーク過ぎでしたが)


また、境内にある宝物殿(無料)には、大石内蔵助良雄、小野寺十内秀和、大原源吾忠雄、中村勘助正辰の各書や、内蔵助の山科隠棲宅の欄間片、浅野内匠頭長矩の肖像画、享保十四年筆の義士四十七士図(三幅軸)、忠臣蔵横幟、四十七士図屏風、堂本印象画の山桜図陶板、吉田大和之丞(奈良丸)画の富士の図衝立、東映歴代大石内蔵助役の俳優写真等が展示されています。

大石神社の祭典・神事としては、元旦の「初詣 (歳旦祭)」、二月四日の「自刃命日祭(祭神の大石公以下四十六義士の切腹した二月4日に自刃命日祭として、慰霊神事が斎行されます)」、
四月の第一日曜日の「さくら祭」、四月十四日の春季大祭、七月の最終日曜日の「大石公山科隠棲祭(大石公が赤穂を離れ、二十八日京都山科、西野山の里に住いした日を記念するもので、平成三年より新暦に改め七月最終日曜日に夏祭として行われ、夕涼み落語会、子供たちへの露店などがあります。)そして、十二月十四日には「義挙大祭 (義士祭)」、大晦日に「大祓式」があります。


最後に、大石神社だけでなく、山科区を代表する年中行事として知られる「山科義士まつり」について書いてみます・・昭和四十九年(1574)に始まったこの行事は、山科区全学区の自治連合会と山科区地域女性連合会、山科経済同友会を中心にした実行委員会が運営し、討ち入りのあった毎年十二月十四日に行われています。

メインになるのは、華麗な時代行列です。
討入り当時を再現する四十七士による「義士行列」は、義士表門隊、義士裏門隊と二体で構成され、また、幼稚園児による四十七義士(幼児達の行列なので、距離は山科駅から三条通周辺のみ)、浅野内匠頭の妻・遥泉院をはじめとする女人列、祇園一力亭での様子を再現する婦人舞踏列等の総勢二百五十人のボランティアによる華麗な行列が、山科北山麓の毘沙門堂(以前のブログの記事を参照ください)を出発し、約六キロ先の最終目的地・大石神社へと向かいます。
また、行列途中の舞台では、東映太秦映画村の協力を得て、「刃傷松の廊下」や「切腹」「連判状改め」「討ち入り」などの芝居が行われ、女性陣による「大石音頭」、「元禄花見踊り」が華やかに行われます。

さて、行列は、午前十時に毘沙門堂を出発します。また、行列に先駆けて大石内蔵助、大石主税、遥泉院らの行列代表者が、大石内蔵助が建立した浅野内匠頭長矩の墓のある瑞光院で墓前に礼拝を行います。瑞光院の代表者と合流した行列は、山科の市街地中心部のJR山科駅や市役所を経て、西野山方面に移動し、岩屋寺で再び大石内蔵助、大石主税、遥泉院ら行列代表者が礼拝をし、最後の大石神社に午後3時頃に到着し神社に参拝します。
大石神社境内でも義挙大祭が催行され、献茶や献花、浪曲、剣舞、剣道などが行われ、参道にも多くの屋台が出て賑わいます。


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