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京都市左京区岩倉下在地町にある心光院(しんこういん)が、京都古文化保存協会主催の「京都春季非公開文化財特別公開(5月1日〜10日)」で特別に公開されました。心光院が一般に公開されるのは、今回が初めてということで、今期の「京都春季非公開文化財特別公開」で最も注目されている寺院といえます。
(ただ、この古文化保存協会の特別公開は、毎回一〜数箇所のかなりマイナーな非公開の寺社が登場するので、京都を知り尽くしたような文化財ファンにはコアな人気がありますが、一般観光客受けするかという点(期間の長さ、価格面、バイトの接客&ガイダンス能力、写真撮影許可の範囲)では、観光業に不慣れな(拝観者重視ではなく、文化財保護・所有者重視のスタンスにある)協会主催らしい、一般拝観者をやや見下したような対応のお粗末さを感じるので(実際、今回もかなり怒って帰る拝観者を目撃しました。)、他府県からの一般観光客には、まずは、観光ビジネスとして明らかに手馴れている京都市観光協会主催「京の冬の旅」の特別公開の方をお勧めします。(販売されている「拝観の手引・・このパンフは今回カラーとなり、価格的にリーズブルだと思います・・」を引用して書いてみます。)
さて、心光院は、正式には紫雲山専寿寺心光院という浄土宗鎮西派寺院です。
江戸時代初期の正保二年(1645)に、唯称房知空大徳(ゆいしょうぼうちくうだいとく 1616〜80)上人が創建しました。上人は諱(いみな)を知空、字(あざな)を唯称、覚雲といい、元和二年(1616)に京都に生まれました。唯称上人は幼少時より聡明で出家を望んで十四歳で剃髪得度し、以来、仏教の経蔵と論蔵を研究しました。その後、東坂本の西教寺の良澄上人に師事して、三年で倶舎論や天台三大部(法華玄義・法華文句・摩訶止観)を学び、さらに、南都の法隆寺の了性律師や法隆寺観音院の高栄法印について学び、その俊才ぶりは広く称えられました。その後、唯称上人は、高野山で戒律を学びましたが、ある時、兄の訃報を聞いて、京都に戻ったところ、悲嘆にくれる老母の姿があったということです。
これまで長く各地で修行してきた上人は、これからは母の傍で親孝行をしようと決意して孝養に努めました。そして、幽棲の地を求めて洛北の木野村(現・岩倉木野町)に来たところ、十助という農夫の供養を受けて塞耳庵(そくにあん)という一庵に案内されたと伝えられます。
塞耳庵の創建年代は不明ですが、その本尊は立派な阿弥陀如来像で、これが現在の心光院の本尊になります。また、知空上人は、塞耳庵から老母に念仏を勧める法語を送りましたが、これが「諌母草」という書物として現在まで伝わっているということです。
さて、正保二年(1645)に唯称上人は三十歳の時、新たに土地を求めて、塞耳庵を現在の心光院の地に移しました。そして、慶安三年(1650)に、本尊の脇侍として観音菩薩像と勢至菩薩像を新たに造立しました(この二像は、運慶第十九代の洛陽七条左京法橋・康知の作ということです)。承応二年(1653)十月に、老母は来迎仏を拝みながら念仏の七十二歳で大往生を遂げましたが、上人は老母が拝んだ仏来迎の様子を絵に描いて三枚折の屏風にしています(迎接曼荼羅)
その後、上人は、塞耳庵を心光院と改めましたが、これは善導大師の言葉「・・彼の仏の心光常に是の人を照して摂護して捨てず・・」に由来しています。こうして、唯称上人は延宝八年(1680)に、六十五歳で入寂しました。その後、心光院は、江戸時代後期に尼寺となり現在に至ります。
さて、心光院の見所は、ひとえに阿弥陀三尊像(木造阿弥陀如来及び両脇侍像)にあります。
心光院の山門や外観からは、このような大きな仏像が安置されているとは感じられませんが、本堂に安置する本尊・阿弥陀如来座像及び脇侍の観音菩薩像と勢至菩薩像は、重要文化財に指定されていて一見に値します。
本尊・阿弥陀如来座像は、平安時代後期、藤原時代の寄木造りで、高さ百五十三センチあり、保存状態もたいへん良いものです。作者は不明ですが、前述したように、木野村(現・岩倉木野町)にあったという塞耳庵の遺仏と伝えられます。また、両脇にある観音菩薩と勢至菩薩像は、江戸時代初期の作で像高約百十センチ、運慶第十九代の洛陽七条左京法橋・康知の作と伝えられ、正座から立ち上がろうとする跪座 ( きざ )像、大和座りの体勢で造られています。
また、他に、来迎図屏風「迎接曼荼羅(こうしょうまんだら)」、仏教修行に用いられた女性が骨と化すまでを描いた「白骨観」の掛軸、涅槃図が展示されています。
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こんにちは。木野というと以前ブログにも登場した木野愛宕社の近くになりましょうか。
さてお聞きしたい事があるのですが、お書きになられた文章から察しますに、このお寺の阿弥陀三尊は、よもや大原三千院(の少し珍しい形式)の阿弥陀三尊と似通っていませんか?
2009/5/9(土) 午前 5:12 [ hig*_p*ste2*00 ]
塞耳庵は、元々、木野愛宕社もある木野地域付近にあったようですが、廃寺のため所在地までは確認していません。三尊仏の形式は、仰る通り、大原三千院の三尊仏と似ていますね。
初公開なので、情報の少ない仏像ですが、仏像ファンの方は、一度ご覧になっても良いかもしれないと思いました。
2009/5/9(土) 午前 10:23 [ hiropi1700 ]