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今回は、かなり前にブログパート1に採り上げた浄住寺(じょうじゅうじ)を、記事を書き直し、写真を増やして再掲載します。
浄住寺は、観光寺院ではありませんが、近くの地蔵院(竹の寺)と共に、境内全域が京都市の文化財環境保全地区にして指定されていて、自然豊かな境内が心を落ち着かせてくれる好きな寺院の一つです。
普段はほとんど訪れる人はいないのですが、秋には紅葉の隠れた名所になり、また、洛西観音巡礼第三十番札所でもあります。(京都市の案内板、京都市観光情報システムのサイトから引用します)
京都市西京区山田開キ町にある浄住寺は、山号を葉室山(はむろざん)という黄檗宗寺院です。
寺伝によれば、平安時代の弘仁年間(810〜824)、嵯峨天皇の勅願によって慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん 794〜864)が天台宗寺院として開創したと伝えられ、当時は「常住寺」と称していたということです。尚、「太平記」は、鎌倉幕府軍と後醍醐天皇軍の交戦によって浄住寺が焼失したことを記した上で、浄住寺の由来について記しています・・それによると、釈尊入滅の際、捷疾鬼(しょうしつき)という鬼神が、釈尊の一本の歯を奪って逃亡して、これを韋駄天が追跡して奪還しましたが、この歯は、後に中国の道宣律師(どうせんりっし)を経て日本に伝来し、嵯峨天皇によって浄住寺の石窟に安置されたということです。
このような、釈迦の聖遺物の伝承が伝えられていたことからも、創建当時は由緒ある勅願寺院だったと想像されますが、その後衰退し、鎌倉時代の弘長年間(1261〜1263 弘長元年とも)に、藤原北家勧修寺流の流れを汲む公家、葉室定嗣(はむろさだつぐ 1208〜72)が、大和国(奈良県)西大寺の興正菩薩叡尊(こうしょうぼさつえいそん 1201〜1290)を中興開山に請じて「浄住寺」と改称し、この時から宗派を律宗に改めています。(叡尊の自叙伝の古写本である「感身覚正記(かんしんがくしょうき)」に、当寺が律宗寺院であったことが記されているということです。また、この時期が、浄住寺の実際上の創建とする説があります)
その後、葉室家の菩提寺として栄え、正慶二年(1323)の絵図によれば、本堂・鐘楼・舎利殿など多くの堂宇が立ち並んでいた様子が描かれているということです。しかし、鎌倉時代末期の元弘三年(1333)四月、六波羅探題軍と千種忠顕率いる後醍醐天皇軍が交戦した際に、浄住寺は全山焼亡しました。その後も応仁の乱以降に度々兵火に遭って荒廃し、永禄十年(1567)にも全山焼失しています。
その後、江戸時代の元禄二年(1689)に、葉室家の支援で、大慈普応禅師鉄牛道機(だいじふおうぜんじ てつぎゅうどうき 1628〜1700)が再興開山として堂舎を整備し、この時に黄檗宗(禅宗)に改められました。その後、次第に諸堂宇を整備して有力な黄檗宗寺院となったようです。(尚、境内掲示板は、貞享四年(1687)に、鉄牛禅師に帰依した葉室頼孝(はむろよりたか 1644〜1709)によって再興されたと記し、京都市観光情報システムでは、元禄二年(1689)に、葉室孝重(はむろたかしげ)によって再興となっています)その後、明治時代には、一時衰退し無住となったようですが、復興されて現在に至ります。
さて、山門を入ると、真っ直ぐに本堂へと続く長い参道があります。
参道の途中には特色ある石段が設けられていて、両側には緑豊かな樹木が茂っています・・この寺院の魅力は、近くの地蔵院(竹の寺)と同じく、山門付近と長い参道にあると感じます。
この長い参道は、境内全体の約半分程度を占めていて、その先に本堂があります。また、残念ながら見ることはできませんが、本堂の背後には、その中軸上に、位牌堂、開山堂、寿堂が真直ぐ一列に並んでいます。
現在の本堂は、元禄十年(1697)に造営されたもので、中国禅の流れを汲む黄檗宗寺院の特徴を持ちながらも和様の様子も色濃く表しています。また、内部の両側に板敷の床を張って修行の場としていて、法堂と僧堂の機能を兼ね備えたものになっています。内部には、本尊・釈迦牟尼仏坐像を安置し、また、本堂背後の開山堂には、鉄牛禅師像を安置しています。この開山堂と位牌堂は、江戸時代中期の再建と考えられています。一番後方にある寿塔は、方二間、宝形造の小規模なもので、正面のみに設けられた二段の基壇上に建っていて、造営年代は、本堂と同じ元禄十年(1697)です。
本堂以下のこれら一連の建物は、京都市内における数少ない黄檗宗寺院を代表するものとして貴重で、中でも開山堂と寿塔は、黄檗宗寺院の特色をよく残していることから、寿塔、開山堂、祠堂、本堂兼禅堂は京都市指定文化財となっています。(昭和五十九年六月指定)その他、北側にある方丈は、伊達騒動で知られる仙台藩第四代藩主・伊達綱村の幼少時の遺館を寄進されたものということです。
また、前述したように、参道を中心として、本堂以下の建物、石段、土塀、参道両側に茂る樹木などが一体となって優れた景観を形成していて、中でも参道構成に特色が見られることから、建物の文化財指定と同時に、京都市指定文化財環境保全地区に指定されています。
寺宝としては、中興開山・叡尊の自叙伝の古写本「感身覚正記」を初め葉室氏や叡尊関係のものが多く、御水尾天皇御宸翰、興正菩薩再建古伽藍図、開山鉄伽藍図、開山鉄牛禅師語録、鑑真律師伝来飛行鉢他、多数の掛軸や器物、仏像等を所蔵しています。
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