京都を感じる日々★古今往来Part2・・京都非観光名所案内

京都を感じる日々★古今往来part1・・京都非観光名所案内のニューバージョンです。

右京区

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京都市右京区太秦多薮町、太秦の大映通り商店街の途中、前回の三吉稲荷神社のすぐ南にある西光寺(さいこうじ)は、浄土宗の開祖、法然上人の遺跡の一つとして知られ、上人の遺骸を荼毘(だび)にふされるまで、約七ケ月間護ったとされる寺院です。
本堂に安置されている本尊阿弥陀如来像は、平安時代初期の作で、国の重要文化財に指定されています。


建暦二年(1212)正月、法然上人は八十歳で入滅し、遺骸は京都東山の大谷の地に埋葬されました。その十五年後の嘉禄三年(1227 十二月安貞へ改元)、念仏の広まりに反対した天台宗比叡山の僧侶達が、東山大谷(現知恩院)の法然上人の霊廟を破却して遺骸を鴨川に流そうと企て、同年六月二十二日に霊廟が襲撃しました。(嘉禄の法難)
その企てを事前に知った弟子達は、破壊の直前に、奥嵯峨の二尊院に遺骸を移して隠しましたが、この事も知れ渡ったため、六月二十八日に密かに太秦の広隆寺来迎院に移し、西光寺の開祖となった、来迎坊圓空が翌年一月二十五日まで、遺骸を守りました。

その後、上人の遺骸は、前に掲載した長岡京市の光明寺に移されて荼毘に付せられました・・光明寺の伝承では、翌安貞二年(1228)正月二十日の夜に、上人の棺より数条の光明が放たれて、西山の粟生野を照らすという奇跡が起こりました。そこで、同月二十五日の夜明けに上人の遺骸を粟生野の地にあった熊谷直実蓮生が創建した念仏三昧院へ移して荼毘に付し、寺の裏山に遺骨を納め廟堂を建てました。これが念仏三昧院が光明寺と称されることになった由来になります。

最後に、毎年一月に、法然上人を偲んで西光寺から光明寺まで約十五キロの念仏行脚が行われています。一般参加者も含めた二、三百人もの行列が、墨染めの衣と灰色の袈裟で生涯を過した法然上人に倣った黒衣姿となって約四時間をかけて行脚するということです。

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