京都を感じる日々★古今往来Part2・・京都非観光名所案内

京都を感じる日々★古今往来part1・・京都非観光名所案内のニューバージョンです。

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今回は、数年前にブログパート1に採り上げた聖護院の塔頭、積善院凖提堂(しゃくぜんいんじゅんていどう)の写真を増やして掲載します。(尚、文章は以前のもの(削除済)をほぼ踏襲しています。)
積善院凖提堂は観光寺院では有りませんが、狭い境内にお堂や地蔵が並んでいてしたしみやすい雰囲気が漂っています。


京都市左京区にある聖護院という地域は、聖護院八つ橋、聖護院大根、聖護院蕪などでも知られるかなり広い地域で、地元では、大きな京都大学医学部付属病院があることで有名です。
この聖護院という地域名は、元々本山修験道大本山・聖護院門跡に因んでいて、周辺は明治時代までは聖護院村と呼ばれ、鴨川にかけて大きな森が広がっていたようです。そして、聖護院門跡も、天皇の仮皇居になった経緯から、森の中にある御殿として「森御殿」とも呼ばれていました。(尚、聖護院門跡は、普段は要予約、また特別拝観の際に公開 ブログパート1に少し掲載)


さて、この聖護院門跡の東隣にあるのが、聖護院の塔頭の積善院凖提堂(しゃくぜんいんじゅんていどう)です。長い名前ですが、積善院と凖提堂という2つのお寺が合併したものです。
積善院は、元々は熊野神社の西北、現在の京大医学部付属病院のある辺り(聖護院川原町)にあったお寺です。鎌倉時代初期の創建とされ、聖護院の下で山伏を統括代行し、栴(なぎ)ノ坊という名称で呼ばれていました。一方、凖提堂は、江戸時代に建立された準提観音を本尊とするお寺で、現在の熊野神社の東南(聖護院山王町)にあったようです。2つの寺院は、明治初期に合併し、積善院凖提堂と称するようになり、大正3年(1914)に現在地に移転したようです。
現在、元の準提堂を本堂として、準提堂の本尊だった準提観音と積善院の本尊だった不動明王(重文)を合祀しています。また、本堂の西側に建つのが元の積善院本堂で、役の行者像や阿弥陀如来像を祀ります。

さて、境内には、幾つかの石碑や石仏等が祀られていますが、特に知られるのが、元々は聖護院の森の西北(現京大付属病院)にあった「崇徳院地蔵」です。
保元の乱で讃岐に流され死去した崇徳上皇の霊を慰めるために京の人々が祀ったと伝えられる小さな地蔵様ですが、別名は「人喰い地蔵」と呼ばれています。これは、崇徳上皇が死後怨霊となったという恐ろしい話を背景に、崇徳院(すとくいん)→すとくい→人食い(ひとくい)へ転じたもののようです。

また、昭和二十七年(1953)に建てられた「お俊伝兵衛恋情塚」があります。
江戸時代中期の元文三年(1738)に、京都の釜座三条の呉服商井筒屋伝兵衛と、先斗町近江屋の遊女お俊が、この聖護院の森で心中した事件に因んで建てられたものです。お俊・伝兵衛の心中事件は、近松門左衛門の浄瑠璃「近頃河原達引」のモデルとして知られることになりました。

最後に、積善院凖提堂は、五大力さんとしても知られていて、二月二十三日には五大力尊法要が行われます。秘仏の五大力尊画像が開帳、大般若経転読法要や護摩供養が行われ、普段は人気の無い境内にも多くの参詣者が集まります。

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毎年2月23日は年に一度の五大力さん参り。静岡からお札を受けに行きます。五大力さんの魅力は温和で、人を魅了して止まない御住職の泰岳上人様と修験道最極深秘の護摩祈祷です。また、お参り名物の粕汁は二月の寒さを体の芯から温めてくれます。めったに雨☔にならない五大力さんなのに今年は京都一円が雨。印象に残る恵みの雨となりました。また来年もお札を受けに行きます🏃

2012/2/28(火) 午後 11:30 [ 駿河寶珠院 ]


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