京都を感じる日々★古今往来Part2・・京都非観光名所案内

京都を感じる日々★古今往来part1・・京都非観光名所案内のニューバージョンです。

左京区

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今回は、数年前にブログパート1に採り上げた左京区聖護院にある須賀神社・交通神社を再掲載します。(以前に採り上げた際は、境内工事中のために写真は1枚だけしか掲載できませんでした。今回は再建後の本殿等の写真を増やしてみます)


さて、前回の積善院凖提堂の向かいにあるのが、須賀神社・交通神社(左京区聖護院円頓美町)です。
積善院と凖提堂という二つの寺院が合併した積善院凖提堂と同じく、この神社も一つの境内に二つの神社が祀られています。祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)とその妻神、櫛稲田比売命(くしいなだひめのみこと)を主神に、久那斗神(くなとのかみ)、八衢比古神(やちひこのかみ)、八衢比売神(やちまたひめのかみ)の五柱を祀っていましたが、昭和になって八衞比古、八衞比賣神、久那斗神を分祀し、境内に交通神社として独立させています。


須賀神社は、平安時代初期の清和天皇の時代、貞観十一年(869)に、現在の平安神宮蒼龍楼(そうりゅうろう)の東北付近に創建された西天王社(現在、跡地は西天王塚として現存)を前身とすると伝えられ、東天王社と呼ばれていた現在の岡崎神社(岡崎天王町 ブログパート1参照)と並んで、平安京の王城鎮護の役割を担った鎮守社の一つだったようです。
また、その後、平安時代末期の康治元年(1142)に、鳥羽上皇の中宮・美福門院(藤原得子)が建立した歓喜光院という寺院の鎮守社となったとも伝えられます。

元々あった現在の平安神宮の蒼竜楼東北の地から、鎌倉時代末期に北条高時が幕府軍を京へ派遣したことで起こった戦乱を避けて、元弘二年(1332)二月に吉田神楽岡に避難鎮座します。そして、江戸時代初期の慶安年間(1648〜52 慶安元年六月とも)に吉田神社の斎場所大元宮の西下へ社殿を造営しています。その後、大正十三年(1924)六月に、旧御旅所に当たる現在の地に移り、以降、この聖護院一帯の産土神として縁結びや厄除けにご利益があるとして信仰され、昭和三十九年(1964)に、交通神社を併祀して以来は、交通安全の神としても人気を集め、節分祭には参詣者で賑わいます。


それ程広くない境内には、近年に再建された新しい本殿が二殿に区分されていて、右殿が、縁結びや厄除けの神様として須佐之男神(すさのおのかみ)を祭る須賀神社です。また、左殿は、交通神社として、交通安全や旅行等の守神として八衢比古神(やちまたひこのかみ 全ての道を守る道祖神から転じて、交通安全神)を祀っています。その他、末社として白龍大明神・稲荷大明神を祀ります。また、五月十日の例祭は角豆祭といわれ、つる葉に多くのさや豆がつくように氏子の繁栄を祝う意味ということです(京都市の案内掲示板による)



さて、この神社で有名なのが、節分の際にのみ授与される須賀神社独特のお守り「須賀神社懸想文」です。この日、境内には、烏帽子・水干姿に覆面姿の懸想文売りが現れて、参拝者に懸想文を授与します。

この懸想文売りとは、元々、平安時代に金に困った貧乏貴族が、字の書けない庶民の代わりに懸想文(ラブレター)の代筆で小銭を稼いでいたことに始まるといわれ、貴族達が身分を隠すために覆面をしていたことから、現在も烏帽子・水干姿に覆面という独特の装束で登場します。
懸想文は、縁談や商売繁盛等の人々の希望を叶える御守りとして人気で、特に人に内緒で鏡台やタンスの引き出しの中等に入れておくと、美人になって良縁を得られるとか、衣装が増えるとか信仰され、平安時代には京の町で人気を博したといわれます。そして、現在も節分の日のみは、多くの女性参拝者で境内が賑わうことになります。


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