京都を感じる日々★古今往来Part2・・京都非観光名所案内

京都を感じる日々★古今往来part1・・京都非観光名所案内のニューバージョンです。

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前回の寂光寺をはじめ、京都市左京区東大路通の東山仁王門付近には多くの寺院が密集していますが、今回もその一つ、本妙寺を採り上げます。(数年前にブログパート1に掲載したものを、写真を増やしてバージョンアップしました)


さて、本妙寺(左京区仁王門通東大路東入ル北門前町)は、山号を祥光山という日蓮宗妙覚寺派の寺院です。
鎌倉時代の正和四年(1315)、日蓮上人の弟子で遺命により京都で布教を行った日像上人が、洛北岩倉の地に巡行の際、岩倉の代官、渡辺氏が帰依し、その邸宅を寺として創立したのが始まりと伝わります。しかし、程なくして中絶し、その後、安土桃山時代の天正二年(1574)本山妙覚寺の十八世、日典上人が再興しました。さらに、江戸時代の宝永五年(1708)の大火で類焼しますが、享保十三年(1728)に七世の日正上人が現在の重層造りの本堂を再建したと伝わります。
鎮守の鬼子母神像は、真言宗の僧から日像上人の弟子となった、大覚上人の自作で、日像上人が開眼したものと伝えられ、安産守護として信仰されているということです。


本妙寺はまた、赤穂義士ゆかりのお寺でもあり、通称「義士の寺」と呼ばれます。

浅野藩蔵奉行の貝賀弥左衛門友信は、松の廊下の刃傷にはじまる騒動により赤穂藩が断絶した直後に浪人となって、妻のおさん、娘のお百と共に、かねてから親しかった京都在住の赤穂浅野藩代々の御用商人で京染呉服商の綿屋善右衛門(天野屋利兵衛のモデルともいわれます)の邸に寄寓しました。
そして、弥左衛門は、元赤穂藩筆頭家老大石良雄(内蔵助)の討ち入りの本心を善右衛門に打ち明け、妻子の行く末を頼みました。また、弥左衛門は、貝賀家が元々日蓮宗だったことから本妙寺を菩提寺と定めました。

その後、貝賀弥左衛門等が討ち入りの本懐を遂げ、元禄十六年(1703)二月に自刃した翌年の宝永元年(1704)四月、その遺言を守って、綿屋善右衛門は、貝賀弥左衛門と、その実兄の吉田忠左衛門、忠左衛門の子の澤右衛門の三義士の遺髪と、さらにこの年に病死した貝賀弥左衛門の妻のおさんの四名を、一基の石碑を建立して合祀しました。

この義士の墓には、切腹したことを示す刃・劔の入った三義士の戒名がおさんの戒名と共に刻まれています・・・
刃仲光劔信士 吉田忠左衛門兼亮
刃當掛劔信士 吉田澤右衛門兼貞
刃電石劔信士 貝賀弥左衛門友信 元禄十六年二月四日命日
深信妙順信女 貝賀妻おさん 宝永元年一月二十五日命日


その後、貝賀の子孫九代目の斎藤トラという人が昭和五年(1930)に義士の遺品や遺墨を本妙寺に奉納したので、その機会に義士堂を建立し四十七士の木造を祀りました。
尚、宝永元年(1704)四月に建立された義士の石碑(墓)は、年月と共に破損が激しくなったため、現在のものは、平成五年(1993)三月に、当時と同じ形態で改修されたものです。
元の石碑は本妙寺の義士宝物館に収納されていて、本妙寺で毎年十二月十四日に行われる元禄義士追悼記念祭(義挙記念祭)で、義士の木像、義士の遺品遺墨と共に一般公開されています。


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