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今回は、東山区にある小さな稲荷神社・・合槌稲荷神社を採り上げます。
東山区には、前にブログパート1に採り上げた粟田神社の末社・鍛冶神社(京都市東山区粟田口鍛治町)があり、祭神として三条小鍛治宗近を祀っています。そして、この粟田神社や鍛冶神社から三条通を挟んで北側にあるのが、今回の合槌稲荷神社で、こちらも宗近ゆかりの神社になります。
さて、京都市東山区中之町の、民家に挟まれた小さな路地の奥にある合槌稲荷神社は、倉稲魂命(うかのみたまのみこと=もちろん稲荷明神)を祭神とします。京都の街中(特に中京・下京区)でよく見かける非常に小さな神社の一つという印象で、民家に挟まれてひっそりと佇んでいます。そして、小さな社殿は、町内の人々によって大切に維持管理されているようです。また、参道も民家の玄関前を抜けるよう続いているため、夜間は防犯のために通行禁止になっています。
尚、このたいへん狭い境内には、本殿左側に市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)を祀る小さな二宮弁財天社もあります。
さて、平安時代中期の刀匠として知られる三条小鍛治宗近は、一条天皇時代(在位986〜1011)頃の実在の人物といわれ、信濃守粟田藤四郎と号し、粟田口三条坊に住んだので三条小鍛治の名で知られるようになったとされますが、その生涯はほとんど不明です。しかし、後世、謡曲「小鍛冶」により伝説的な刀鍛冶として有名になりました。
参道にある謡曲史跡保存会の案内板によると、合槌稲荷社は、刀匠三条小鍛治宗近が常に信仰していた稲荷の祠堂といわれ、宗近の邸宅は三条道の南側、粟田口(現在の粟田神社の地)にあったとも伝えられます。
有名な謡曲「小鍛治」は、後一条天皇から鎮護の名刀(守り刀)を打つように命じられた宗近が、近くにある稲荷明神に参詣して成功祈願をすると、満願の日近くに、一人の童子が現れて合槌を願い出ます。喜んだ宗近はこの童子の協力で、見事に名刀「小狐丸」を打つことが出来ましたが、童子は完成を見届けると姿を消しました・・この童子こそ稲荷大明神の化身の狐だったという話です。
そして、この伝説の舞台として合槌をつとめた稲荷明神を祀っていたのが、現在の合槌稲荷神社のある地と伝えられます。(宗近と稲荷明神との関わりとしては、この他に、宗近が刀剣を鋳るために使っていた土は、稲荷山の土だったともいわれます)
こうして、残された刀剣の美しさと謡曲の影響で、三条小鍛治宗近は、後世に色々な伝説を生むことになります。そして、謡曲「小鍛冶」の有名な伝説の地として、能や歌舞伎等の上演の際には、関係者がこの合槌稲荷社に参拝するということです。
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