京都を感じる日々★古今往来Part2・・京都非観光名所案内

京都を感じる日々★古今往来part1・・京都非観光名所案内のニューバージョンです。

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かなり以前にブログパート1に採り上げた岡崎別院ですが、その後、境内に新しく案内板が設置されたので、この機会に写真を増やして再掲載します。

京都市左京区岡崎天王町、岡崎神社の隣にあるのが、真宗大谷派(東本願寺)の岡崎別院です。
山門横には「親鸞聖人御草庵遺跡」という石碑があるように、浄土真宗の開祖・親鸞上人の旧跡として知られます。(以下、境内案内板を参照します)

江戸時代に流布した親鸞聖人の伝記、「親鸞聖人正統伝」によると、二十九歳で比叡山を降りて、吉水の法然上人の門に入った親鸞上人は、この岡崎の地に草庵を造り、ここから吉水の法然上人のもとに通ったと記しています。また、その後、念仏禁止の「承元の法難」に連座して越後に流刑となった後、赦免されて関東での生活を経て帰洛した時も、親鸞上人は、最初にこの岡崎の地の草庵に住んだと伝えています。(境内の案内板によると、二十九歳から三十五歳までと、六十歳を過ぎてからしばらく居住した草庵跡であるということです。)こうした由来により、江戸時代の「親鸞聖人正統伝」や「拾遺都名所図会」は、この地が古くから「親鸞屋敷」と呼ばれてきたことを記しています。


さて、岡崎別院は、江戸時代の享和元年(1801)、東本願寺第二十代・達如(たつにょ)上人により、親鸞ゆかりのこの地に創建され、「岡崎御坊」と呼ばれました。そして、明治九年(1876)に「岡崎別院」と改称され、明治二十二年(1889)には、新しく新門(新しい門主)の学問所である御学館が移築されました。「清池館(せいちかん)」と命名されたこの学問所では、俳句の名人だったことから「句仏上人」と呼ばれた東本願寺第二十三代法主・彰如(しょうにょ)上人が学び、明治二十四年(1891)には、東本願寺の教育制度や組織の発展を目指し、また仏教近代化に尽くした清沢満之(きよざわまんし 1863〜1903)が主任となっています。また、大正五年(1916)には、金子大栄(かねこだいえい 1881〜1976)を中心に学生の勉強会である「鏡池会(きょうちかい)」が、岡崎別院を会場に発足し、後には、曽我量深(そがりょうじん 1875〜1971)も参加して、共に近代思想界に影響を及ぼすことになります。

さて、二重屋根の本堂には本尊阿弥陀如来が祀られています。この草庵造りの本堂と庫裏、茶室は創建当時のものということです。また本堂の左方(西)には、八角の石柵で囲まれた池跡がありますが、この池は、承元元年(1207)に親鸞上人が、念仏弾圧により越後へ配流される際に、自身の姿を映して名残を惜しんだと言い伝えられ、「鏡池(かがみいけ)」、「姿見の池」と呼ばれています。
また、そのすぐ左には、上人お手植えと伝わる木の由緒を伝える「八房(やつふさ)の梅」という紅梅があります。

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はじめまして!非常にわかりやすい解説をしていただき、ありがとうございます!

2009/9/22(火) 午前 1:32 [ チャコ ]

ご訪問ありがとうございます。少しずつですが更新していきますので、よろしくお願いします。

2009/9/24(木) 午前 7:01 [ hiropi1700 ]

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お庭もきれいになりました!また、載せてくださいね!

2011/1/12(水) 午後 6:39 [ チャコ ]

岡崎別院、公式HPは有りますけど、大谷本願寺の流れ以前のものなのですね。
良いお写真を有難うございます。

2011/12/7(水) 午後 7:41 みぃにゃん


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