京都を感じる日々★古今往来Part2・・京都非観光名所案内

京都を感じる日々★古今往来part1・・京都非観光名所案内のニューバージョンです。

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一般観光ガイドには、ほとんど登場しない京都市伏見区西部の久我(こが)や羽束師(はつかし)地域ですが、一見に値する注目すべき神社が幾つかあることで神社通には知られています。

まず、久我には、久我神社(久我森の宮町)や菱妻神社(久我石原町)があり、羽束師には、羽束師坐高御産日神社(羽束師神社)があります。これらに比べると、本殿が新しく魅力という点では劣るかもしれませんが、今回の神川神社も平安時代以前にも遡る古社と伝えられています。
また、これらの神社に共通するのが、周辺環境が良く緑が豊かなこと、また、割拝殿(中央を吹き抜けにして土間とし通り抜けられるようにしています。(私も訪れたことがある大阪府堺市泉北の桜井神社の拝殿(国宝)がよく知られます。)が取り入れられていることです。割拝殿は、京都市内では珍しく、周辺地域の神社に見られることから、この地域が歴史文化的に長岡京等と関連が深かったことを窺わせます。



さて、神川神社(かみかわじんじゃ 羽束師鴨川町)は、「京都府道123号水垂上桂線」と呼ばれる上桂から淀へ抜ける狭い道路に面する神川小学校と田畑の間に静かに佇んでいる小さな神社です。
祭神は、本殿に、煮底筒男命(そこつつおのみこと)、中筒男命(なかつつおのみこと)、上筒男命(うわつつおのみこと)、上津少童命(うわつわたつみのみこと)を祀ります。

神川神社は、延喜式神名帳の山城国乙訓郡鎮座十九座(大五座、小十四座)に数えられる式内社で、古くは神川座住吉神社と称したと伝えられます。
江戸時代の文政年間(1818〜1829)の当社神主・古川為猛(羽束師神社の神官としても知られます)が記した「住吉社之略記」によると、羽束師東部周辺は、鴨川と桂川の合流地点の西岸でもあるため、度々川が氾濫して湿地帯化し、また難破船があったことから、水運交通の守護神として摂津の住吉社の御神霊を勧請したものと伝えられています。また、延暦三年(784)の長岡京の造営の際は、勅令によって大祓の神事を行ったとも伝えられます。以来、神川周辺地域の産土神として崇敬され、明治六年(1873)に村社に列し、明治十年(1877)に神川神社と改称しました。
その後、昭和五十七年(1982)六月十一日に不測の火災により本殿が焼失し、神殿造営について幾度も協議の末、浄財寄進を募って昭和五十八年(1983)十月中旬にコンクリート造の本殿が竣工、同月二十四日に遷座祭を厳修し復興しました。

さて、木立に囲まれた参道を進んで、割拝殿を抜けると、少し寂しい印象の境内が広がり、コンクリート造の本殿があります。木造本殿の焼失は残念ですが、由緒ある古社が存続できたことは幸いというべきでしょうか。また、末社として、天照大神(あまてらすおおかみ)を祀る大宮社と稲荷社があり、境内のエノキの木が区民の誇りの木に選ばれています。

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