京都を感じる日々★古今往来Part2・・京都非観光名所案内

京都を感じる日々★古今往来part1・・京都非観光名所案内のニューバージョンです。

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今回は、以前にブログパート1に少しだけ掲載した元真如堂(もとしんにょどう)の写真を増やして再掲載します。

紅葉の名所として知られる真如堂(真正極楽寺 京都市左京区浄土寺真如町)の東北にある小さなお寺が、真如堂の境外塔頭、元真如堂(もとしんにょどう 左京区浄土寺真如町)です。「元真如堂」という名前のように、この場所は真如堂の創建時の旧地になります。また、元真如堂は、正式には「東向山蓮華院換骨堂」といい、この「換骨堂(かんこつどう)」という正式名称の方が地元では有名です。また、尼寺三十六ヶ所霊場の第二十四番でもあります。


さて、平安時代中期、この神楽岡(吉田山)には、東三條院(関白藤原兼家の次女で、円融天皇女御、一条天皇の母。藤原詮子(せんし))の御所がありましたが、正暦三年(992)、女院が夢のお告げを受けて、院内に比叡山常行堂に安置されていた阿弥陀如来像を移し、比叡山の戒算(かいさん)上人を開基として、同五年(994)に真如堂を建立しました。(真如堂の歴史については、またの機会とします)
以後、真如堂は長くこの地にありましたが、応仁の乱の兵火で荒廃し、後幾度か移転をした末に、元禄六年(1693)に現在の真如堂のある地(元の位置から西南)に再建され今日に至ります。

一方、創建の地には、念仏堂と呼ばれた小堂宇が残されていましたが、その後、天保元年(1830)の地震により念仏堂は一時荒廃します。しかし、同十三年(1842)、尼僧黙旨(もくじ)が尼衆の願いに応じて尼僧寺院として再興し、以後永代尼僧の住職を許されたと伝えられます。
また、「換骨堂(かんこつどう)」という別称の由来としては、寺を再興した黙旨尼の遺稿「重興記」に、「法界の群生同じく当下に換骨の霊方を証得し、一超直人、弥陀の本願を達せしめんと欲して、換骨堂と号せしもの」と記されているということです。尚、現在の境内の様子を、元治元年(1864)刊行の「花洛名勝図会」の図会と比較してみると、それ程大きな変化は無いようです。


さて、刈り込みの間の小さな山門を入ると、正面に本堂(念仏堂)があり、その右手の小さな庭には花木が植えられていて尼寺らしい風情を感じます。
左手には「如柳庵」という茶室があり、その傍には、石仏や石塔等が置かれています。
そして、さらに左に進むと、隣接する日吉神社の境内に出ますが、その手前に、真如堂を建立した後、長保三年(1001)に亡くなった東三條院の供養塔と伝わる五輪塔があり、蓮華ヶ岡の不動尊と呼ばれる石不動を祀る祠があります。また、真如堂の開山、戒算上人が蓮華童子の教示を受けて掘ったと伝えられる閼伽井(あかい)があり、蓮華童子に因んで「蓮華水(れんげすい)」と呼ばれています。


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