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今回の地蔵院は、亀岡市西町の民家の間にあって少し見つけ難い小さな御堂ですが、亀岡市の案内掲示板を参照して書いてみます。
JR亀岡駅の東南、山陰街道の西町を過ぎて、北町に入ろうとする所で、「子安地蔵尊」の道標があります。そして、そこに「寛政九年(1797)四月如意山菩提寺住本明」と記されているように、この小さな地蔵堂は、元々は、山号を如意山、寺名を菩提寺という真言宗智積院の末寺だったようです。そして、祀られているこの地蔵菩薩像は、同寺の本尊だったと伝えられます。現在地は現在の町割では西町に属していますが、「北町の地蔵」として地元では親しまれてきたということです。
ここに祀られている地蔵菩薩坐像は、明智光秀による亀山城築城以前は、追分村(現追分町、現在地の東)に祀られていましたが、築城後に現在地に移されたということです。また、この蔵菩薩像は、老ノ坂に祀られている子安地蔵と同木・同作とも伝えられています。
古くから安産祈願成就の霊験あらたかな尊像として篤く信仰されてきたようで、その霊験については、亀山藩の儒臣の中島魚(雪楼)が寛政六年(1794)に著した「地蔵院霊像記」が額装されて堂前に掲げられているということですが、判読できませんでした。
御堂内部も暗くて確認できませんが、案内板によると、この地蔵菩薩は、大雨の時に水中から現れたという伝承があり、伽羅陀山地蔵尊(からださんじぞうそん)と呼ばれているということです。
そして、地蔵尊は、両腕を曲げて胸の前で、宝珠と錫杖を持ち、左足を踏み下げて蓮台の上に半跏した優美な姿で現され、平安時代後期の洗練された定朝様式の彫技から都風の像であることが一目でわかるということです。また、この像が左手に持っている宝珠の中に納められている宇賀神は、白蛇を神として祀ったもので、一切衆生に愛福を授け菩提に至らせるという福の神とされています。
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