京都を感じる日々★古今往来Part2・・京都非観光名所案内

京都を感じる日々★古今往来part1・・京都非観光名所案内のニューバージョンです。

上京区

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今回は、以前にブログパート1に掲載した「鵺池」周辺の史跡を、写真を増やして再掲載します。

さて、前回に書いたように、二条公園(上京区智恵光院通丸太町下る主税町)は、平成十七年(2005)に新しく整備され、地元の人々の憩いの場所、子供たちの遊び場になっています。
公園の北側には、小さな池(普通の小池だったのものを、公園整備の際に子供に危険なため埋めて改修)があり、その中に少し磨耗して読み難いですが、「鵺池碑」と刻まれている石標があります。また、すぐ北側にも新しく石標が建てられていて、小さな社殿「鵺大明神」が立っています。

さて、この二条公園を含む一帯は、平安時代には平安京の中心部・平安宮として、内裏や大極殿、朝堂院、太政官等が立ち並んだ国家政治の中心部となる官庁街でした。そして、この小さな池は、「源三位頼政の乱」でも知られる源氏の武将・源頼政が怪鳥「鵺(ぬえ)」を退治したという伝説の場所と伝えられています。

「平家物語」等によると、平安時代末の仁平年間(1151〜54)、御所の内裏を毎夜丑の刻になると、内裏の西北、東三条の森の方から黒雲が湧き起って御所を覆い、不気味な怪鳥の声が聞こえて、幼い近衛天皇を悩ませていました。天皇は病となり祈祷を行うも効果なく、そこで、当代一流の武勇の使い手、兵庫頭源頼政が勅命を受けて御所を警護することになりました。頼政は、山鳥の尾で矧いだ矢二本を携へ、郎党の猪早太(井早太)と共に怪物退治に向かいました。

深夜になると、黒雲が御所を覆い始めたので、頼政は「南無八幡大菩薩」と祈りながら、弓を引き絞って矢を放ったところ怪物に命中、猪早太(井早太)が落ちてきた怪物を取り押さえて止めを刺しました。人々が集まって死んだ怪物を確かめると、頭は猿、胴体は狸、手足は虎、尻尾は蛇の姿をした「鵺」だったといことです。その後、二条天皇の応保(1161〜62)の頃にも、御所に鵺が現れたので、再び頼政が召されて射殺したとも伝わります。鵺伝説には様々な伝承がありますが、二条公園にある鵺池は、鵺を射殺した後、頼政が血のついた鏃(やじり)を洗った池だと伝えられています。


この池は、古来、「鵺池」と呼ばれてきたようですが、江戸時代になると、鵺池は京都所司代の邸内に組み込まれために、江戸時代に出版された京都の観光ガイドの名所図会の類には記載されなかったようです。その後、明治時代には京都刑務所の敷地内となり、前回に書いたように、昭和九年(1934)に児童公園となりました。
現在ある磨耗した古い石碑の方は、元禄十三年(1700)に建てられたものでしたが、磨耗して読めない状態では後世に伝わらないと、公園化の際の昭和十一年(1936)三月に石碑が復元されています。鵺大明神を祀る祠も同時に建てられ、玉姫大明神、朝日大明神を合祀しています。
妖怪伝説の多い京都らしい史跡だと思います。

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京都観光ナビ(公式観光案内)では出ませんが、
同じ京都市のウェブでも、京都いしぶみデータベースには、載っていますね。
実地踏査もして有りました。

時に、祠なども、寂れて、怖い感じの場所も有るのですが・・。
此処はそんなことはなさそう。
たしか、NHK京都放送局の南隣でしたかしら?

頑張って、続けて下さいね。
京都検定に出ないから、調べないのは、悲しいです。
m(__)m

2012/12/24(月) 午前 3:37 みぃにゃん


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