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向日神社の続きです・・
さて、向日神社の境内についてです。
長い雰囲気の良い参道を進むと、短い石段の上の中央に舞楽殿、その奥に拝殿・本殿。右手には参集殿社務所、左側は広い駐車場になっています(自動車の参拝者にはたいへん便利ですが、それ程広くない参道を車で走行するのは歩行者に危険でもあり、せっかくの雰囲気のある参道なので、ご老人や体の不自由な方はともかく、やはり歩いて参拝した方が良いように思われます)
また、駐車場のさらに左には客殿、剣道場があり、駐車場の手前にはお茶所、そして神社の境内にあるのは珍しいですが・・向日市天文館があります。
(この天文館は、昭和六十三年(1988)から平成元年(1989)にかけて、全国の自治体に1億円が交付された、所謂「ふるさと創生事業」の際、向日市民からアイデアを募集して誕生した施設で、平成五年(1993)三月に向日神社境内の一角に建設されました。天文館には、プラネタリウム、天体観測室、星見台、展示室があり定期的に天体観望会などを行っています。また、向日神社南側にある剣道場は昭和五十一年(1976)に建てられ、元向陽小学校の職員室等に利用されているもので、現在も小学校から大人まで剣道の練習に用いられています。)
現在の向日神社の本殿は、応永二十五年(1418)に建造されたもので(同二十八年竣エ)、本殿と拝殿が連なる権現造のような社殿形式で、室町時代の流れ造り様式の代表的な建築物として、国の重要文化財に指定されています。 また、東京の明治神宮の本殿は、向日神社の本殿をモデルにして(1.5倍に拡大して)造られたといわれています。
尚、江戸時代の『山州名跡志』には、「向日社。西岡の山上にあり、鳥居東向き石柱。拝殿南向き、社同じ・・・」と記され、現在は東向きの社殿が南向きだったことがわかります。また、現在の拝殿と舞楽殿は、寛永二年(1625)の建立ということです。特に周囲を回ってみると、重厚な雰囲気が印象的です。
また、本殿の背後の広いスペースは「鶏冠木の苑(かえるでのその)」と名付けられた楓と山桜の神苑になっています。今から百七十年前の江戸時代には、この場所に本殿があり、本殿が現在の地に移ってからは、楓と山桜の神苑となりました。また、戦前には土俵もあったそうですが、その後、雑木が繁茂して見晴らしが悪い土地になったため、新たに野外ステージを造り、楓と山桜の神苑に戻したということです。(尚、「鶏冠木(かえるで)」とは、楓の古名「かえるで」にちなんだもので、鶏の鶏冠が楓に似ていることから作られた和製漢字になります。)
境内社としては、参道の右手、手水舎の手前に、商売繁盛の神である勝山稲荷社があり、その奥には元稲荷社があります。また、手水舎の後ろには、学問成就の神として知られる天満宮社があります。また、本殿の左手には、五社があり、大己貴神(おおなむちのかみ)、武雷神(たけいかづちのかみ)、別雷神(わけいかづちかみ)、磐裂神(いわさくのかみ)、事代主神(ことしろぬしのかみ)を祀っています。
五社の後ろには、本殿と回廊で繋がった祖霊神社があり、また、本殿の左には、御霊社があり、伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)と伊邪那美尊(いざなみのみこと)を祀っています。そして、本殿背後の「鶏冠木の苑(かえるでのその)」の右には春日社があり、さらに一番奥(境内西)には、火雷大神の荒魂神(あらみたまのかみ)を祀る井戸を御神体とする増井神社があります。
また、付近には勝山神変大菩薩(役行者)が祀られていますが、これは、安永六年(1777)五月に彫られ物集女村(向日市物集女)で信仰されてきた役行者像を、昭和二十五年(1950)、向日神社の氏子会である向日社友信会の総代が、この勝山の麓に遷座したいと願って物集女住民を説得し、この場所に遷座し祀ったものです。
また、社宝としては、紙本墨書日本書紀神代巻下巻(国重要文化財 延喜四年藤原清貫筆と奥書に印)、飾太刀(天狗久光作の銘)、小野通風筆「正一位向日大明神」額、棟札(応永二五年本殿棟札一枚、慶長二年棟札一枚)、古印(「向日神社政印」の銅印)、朱印状(豊臣秀吉及び徳川歴代将軍の朱印状)等があります。
また主な年中行事として、例祭(五月一日)、氏子祭(神幸祭は五月第二日曜日の三日前、還幸祭は五月第二日曜日)等があります。氏子祭の神幸祭(おいで)では、祭礼の三日前に当社から祭神を鳳輦(神輿)に遷し鶏冠井(かいで)御旅所(向日市鶏冠井町)を経由して上植野御旅所へお遷し、そして、還幸祭で上植野御旅所から各地区を巡航して本社へ祭神がお還りになります。
また、向日神社には特徴ある「座」による特殊神事があります・・
戦国時代の下剋上時代、畿内各地の諸豪族が室町幕府を窺うため、京都近郷に潜入するようになりました。この地の農民達は彼等に田地を強奪されることを恐れ、田地を向日神社に寄進してその難を逃れたということです。その後、世情が鎮まるにつれて、農民達は神社に寄進した田地を返してもらい、神社に感謝するために夫々が「座」と呼ばれる組織を構成し感謝の祭を行ないましたが、これが、現在まで伝わる「年頭祭(ねんど)」や「索餅祭(さっぺ)」と呼ばれる特殊神事になります。
各座の人々は、互いに土地を出し合って座の財産とし、その収入によって座を維持しました。また、各座の最年長者を総一老と呼んで、四月一日には村の行政を司らせていたという故事もあるように一種の自治組織でした。このような成立過程から、向日神社の座は、同業者が商業発展を目的として形成した他社の座とは起源を異にする歴史的にも注目されるものであるということです。
座が行なう祭(神事)の一つ、「年頭祭(ねんど)」は、各座の長老五人が本殿に招かれることから名付けられ、「索餅祭(さっぺ)」は、各座が小判形の吉餅及び餅を薄い円形にした花平(はなびら)を神前に供えますが、この小判形の吉餅、餅を薄い円形にした花平の造り方から「索餅祭(さっぺ)」と名づけられるようになったといわれます。そして、この二つの神事は、現在まで四百年以上続いていて、特に、索餅祭では御膳等の祭器が当時のまま保存され現在も使用されているということです。
最後に、向日神社の境内は木々が多く憩いの空間となっていて、京都府全域から選ばれた「京都の自然二百選(平成七年三月選定)」にも選ばれています。
特に、西側一体は、隣接する勝山公園、勝山緑地に溶け込んで自然豊かな空間を形成しています。また、向日神社の裏参道になる坂道には地元住民らの手で守られている「桜の苑」があります。次回は、この勝山公園や勝山緑地を中心に写真を掲載します。
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