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今回は、向日市の長岡宮跡の史跡指定地の内、朝堂院に関する指定区域(向日市鶏冠井町山畑周辺)を採り上げます。遺跡の発掘調査から、市による土地買い上げとその後の保存活動にはたいへん長い時間と大きな経費を要するため、今回採り上げる朝堂院西第四堂地区、朝堂院西第四堂・朝堂院南門地区は、現在は整備途中の段階です。
尚、向日市の長岡宮跡の史跡指定地は、大極殿・後殿(小安殿)地区、宝幢地区、長岡宮跡閤門跡地区、内裏内郭築地回廊地区、築地地区、朝堂院西第四堂地区、朝堂院西第四堂・朝堂院南門地区の七つですが、今後発掘調査が進めば、新たに史跡に選定される地区も出てくるでしょう。
大極殿・後殿(小安殿)地区、宝幢地区、内裏内郭築地回廊地区、築地地区は整備がほぼ完了して案内掲示板がありますが、今回の朝堂院西第四堂地区、朝堂院西第四堂・朝堂院南門地区や、前回に掲載した長岡宮跡閤門跡はまだ整備途中か未整備状態です。
ただ、今回の朝堂院西第四堂・朝堂院南門地区(さらに、朝堂院南面回廊跡地区・・向日市上植野町南開)は、阪急電鉄の西向日駅から約三十メートル程度というアクセス面で恵まれた場所にあるため、今後、向日市の文化財、観光名所として約五ヶ所に分散している史跡長岡宮跡をアピールしていくためにも、史跡への玄関口として早期の整備が望まれています。今回の訪問時は、芝生育成中で立ち入り禁止のためフェンス越しに遠望するのみとなりましたが、今後、基壇部分を復元し緑地公園、市民の憩いの場等々として整備していくということです。
さて、朝堂院(ちょうどういん)は、都の中心となる建物、大極殿院の南にあり、官人が出庁して政務を行う朝政や国家的儀礼の行われる建物でした。長岡宮の朝堂院が完成したのは、長岡遷都の二年後、延暦五(786)年、七月十九日です・・『続日本紀』は、この日、太政官院(朝堂院)が完成して百官が初めて朝堂に集まり定められた座席に着いたことを記しています。また、朝堂院は、長岡京初期には太政官院(だじょうかんいん)と呼ばれ、後に朝堂院と改称されました。
朝堂院は、東西百五十八.六二メートル、南北百六十四.三十一メートル、広さは二万六千六十三平方メートルで、大極殿院の閤門に繋がる北面は、回廊と築地、東西両面は築地、南面は翼廊と築地で区画され、閤門と同規模の南門がありました。朝堂院では、朝堂が東西に四堂(合計八堂)が南北に配置され、中央の中庭は朝庭(ちょうてい)と呼ばれ、儀式の場でした。
朝堂院西第四堂(=朝堂院の一番南の西側の建物・・調査のために、便宜上、北から東西に第一〜四堂と呼ばれています)は、発掘調査により、第一〜三堂は、梁間四間(十一.八十四メートル)、桁行七間(二十七.三メートル)で、また、上屋は二重虹梁蛙又(にじゅうこうりょうかえるまた)構造の切妻屋根と推定されています。第四堂は、西第四堂の発掘調査の結果として、梁間四間梁間四間(十一.八十四メートル)、桁行十間(三十九メートル)と確認されています。
長岡宮の発掘調査は、昭和二十九年(1954)十二月の第一回発掘調査で開始されましたが、この初めての調査で朝堂院の南門が確認され、長岡宮の存在が考古学的に認められることになりました。
続けて昭和三十四年(1959)に、朝堂院東第一堂が確認されました・・これは、大極殿・後殿が確認される二年前のことです。
その後、昭和三十九年(1964)に、朝堂院西第二・三堂、昭和四十年(1965)に朝堂院東第三堂、昭和五十六年(1981)に、朝堂院西第一・二堂、さらに翌昭和五十七年(1982)に、朝堂院西第四堂・西面築地と南面回廊が確認され、ここに長岡宮の朝堂院は全部で八堂であると確定されました。そして、平成四年(1992)に、朝堂院西第四堂が史跡に指定され、平成十四年(2002)に、朝堂院西第四堂・南門(会昌門)地区が史跡指定されています。
また、平成十七年(2005)には、長岡宮朝堂院の南面回廊の発掘調査(向日市上植野町)で、幅九メートルの回廊が南に折れ曲がり、回廊とは別の建物があったことが確認されましたが、この建物は、絵図や文献に記される平安宮の応天門の「翔鸞楼(しょうらんろう)」に相当する、約十五メートル四方の楼閣と判断されました。
翔鸞楼は、唐の長安城の建築様式に倣った楼閣で、上記したように資料的には平安京にもあったこと判っていましたが、考古学的に確認できたのは初めてのことになります。長岡宮が日本の古代の宮殿で初めて楼閣を伴っていたことが確認され、この楼閣は平安宮の応天門より小規模とはいえ、豪華壮麗な建物だったと考えられています。そして、中国文化に強く影響された桓武朝の特質を表す遺構として高く評価され、平成十八年(2006)、この朝堂院南面回廊跡地区も史跡指定されました。
そして、向日市は、平成五年(2003)から、これらの朝堂院史跡選定地区の土地の買い上げを行い、現在、買い上げた面積約三千五百平方メートルの地域を史跡公園などに整備中です。
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