京都を感じる日々★古今往来Part2・・京都非観光名所案内

京都を感じる日々★古今往来part1・・京都非観光名所案内のニューバージョンです。

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京都市北区の鷹峰や玄琢から、尺八池や京都ゴルフ倶楽部北山コースの傍を抜けて氷室道と呼ばれる山間の小道を北上すると、分岐点らしき地点に小さな神社があります・・これが秋葉神社です(京都市北区大宮釈迦谷)また、神社の背後は秋葉山と呼ばれ、この付近は、北の船山と南の釈迦谷山の間に位置し、京都の市街地から北山北部の氷室や杉坂等へ続くトレイルコースの出入り口の一つです。

秋葉神社の由緒は不明ですが、祭神は、元々は秋葉三尺坊大権現(秋葉大権現)と推測されます。(現在、本殿中央に「秋葉神社修行場開祖 太田春弘先生の霊位」が祀られています。)
秋葉三尺坊大権現とは、赤石山脈の最南端に位置する秋葉山(静岡県浜松市天竜区)の山頂に鎮座する火伏の神で、秋葉山の山岳信仰を起源にして、信州出身の修験道の行者という説もある三尺坊をその没後に大権現として祀ったものとされます。特に、江戸時代の元禄時代頃から、秋葉信仰は全国的に大流行し、秋葉山山頂の秋葉寺に詣でる「秋葉詣」が盛んになり、全国各地に秋葉社が勧請されました。そして、その勢いを恐れた徳川幕府は貞享二年(1685)に禁令を出したほどだったと伝わります。
今回の秋葉神社は、この地の修験者が秋葉山の麓に祀ったもので、山の神社らしい荒れた雰囲気が漂っています。


また、その手前にある尺八池の付近には、小さな松龍弁財天が祀られています。
尺八池は、若狭川(京見峠を源流に、船山、尺八池を経て賀茂川へと流れます)を堰き止めた灌漑池ですが、かつてこの付近は、栗栖野と呼ばれ、『続日本後紀』には、淳和天皇が天長十年(833)九月二十五日に、この地にあった綿子池(わたごいけ)に遊猟し隼を放ったという記述があります。
(戊寅。天皇幸栗栖野遊獵。右大臣清原眞人夏野在御輿前。勅令着笠。便幸綿子池。令神祇少副正六位上大中臣朝臣磯守。放所調養隼拂水禽。仙輿臨覽而樂之。日暮還宮。賜扈從者祿)
また、貞観年間(859〜77)初期に、この栗栖野・紫竹一帯が水害に遭いましたが、これは綿子池の氾濫によると考えられているということです。
現在の尺八池は、この綿子池を補修したものといわれ、松龍弁財天は、「尺八開運松龍弁財天」の石標から、尺八池の水利守護のため水神を祀ったものと推測されます。

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