京都を感じる日々★古今往来Part2・・京都非観光名所案内

京都を感じる日々★古今往来part1・・京都非観光名所案内のニューバージョンです。

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一条戻橋その2

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前回の続きです・・

屋代本『平家物語』(剣巻)から、渡辺綱と鬼の対決シーンです・・
まず、原文を掲載します。

「その頃摂津守頼光の内に、綱・公時・貞道・末武とて四天王を仕はれけり。中にも綱は四天王の随一なり。武蔵国の美田といふ所にて生れたりければ、美田源次とぞ申しける。
一条大宮なる所に、頼光聊か用事ありければ、綱を使者に遣はさる。夜陰に及びければ鬚切を帯かせ、馬に乗せてぞ遣はしける。彼処に行きて尋ね、問答して帰りけるに、一条堀川の戻橋を渡りける時、東の爪に齢二十余りと見えたる女の、膚は雪の如くにて、誠に姿幽なりけるが、紅梅の打着に守懸け、佩帯(はいたい)の袖に経持ちて、人も具せず、只独り南へ向いてぞ行きける。綱は橋の西の爪を過ぎけるを、はたはたと叩きつつ、「やや、何地へおはする人ぞ。我らは五条わたりに侍り、頻りに夜深けて怖し。送りて給ひなんや」と馴々しげに申しければ、綱は急ぎ馬より飛び下り、「御馬に召され侯へ」と言ひければ、「悦しくこそ」と言ふ間に、綱は近く寄つて女房をかき抱きて馬に打乗らせて堀川の東の爪を南の方へ行きけるに、正親町へ今一二段が程打ちも出でぬ所にて、この女房後へ見向きて申しけるは、「誠には五条わたりにはさしたる用も侯はず。我が住所(すみか)は都の外にて侯ふなり。それ迄送りて給ひなんや」と申しければ、「承り侯ひぬ。何く迄も御座所へ送り進らせ侯ふべし」と言ふを聞きて、やがて厳しかりし姿を変へて、怖しげなる鬼になりて、「いざ、我が行く処は愛宕山ぞ」と言ふままに、綱がもとどりを掴みて提げて、乾の方へぞ飛び行きける。

綱は少しも騒がず件の鬚切をさつと抜き、空様に鬼が手をふつと切る。綱は北野の社の廻廊の星の上にどうと落つ。鬼は手を切られながら愛宕へぞ飛び行く。さて綱は廻廊より跳り下りて、もとどりに付きたる鬼が手を取りて見れば、雪の貌に引替へて、黒き事限りなし。白毛隙なく生ひ繁り銀の針を立てたるが如くなり。これを持ちて参りたりければ、頼光大きに驚き給ひ、不思議の事なりと思ひ給ひ、「晴明を召せ」とて、播磨守安倍晴明を召して、「如何あるべき」と問ひければ、「綱は七日の暇を賜りて慎むべし。鬼が手をば能く能く封じ置き給ふべし。祈祷には仁王経を講読せらるべし」と申しければ、そのままにぞ行なはれける。

既に六日と申しけるたそがれ時に、綱が宿所の門を敲く。「何くより」と尋ぬれば、「綱が養母、渡辺にありけるが上りたり」とぞ答へける。彼の養母と申すは、綱が為には伯母なり。人して言ふは、悪しき様に心得給ふ事もやとて、門の際まで立出でて、「適々の御上りにて侯へども、七日の物忌にて候ふが、今日は六日になりぬ。明日ばかりは如何なる事候ふとも叶ふまじ。宿を召され候ふべし。明後日になりなば、入れ参らせ候ふべし」と申しければ、母はこれを聞きてさめざめと打泣きて、「力及ばぬ事どもなり。さりながら、和殿を母が生み落ししより請取りて、養ひそだてし志いかばかりと思ふらん。夜とて安く寝ねもせず。濡れたる所に我は臥し、乾ける所に和殿を置き、四つや五つになるまでは、荒き風にも当てじとして、いつか我が子の成長して、人に勝れて好からん事を見ばや、聞かばやと思ひつつ、夜昼願ひし甲斐ありて、摂津守殿御内には、美田源次といひつれば、肩を並ぶる者もなし。上にも下にも誉められぬれば、悦(よろこび)とのみこそ思ひつれ都鄙遼遠の路なれば、常に上る事もなし。見ばや見えばやと、恋しと思ふこそ親子の中の欺きなれ。この程打ち続き夢見も悪しく侍れば、覚束なく思はれて、渡辺より上りたれども、門の内へも入れられず。親とも思はれぬ我が身の、子と恋しきこそはかなけれ」綱は道理に責められて門を開きて入れにけり。

母は悦びて来し方行く末の物語し、「さて七日の斎と言ひつるは何事にてありけるぞ」と問ひければ、隠すべき事ならねばありの儘にぞ語りける。母これを聞き、「扨は重き慎みにてありけるぞや。左程の事とも知らず恨みけるこそ悔しけれ。さりながら親は守りにてあるなれば別の事はよもあらじ。鬼の手といふなるは何なる物にてあるやらん、見ばや」とこそ申されけれ。綱、答へて曰く、「安き事にて侯へども、固く封じて侍れば、七日過ぎでは叶ふまじ、明日暮れて侯はば見参に入れ侯ふべし」母の曰く、「よしよし、さては見ずとても事の欠くべき事ならず。我は又この暁は夜をこめて下るべし」と恨み顔に見えければ、封じたりつる鬼の手を取り出だし、養母の前にぞ置きたりける。母、打返し打返しこれを見て、「あな怖しや。鬼の手といふ物はかかる物にてありけるや」と言ひてさし置く様にて、立ちざまに「これは我が手なれば取るぞよ」と言ふままに恐ろしげなる鬼になりて、空に上りて破風の下を蹴破りて虚に光りて失せにけり、それよりして渡辺党の屋造りには破風を立てず、東屋作りにするとかや。綱は鬼に手を取返されて、七日の斎破るといふとも、仁王経の力に依て別の子細なかりけり。この鬚切をば鬼の手切りて後、「鬼丸」と改名す。」



やや意訳ですが・・

その頃、摂津守源頼光には、渡辺綱(わたなべのつな)、坂田金時(さかたのきんとき)、碓井貞光(貞道 うすいのさだみつ)、ト部季武(うらべのすえたけ)という四天王がありましたが、中でも、随一といわれたのが渡辺綱です。武蔵国の美田に生まれたため、美田源次といいました。
主君頼光は、用事のために、渡辺綱を一条大宮に派遣しました。深夜のため名剣「髭切」を帯刀させ馬で向かわせます。要件を済ませた帰り、綱が一条堀川の戻橋を渡る際、橋の東の袂を、二十歳ほどの雪のように色白で美しい女が、紅梅の衣装で経を持ち、供も無く一人で南へ向かっていましたが、綱が橋の西の袂を過ぎるのを、手をたたいて、「どこへ行かれるのですか。私は五条付近のものですが、深夜で怖いので送っていただけないでしょうか。」とぶしつけに言うので、綱は直に馬から降りて「どうぞ馬にお乗りください」と馬を勧めます。嬉しいと喜んだ女を、綱は近寄って抱いて馬に乗らせ、堀川の東の袂を南へ向かいますが、正親町へ今少しという所で、女は後ろを振り向いて、「実は五条付近にはさしたる要も無いのです。私の家は都の外なので、そこまで送ってもらえないでしょうか。」と言います。 綱が「わかりました。何処にでも送りますよ。」と言うのを聞くと、女は形相を変え恐ろしい鬼となり、「さあ、わが行くところは愛宕山ぞ。」といって、綱の髻(もとどり)をつかんで、西北天へ飛びました。

綱は少しも騒がず、名刀「鬚切」をさっと抜いて仰向けに鬼の腕を切り落としました。綱は北野社(北野天満宮)の廻廊の上にどっと落ち、一方、鬼は腕を切られながらも愛宕山へと飛んで行きました。さて、綱は廻廊から跳り下りて、髻を摑んだままの鬼の腕を取って見れば、雪のような白い容貌と違って黒々としていて、白い毛がびっしりと隙間無く生えていて銀の針を立てたようでした。綱が、鬼の腕を持ち帰って頼光の元へ参上すると、頼光はたいへん驚き、不思議な事だと思って「晴明を召せ」と命じました。そして、参上した播磨守安倍晴明に、「どうすればよいか。」と尋ねると、晴明は、「綱は七日間の暇をいただいて慎み、鬼の腕は厳重に箱に封じて置かれ、祈祷に仁王経を講読すると良いでしょう。」と言うので、そのようにしました。

そして、既に六日が過ぎた夕暮れに、綱の宿所の門を叩く音がします。「何処からのものだ。」と尋ねると、「私は綱の養母で、渡辺から上洛したものです。」と答えます。彼の養母というのは、綱の伯母でした。使いが変な様子も無いというので、綱は門の傍まで出て、「うれしい御訪問ではありますが、七日の物忌を行っている最中で、今日は六日目になります。明日まではどうしても適いませんので、宿にお泊りください。明後日になれば入っていただけましょう。」と言えば、養母はこれを聞きてさめざめと泣いて、「仕方のないことです。しかし、生母が産んだあなた様を受けとって養い育てた気持ちをどのように思われるのでしょう。夜も安心して寝られず。私は濡れた所に寝て、乾いた所にはあなた様を置いて、四、五歳になるまでは、強い風にも当てないようにし、いつか我が子が成長して、優れた人になるのを見たい、聞きたいと思って昼夜願っていた甲斐があって、摂津守殿の御内で、美田源次(渡辺綱)といえば肩を並べる者もありません。上にも下にも誉められ喜びだけと思いながらも、遠路のためいつも上洛することなどありません。会いたい恋しいと思うことは親子の中の偽りです。最近、立て続けに悪い夢を見たので、心配して渡辺から上洛しましたが門の内へも入れられません。親と思われていいない我が身で子を恋しいと思うのは空しい気持ちです。」綱はこの道理に責められ、門を開いて中に入れました。

母は喜んでこれまでの事や将来のこと等を話し、「さて七日の物忌というのは何事ですか。」と問うので、綱は隠す事でもないので有りのままに話しました。母これを聞き、「それは重要な戒慎ですね。そのようなこととは知らないで恨んだりして後悔しています。ただ、親は子の守りでもあり他人事ではありません。鬼の腕というのはどんな物なのか見せてください。」と言います。綱が「それはお安いことですが、固く封じているので七日目が過ぎるまでは出来ません。明日暮れてからお目にかけましょう」と言うと、養母は、「わかりました。別に今見なくても不自由な事でもありません。私は次の朝は夜が明けないうちに来ましょう。」と恨めしい顔で言うので、綱は箱に厳重に封じていた鬼の腕を取り出して養母の前に置きました。母は、繰り返しこれを見て、「これは怖しい。鬼の腕というのは、このようなものですか。」と言っていましたが、そのまま立ち上がると、「これは我が腕なので、もらっていくぞ。」と言って、恐ろしい鬼の姿になって飛び上がり、屋根の破風を蹴破って空中に光りながら消えていきました。それ以来、綱の出身の渡辺党では家の屋根造りには破風を立てず、東屋作りにするようになったということです。綱は鬼に腕を取り返されて、七日の物忌を破ることになりましたが、仁王経の力によって特に何ともなかったのでした。そして、名刀「鬚切」は、鬼の腕を切って後は、「鬼丸」と改名したということです。



さて、媚びたり、泣いたり、喜んだりと鬼の巧みな演技に、さすがの綱も騙されて、鬼の腕を奪還されたわけですが、鬼の巧みな話術が面白く、長々と掲載してしまいました。

その後の一条戻橋についてです。

その後、桃山時代には、千利休が大徳寺山門上に自身の像を置いたことに怒った豊臣秀吉は、利休を切腹させると同時に、利休の木造を一条戻橋の上で磔にしました。そして、死んだ利休の首を木像の下に置いて、像が首を踏みつける姿で晒しものにしたと伝わります。
また、戦時中は、出征する兵士が無事に帰還できるようにと、戻橋を渡り、また、現在でも婚礼や葬儀の際はこの橋を避けて通るということです。

最後に、現在の戻橋は、平成七年(1995)に架け替えられたもので、先代の橋は大正十一年(1922)から平成七年(1995)まで架けられていました。その当時の親柱や欄干を再利用したミニチュア版が、晴明神社境内に再現されていることは、晴明ファンには良く知られていますね。(写真)

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