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前にブログPart1で採り上げた般舟院と般舟院陵の写真を増やして再掲載します。
上京区今出川通千本東入る般舟院前町には、嘉楽中学校という中学校がありますが、その校門前には「禁裏道場蹟」の石標が立っています。この石標は、この地が御所の禁裏道場として栄えた般舟院(はんじゅいん)という寺院の敷地だったことを示しています。
この般舟院は、現在も小さくつつましく残っていて、中学校の東側に「月指山般舟院」と記された山門らしきものがあるので奥に進むと、ビルと学校の間に新しいお堂が見つかります。この通る人も気付かないよう般舟院ですが、かつては中学校の敷地からその西側の般舟院陵までに至る大寺院でした。
般舟院は、山号を指月山という天台宗寺院で、正式には般舟三昧院(はんじゅさんまいいん)といいます。また、本尊は阿弥陀如来です。応仁の乱以降に、後土御門天皇が恵徳上人(えとくしょうにん)善空を開山として伏見指月に建立し、以降歴代皇室の菩提所として、皇室ゆかりのお寺として現在も有名な泉涌寺と並んでたいへん重んじられ、その後、文禄三年(1594)、豊臣秀吉の伏見築城によって現在の西陣の地に移りました。
江戸時代には、後陽成天皇、後水尾天皇、後光明天皇、新上西門院(霊元天皇中宮)、中和門院(後陽成天皇女御)、新中和門院(中御門天皇女御)、中御門天皇、壬生院(後水尾天皇の典侍)、新広義門院(後水尾天皇の典侍)、桃園天皇、桜町天皇等の法会が行われています。また、延宝六年(1678)九月には、泉涌寺に四百石、般舟院に百石が加増され、享保十五年(1730)の大火に遭って霊牌殿が被災しています。
明治以降は、泉涌寺が明治維新の廃仏毀釈で墓域を宮内省に上地されて縮小し一時衰退したように、般舟院も完全に衰退しました。皇室からの補助がなくなり、般舟院に安置されていた歴代天皇の位牌は泉涌寺に移され、また敷地の大部分は、上京第七番組小学校(現在の嘉楽中学校)となりました。
こうして、現在は本堂・元三大師堂が残るのみですが、所蔵する平安時代作の木造不動明王坐像と木造阿弥陀如来坐像が重要文化財に指定されています。
次回は、隣接する般舟院陵についてです。
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