京都を感じる日々★古今往来Part2・・京都非観光名所案内

京都を感じる日々★古今往来part1・・京都非観光名所案内のニューバージョンです。

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返信: 97件

[ 中路正樹 ]

2010/11/1(月) 午前 10:48

1度拝観したいですね。

いつごろ特別公開するのかな

ウォークと歴史のブログです。立ち寄ってコメントしてね

宇治市 中路正樹

[ hiropi1700 ]

2010/6/13(日) 午後 3:00

幕末というと、かなり現在に近い時代に感じますが、戊辰戦争の際に崇徳上皇の祟りを警戒していたという話は面白いですね。現在、私達が想像する以上に、崇徳上皇の御霊というのは、歴史上様々な影響を及ぼしていたのかもしれませんね。

[ hiropi1700 ]

2010/6/13(日) 午後 2:17

長慶天皇の謎めいた生涯や御陵については、ネット上でもあまり触れられていないので、今回は、かなり書き込んでみました。
また、御陵の傍の晴明の墓は、日本各地にある晴明の墓の中でも、一番信憑性の高いものとされていますが、室町時代頃以降に史書に初めて登場するために、それ以前のことは不明のようです。墓を祀った寺院があったと思われますが、色々調べても面白いのかもしれませんね。歴史の面白さはパズルを解く面白さに似ていますね。

[ ゆたか ]

2010/6/8(火) 午前 6:41

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いい内容でした。ありがとう。なぜ、長慶陵に隣接して晴明さんのお墓があるのか不思議ですね?

まったりさん

2010/6/6(日) 午後 11:32

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はじめまして、「こんな記事もあります」から来ました。。
朝廷に恨みを抱いている崇徳上皇の御霊が、奥羽列藩同盟に味方しないようにするために、白峯神社に崇徳上皇の御霊を奉遷させることになったと民俗学者の谷川健一氏が書いていました。。
幕末から明治に移る時代にそんなことを考えていたのかと妙に関心させられました。。

[ 松 但馬 ]

2010/5/26(水) 午後 6:29

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はじめまして、円通寺もさることながら、狐小僧さんの情報が新鮮でした。”於ちく”は永井信濃守家臣永井但馬某の妻だったらしく、東京・早稲田の法正寺に葬られたと私の史料に載っています。それには天良院の葬地に本経寺記載がありませんでした。
この史料では、本経寺には姉妹の”於まん”自常院殿清雲妙浄信女が葬られているようです。

[ hiropi1700 ]

2010/5/25(火) 午前 10:26

吉田松陰の友人でもあった宮部鼎蔵や、松陰の弟子で高杉・久坂と並ぶ逸材・吉田稔麿等、明治まで生きていれば首相大臣候補と言われた人物達の死は惜しまれますね。明治維新で多くの人材が亡くなりましたが、彼らに共通しているのは、武士として事に当るためには命を捨てる覚悟が必要であると自覚していたことで、危険を顧みず進んで死地に赴く気骨があったと思います。

[ 中路正樹 ]

2010/5/24(月) 午後 3:08

5月22日に幕末京都ポランティアに参加してみんなで合掌しました。

放置された、遺体を葬ったひとに感謝したい

[ hiropi1700 ]

2010/5/21(金) 午後 9:12

いつもありがとうございます。更新で手一杯でご訪問できていませんが、よろしくお願いします。

[ 中路正樹 ]

2010/5/21(金) 午後 2:45

こんにちは

史跡、寺院の交流お願いします

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