京都を感じる日々★古今往来Part2・・京都非観光名所案内

京都を感じる日々★古今往来part1・・京都非観光名所案内のニューバージョンです。

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松尾大社から約五百メートル南、京都市西京区松室山添町にある月読神社(つきよみじんじゃ)は、現在は、松尾大社の境外摂社になりますが、元々は日本書紀にも登場する京都屈指の古社とされ、延喜式の名神大社の一つになります。境内は松尾の深い森に囲まれていて、私の好きな神社でもあります(かなり以前に、ブログパート1に採り上げましたが、写真を増やして掲載します)


さて、月読神社の祭神は月読尊(つきよみのみこと)です。「日本書紀」によれば、顕宗天皇の三年(487)春二月一日、阿閉臣事代(あべのおみことしろ)という者が天皇の命を受けて朝鮮半島の任那に派遣される途中、壱岐で月読尊が人に憑いて、「わが祖の高皇産霊(たかみむすひのみこと)は、天地を造られた功がある。田地を我が月神に奉れ。若し求めに応じて献上すれば、慶福を得られるだろう」という神託を受けました。
そこで、阿閉臣事代は京に還ると天皇に奏上して、山城国葛野郡の歌荒樔田(うたあらすだ)の地(桂川沿い、現在の上野辺付近他諸説あり)を神領として賜って月読尊を祀る神社を創建し、壱岐の県主(あがたぬし)の先祖の押見宿禰(おしみのすくね)が神職として奉仕したということです。
そして、以後、押見宿禰の子孫に当たる壱岐氏が卜部姓を称して(中世には松室姓へ)代々神職として世襲しました。

この「日本書紀」に記載されている神社創建伝承の背景を考えると・・元々、壱岐島(長崎県)で壱岐氏が海上交通の神として祀っていた月読神社が、京都へ勧請されることになったのは、前に採り上げた櫟谷・宗像神社(いちいだに・むなかたじんじゃ 京都市西京区嵐山中尾下町)と同じく、渡来系氏族、特に山城国のこの地一帯を古代から開拓していた秦氏が働きかけた可能性が高いと考えられています。
そして、秦氏を中心とした渡来系氏族が朝鮮半島から畿内に至る交通網の安全祈願のために月読尊をこの地に勧請したということは、古代の渡来文化の伝播を考える上でも興味深く、月読尊を祀る神社が全国でも少ないことからも注目に値する神社といえるでしょう。


その後、月読神社については、「続日本記」の大宝元年四月の条に、樺井(かばい)神、木島(このしま)神、波都賀志(はつかし)神等と共に、その神田から取れる稲を、今後中臣氏に給付せよとの勅があったと記され、また、「日本文徳実録」によると、文徳天皇の斉衡三年(856)三月に桂川の水害を受けて、松尾山南麓の現在地に移ったと記されています。

さらに、「日本三代実録」の貞観元年(859)正月の条に、京畿七道諸神進が神階及新叙された際、山城国においては、松尾神が筆頭として従一位に、第二位として葛野月読神と平野社の今木神が正ニ位に、稲荷神三前、梅宮四座(大若子神、小若子神、酒解神、酒解子神)が正四位上に、平野社の久度、古開神が従四位上、貴船神、乙訓火雷神、水主神等が従四位下に叙されていて、松尾社(現松尾大社)や平野社(現平野神社)のような現在も大社として知られる神社と並んで、月読社がたいへん重要視されていたことがわかります。また、同年九月八日の条にはこの月読神を筆頭に山城国の木島、羽束志、水主、樺井、和岐神他畿内の四十四神に遣いを派遣し幣を奉って風雨を祈らせています。

そして、「延喜式」によると、延喜六年(906)正一位勲一等の神階を得、延喜式では山城国葛野郡二十座の一つ「山城国葛野坐月読神社」として名神大社に列しています。このように、全国的にも非常に格式の高い名社でしたが、社地が松尾大社の勢力圏内にあるために、中世には松尾大社の摂社とされ、江戸時代の「都名所図会」でも「松尾七社」の一社と記されています。そして、明治十年(1877)に松尾大社の境外摂社に定められました。



境内は、江戸時代に建てられた本殿、拝殿を中心に、御船社、聖徳太子社、月延石があります。
聖徳太子社は、月読尊を崇敬し奉ったという聖徳太子の徳を称えて祀られたものといわれ、学問の神として知られます。また、御船社は、天鳥船神を祭神とし、毎年神幸祭の前に渡御安全祈願祭を執行する末社で、航海安全、交通安全の神になります。

月延石(つきのべいし)は安産石とも称し、「古事記」記載の伝説では、神功皇后が後の応神天皇を胎内に宿しながら新羅遠征を行った際、皇后は神石を腹に当てて出産を抑え、その後無事に安産できたと伝えられています。「雍州府志」の伝説によると、その後、月読尊の神託によって、第三十四代舒明天皇が、伊岐公乙等を筑紫に遣わしてこの神石を求めて当社に奉納したということです。こうして、月読神社は、安産の霊験のある神社として知られるようになりました。現在は、「戌の日」に安産の特別祈祷をしていて、祈祷後に「安産祈願石」に名前を書いて月延石の前に供えているということです。
その他、境内には縁結び・恋愛成就の「むすびの木」、水が枯れる枯れたことが無く、自己の罪や穢れを除く「解穢の水」があります。また、高い木々に覆われた静かな境内は、平成五年四月に京都市指定史跡に定められています。

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