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京都市左京区静市静原町にある静原神社(しずはらじんじゃ)を採り上げます。
静市地域の観光名所といえば、小町寺(補陀洛寺)程度しか無いために、今回の静原神社も余り知られていませんが、例えば、貴船の貴船神社、鞍馬の由岐神社、大原の江文神社、八瀬の八瀬天満宮、上高野の三宅八幡宮、岩倉の石座神社等々と並んで左京区北部を代表する神社の一つと言えるでしょう。開放的な境内には、巨大な御神木の大杉が何本も聳え立っていて、山の神社らしい清々しさを感じます。また、社殿も素朴ながら厳かで味わいがあります。
さて、静原神社の祭神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)です。
社伝によれば、静原神社は、古代の成務天皇十二年(142)三月午日に、山城国愛宕郡志津原(現在の左京区静原)に創建されたと伝えられ、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が高天原に坐し、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が日向の高千穂に天降り、初めは静原楢小川の上流「河合谷意美和良川」に鎮座したということです。そして、古来、本社に伊弉諾尊、奥御前に瓊瓊杵尊を祀っていたため、合わせて「二宮社」と呼ばれていました。
また、天武天皇が逆徒に襲われてこの地に臨幸し、心体を安らかにできたことから「志津原」を「静原」と称するようになったということです。そして、天武天皇は、刀や弓・矛等を奉納して江州浅井郡の地三三〇石を寄付し、和銅四年(711)三月三日より祭祀を始めたと伝えられます。そして、現社地を「真路山」、御旅所を「天皇社山」と称していたということです。(御旅所は、前回に掲載した天皇社を指すと思われます)
その後、応仁の乱以降の戦乱で、明応年間(1492〜1502)、静原城を拠点とした岩倉山本氏の対馬守資幹が管領細川政元と戦った際に、兵火によって社殿が焼失、古記録も失いました。また、豊臣秀吉の天正検地で三三〇石を没収されますが、秀吉より下鴨神社社領として三〇石が定められ明治に至るまで続いたということです。(江戸時代の「雍州府志」には、上賀茂神社の末社とありますが、実際には近年まで下鴨神社の末社だったということです)
この下鴨神社との関係から、静原沙汰人と称して、御蔭祭・葵祭に奉仕する活動が現在も氏子を中心に続いていて、古くから静原周辺に自生する葵を採取して下鴨神社に奉納し祭に備えていましたが、現在は数も少なくなったため、静原では葵を栽培して葵祭に備える活動を行っているということです。
尚、延喜式の愛宕郡二十一座(大八座 小十三座)の須波神社を想定する説もありますが、証拠に乏しく不明。末社として、本殿の右に天満宮社、比賣宮、豊受神社。 左に貴船神社、天照大神宮、八幡宮社、惣山神社、香取神社、猿田彦社を祀ります。
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