京都を感じる日々★古今往来Part2・・京都非観光名所案内

京都を感じる日々★古今往来part1・・京都非観光名所案内のニューバージョンです。

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現在、京都古文化保存協会主催の秋の京都非公開文化財特別公開が行われています(10月30日〜11月8日)、今回は、特別公開中の臨済宗東福寺派大本山・東福寺の塔頭、東光寺(とうこうじ 京都市東山区本町十五丁)を採り上げます。

東光寺は、東福寺山内の東南、六波羅門の西に位置する塔頭で、これまでも特別公開されたことがありますが、一般にはほとんど知られていないと寺院と思われます。
東福寺は修行第一の禅宗本山にしては珍しく観光客を広く受け入れている寺院として知られますが、その塔頭寺院の幾つかも通常公開もしくは特別公開を行っているため、(芬陀院、霊雲院、同聚院、光明院が通常公開。龍吟庵と天得院が毎年特別公開。勝林寺は近年特別公開開始。他に退耕庵は予約制・特別公開、即宗院は過去に特別公開あり)
東光寺のようなあまり知られていない地味な塔頭は、時間の無い観光客にとっては他の塔頭の後回しになるか、忘れられがちになるように感じます。(以下、古文化保存協会発行「拝観の手引き」より引用)


さて、臨済宗東福寺派大本山・東福寺の塔頭、東光寺(とうこうじ)は、鎌倉時代末期の応長元年(1311)、東福寺第七世・無為昭元(むいしょうげん 大智海禅師)によって創建されました。創建時は現在地よりも少し北に位置していたことが図会で確認され、その後一時期、衰退か廃寺となったようですが、その間の記録が失われているため詳細は不明のようです。その後、中興開山となった古林智教(こりんちきょう)禅師によって寺域が復興し、明治元年(1868)、それまでの堂宇を長慶院(現在は廃寺)に譲り、東光寺を曹渓院と合併して現在に至ります。

開山の大智海禅師(無為昭元)は、寛元三年(1245)に誕生し、東福寺開山・聖一国師(円爾 しょういちこくし えんに)のもとで修行して正安二年(1300)に京都三聖寺の住持に、さらに、嘉元三年(1305)に東福寺の住持となって東福寺第七世となりました。
また、徳治二年(1307)四月に、鎌倉円覚寺の住持となり、応長元年(1311)二月に円覚寺を退いて相州宝満寺に寓し、同年五月十六日に相州宝福寺で示寂しました。そして、その後、東福寺塔頭東光寺に埋葬し、「大智海禅師」と朝廷から諡号を賜りました。

大智海禅師(無為昭元)に関する詳しい資料は少ないようですが、「正安二年三聖寺無為昭元の会下百七十七人あり」と伝わるように、当代一の高僧として知られました。そして、「元亨釈書」を著すなど内外の典籍に通じた虎関師錬(こかんしれん 1278〜1346)、後に「東福四哲」の一人に数えられた無徳至孝(むとくしこう 1284〜1363)、臨済宗永源寺派の開祖となった寂室元光(じゃくしつげんこう 1290〜1367)等々の多くの僧が大智海禅師(無為昭元)のもとに参じていて、禅師は東光門派の祖としても知られています。

また、無為昭元には始め諡号が無く、正中三年(1326)三月に、「智海」の二字を賜る事になりましたが、無徳至孝がこの二字の前に大の字を加えるように主張したという記録があるということです。時の後醍醐天皇は、当時としては前例の無い三字の諡号に難色を示しましたが、中国において「大法眼禅師」の諡号があることを例として、嘉歴四年(1329)、無為昭元に「大智海禅師」の諡号を賜ったということです。


さて、東光寺の山門を潜ると、正面に庫裏と本堂があります。本堂の建築年代は不明ですが、全六室で構成された典型的な禅宗様の方丈建築で、仏間には本尊の文殊菩薩像を祀り、開山の大智海禅師(無為昭元)像、中興開山の古林智教禅師像をその左右に配しています。

本尊の文殊菩薩半跏像は、像高二十二.八センチの木造寄木造りで、像の形態や玉眼嵌め入れの技法から室町時代後期の、院派系の仏師による作と考えられています。また、東光寺の創建当初は、観音菩薩を本尊としていたようですが、その後、本尊が現在の文殊菩薩像に変わった理由等は記録が残っていないために不明ということです。

また、同じく須弥壇に祀られている開山の大智海禅師(無為昭元)像は、針葉樹林を用いた像高八十三.二センチの寄木造りの玉眼嵌入の尊像です。法衣の上に袈裟をかけ、椅子(曲ろく)に座った等身大の量感ある作で、元々は、右手には払子(ほっす)か竹篦(しっぺい)を持っていた推測されています。尚、頭部には補修跡があって体部とは別の時期に作られた可能性があり、截金(きりかね)彩色が残る体部は室町時代の作、頭部は江戸時代と推測されます。
また、中興開山の古林智教像は、像高三十一.八センチで木造寄木造りで玉眼嵌入、江戸時代の作と伝わります。さらに、須弥壇の左には、現在の東光寺の寺域にあり廃絶した長慶寺の開山・直山(じさん)和尚像が祀られています。この像は像高七十二.七センチ、桧材の寄木造りで玉眼嵌入の等身大の坐像で、製作は室町時代と推測されています。

また、方丈を囲むように南と東に広がる庭園は、松や楓等の多くの木々が配され、苔とのコントラストが美しい枯山水庭園です。専門の庭師ではなく数代に渡る住職や副住職が丹精込めて造った庭ということで、東福寺山内に多い重森三玲作のアート系の庭とは違う、どこか天徳院の庭と似た優しげな庭園です。
訪れた際は、黄色いツワブキや赤くなり始めた楓等が苔や松等の常緑樹によくマッチしていました。

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現在、京都古文化保存協会主催の秋の京都非公開文化財特別公開が行われています(10月30日〜11月8日)大蓮寺(だいれんじ)は、安産祈願のお寺として知られ、洛陽三十三観音霊場の第八番でもあります。仏像の一部は通常期も拝観できますが(但し、観光寺院ではありませんので、信仰のための参拝に限ります)、今回は特別に秘仏の薬師如来像が初めて公開されました。


さて、東山二条周辺には、これまでブログに掲載した妙伝寺、聞名寺、寂光寺等の五十以上の寺院が密集していますが、今回の大蓮寺もその中の一つです。(以下、寺のホームページと古文化保存協会発行「拝観の手引」から引用)

大蓮寺(京都市左京区西寺町二条下る正住寺町)は、正式には、「引接山極楽院大蓮寺(いんじょうざんごくらくいんだいれんじ)」という浄土宗知恩院派に属する寺院です。
創建は、関ヶ原の戦いがあった慶長五年(1600)、専蓮社深誉(じんよ しんよ)上人が阿弥陀如来を祀る一宇を建立したことに始まります。寺は、元々は下京区の五条通西洞院下る毘沙門町付近にありましたが、戦時中に五条通の拡張工事のため、強制疎開に遭って廃寺寸前となって移転を余儀なくされ、寺域を現在の東山二条に移しました。
元々現在の地には、小川流煎茶の流祖・小川可進の墓(今も存在しますが、関係者以外は墓参禁止)がある浄土宗寺院・常念寺がありましたが、同寺の住職は戦死していました。そこで、法類関係だったこともあって戦後は共存し、昭和四十年代に合併して現在の大蓮寺となりました。その後、平成四年(1992)から本堂改築等の境内整備を行っています。


新しい本堂(平成五年(1993)完成)には、正面中央に本尊阿弥陀如来像、脇侍千手観音像と不動明王像が祀られ、右に薬師如来像、日光・月光菩薩像、十二神将、夜叉神明王像等の諸仏。
中央の右脇壇には、かつての常念寺本堂の本尊阿弥陀如来と脇仏の観音・勢至両菩薩、後光明天皇やその皇女女一宮(孝子内親王)の位牌等が安置されています。
また、本尊の左前には、洛陽観音霊場第八番の十一面観音像が祀られています。

本堂中央に安置されている本尊阿弥陀如来像は、慈覚大師円仁の作と伝わる端正な顔立ちの仏様で、大蓮寺が「安産の寺」と呼ばれる由来となった尊像でもあります・・

寺の縁起によると、平安時代初期、慈覚大師円仁は、晩年に比叡山の念仏堂に篭って念仏三昧に修行し、一体の阿弥陀如来像を彫りました。その仕上げに掛かっていると、夢の中にこの阿弥陀如来が現れ、「比叡山から京都へ下りて、女人の厄難(出産の苦しみ)を救いたい」と告げました。そこで円仁は、お告げに従って女人禁制だった比叡山を下りて、真如堂にこの尊像を安置したところ、忽ち京の女性達から圧倒的な信仰を集めるようになり、阿弥陀如来を信仰した多くの女性達が、出産の苦しみから救われたということです。しかし、その後、応仁の乱で真如堂が荒廃すると、阿弥陀如来像も行方不明になってしまいました。

さて、それから百数十年が経った慶長五年(1600)、後に大蓮寺の開山となった深誉上人が京都伏見の町を歩いていると、一軒の荒れた御堂に光眩い阿弥陀如来があるのを発見しました。上人は誰もこの阿弥陀如来をお守りしている様子が無いことに心を痛め、この年、大蓮寺を建立してこの阿弥陀如来を安置しました。一方、真如堂は元禄年間に復興し、失った阿弥陀如来を探し始めましたが、やがて大蓮寺の阿弥陀如来がかつての真如堂の本尊であることが分かりました。幕府から阿弥陀如来像を真如堂へ返還するように命じられた上人が、二十一日間念仏を称え続けたところ、成満の二十一日目の朝、不思議にも阿弥陀如来像が二体に分かれていて、結局、大蓮寺と真如堂で一体ずつ安置することになったということです(尚、本尊阿弥陀如来像、千手観音像と不動明王像を脇侍とするのは真如堂と同形式ということです)

また、慶安三年(1650)には、後光明天皇の典侍庭田秀子が懐妊し、大蓮寺二世・霊光和尚に安産祈願の勅命が下り、秀子は皇女女一宮(孝子内親王)を安産しました。以降、後光明天皇の勅願所となり、夭折した天皇の後は、有栖川宮家が継承して念仏道場として信仰したことで、安産の寺として知られるようになり、多くの人々に信仰され親しまれることになりました。



さて、大蓮寺には、現在の八坂神社の前身で、京都の祇園という名前の由来にもなっている祇園社(祗園感心院)の遺仏が安置されています。
明治の神仏分離、廃仏毀釈前は、日本の多くの寺社は神仏混交が一般的でしたが、祇園社境内には、本殿(天神堂)の西側に観慶寺(祇園寺とも)という寺院がありました。
大蓮寺開山・深誉上人が、観慶寺(祇園寺)の勧進をつとめた縁から、江戸時代には大蓮寺と観慶寺(祇園寺)は深い関係があったようで、明治の神仏分離、廃仏毀釈によって観慶寺(祇園寺)が廃寺になった際、全ての仏像や仏具は大蓮寺に移されたということです。

そして、この観慶寺(祇園寺)の本尊(祇園社本地仏)が現在大蓮寺本堂内に安置されている薬師如来像です・・元祇園社本地仏の薬師如来像は、像高百九十二.四センチ、ヒノキ材の寄木造りの漆箔の像で、元々観慶寺薬師堂に祀られていました。伝教大師最澄の作と伝えられてきましたが、実際は延久二年(1070)の火災で祇園社が焼失した直後に定朝の流れを汲む仏師によって造られたものと考えられていて、国の重要文化財に指定されています。この像は祇園社に祀られていた時から秘仏で、今回が一般初公開ということです。

その他の祇園社の遺仏・・・脇侍の日光・月光菩薩像、十二神将像、夜叉神明王像は秘仏として普段は公開されていませんが、十二神将像と夜叉神明王は、毎年の元日〜五日の間のみ公開されています。
尚、この夜叉神明王(やしゃじんみょうおう)は、洛陽十二社中の一つとされ、「洛陽十二社霊験記」によると、祇園社薬師堂中の厨司に安置された秘仏だったようです。そして、かつては、志願成就の為に十二社参りが行われていたことから、大蓮寺では、現在も夜叉神明王の御札を授与しているということです。

また、洛陽観音霊場第八番の十一面観音菩薩像は、十世紀の作で、祇園社諸仏中で最古の像と考えられています。平成十七年(2005)に洛陽三十三所観音霊場が復興して、大蓮寺も札所入りしてからは、観音信仰の熱心な信者も参拝に訪れるようになり、祇園社の遺仏中、この仏像のみは年中拝観することが出来ます。


他に、平成二十年(2008)に製作された藤野正観筆の「走り坊さん」の掛軸も展示されています。
明治大正時代には、大蓮寺には、墨衣にずた袋を提げて京都市中を走り回る「走り坊さん」と呼ばれた僧侶がいました。
名前は籏玄教(はたげんきょう)といって、明治二十三年(1890)、十八歳で大蓮寺に仕え、寺男として寺の使いや安産のお守りを妊婦に配って市内を走っている内に、「走り坊さん」と市民の人気者になりました。

玄教は、身長約百四十三センチの小男でしたが、一日に十五里(約六十キロ)を駆け抜ける脚力の持ち主で、歩行が困難で寺に来られない妊婦に安産の御守りを届け、米や菓子などもらったものは、貧しい人に配ったということです。そして、大正七年(1918)に病気で亡くなると新聞は大きく報じ「今一休」と称え、葬儀には多くの参列者があったということです。
大蓮寺では、この「走り坊さん」の存在を広く知って欲しいとして、籏玄教の走る姿を絵にして掛け軸にし、「走り坊さんの足腰健常」の御守りを作り授与しています。


その他、本堂の前にあるのが、大蓮寺名物の樹齢百年程と推定される松の巨木です。
「大王松(だいおうしょう)」という京都市内でも個体数の非常に少ない松の種類で、平成十八年(2006)三月に、京都市の保存樹に指定されています。また、境内には大蓮寺の名前にちなんで、鉢植えの蓮が育てられています。十九世慧誉上人が大切にしていた「藤壺蓮」など、二十数品種約三十鉢があり、毎年夏には美しい花が咲くということです。

また、年間行事の中で大蓮寺の特徴のあるものとして、十一月第二土曜日の「お十夜法要」があります・・十夜法要自体は浄土宗寺院で広く行われている恒例法要ですが、後光明天皇の一子、皇女女一宮(孝子内親王)が大蓮寺に安産祈願をして無事誕生し、その後、内親王は念仏信者として天授をまっとうして十夜の正当日の十月十五日に亡くなったことから、大蓮寺では、内親王にあやかって十夜法要の日を安産祈願の縁日としています。そして、この日に安産阿弥陀如来の御腹仏を一年に一度開帳し、十夜法要後には、安産の特別祈願・子供成長祈願を行っています。 

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