京都を感じる日々★古今往来Part2・・京都非観光名所案内

京都を感じる日々★古今往来part1・・京都非観光名所案内のニューバージョンです。

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京都府向日市の北西部にある向日丘陵(西ノ岡丘陵)には、元稲荷古墳、五塚原古墳、寺戸大塚古墳、そして、前回に採り上げた伝高畠陵古墳(桓武天皇皇后・藤原乙牟漏(おとむろ)の御陵「高畠陵」)など、大規模な古墳が丘陵の尾根上に並んでいます。その中で、今回は五塚原古墳を採り上げました。(以下、向日市広報参照)


五塚原古墳(いつかはらこふん)は、向日市市役所の北西にある「はりこ池」という大きなため池の西にある丘陵上にあります(向日市寺戸町芝山)
丘の麓に小さな児童公園があり、松等に覆われた小高い丘上へと階段が続いています。そして、階段を登った丘の頂上(後円部)には標高六十九.七メートルの三角点が設置されています。この地元の子供たちの遊び場になっている丘が五塚原古墳です。

この古墳は、今から約千七百年程前に築かれた前方後円墳で、後円部の一部が住宅建設によって壊れていますが、この地方の古墳群が竹薮の土取り等によって次々と姿を消していった中で、元の姿を現在まで最もよく留めているとされます。

現在まで石室等、内部の本格的な発掘調査は行われていませんが、1960年代から70年代には京都府教育委員会や京都大学によって測量調査が行われ、昭和五十二年(1977)の京大考古学研究室の測量調査によって、墳丘の規模や状態が明らかになりました。また、平成十二年(2000)、同十三年(2001)にも、立命館大学が中心となって調査団が結成され、墳丘の部分的な発掘調査が実施されています。

京大考古学研究室の測量調査によると、古墳の全長は九十四メートル(後の計測では九十一メートル余とも)、後円部の直径は五十四メートル、高さは八.五メートル。前方部の幅は三十六メートル、高さは四、メートル、くびれ部の幅は十八メートルで、後円部に比べて前方部が低く、幅も狭いという典型的な古墳時代前期の古墳の形をしています。
また、墳丘の斜面には人の拳(こぶし)大から人の頭程度の大きさの河原石を使用した葺石(ふきいし)が発見され、 これらは古墳の西を流れる小畑川(桂川の支流)から運ばれたものと考えられています。その他、墳丘の裾部では埴輪片も採集されています。
古墳の主体部は、帝塚山大学の電気(レーダー)を利用した調査により一部明らかとなり、それによると、後円部には東西十五メートル、南北十一メートルの墓穴、前方部には東西五メートル、南北七メートルの墓穴があることが判明しました。


また、前回に書きましたが、この古墳は、江戸時代には、平安時代の桓武天皇皇后の藤原乙牟漏(おとむろ)の御陵「高畠陵(長岡陵とも」と考えられていました。
幕末の国学者・津久井清影の『聖蹟図志(せいせきずし)』には、「高畠陵、一に長岡陵という。皇太后藤原氏。在山城国乙訓郡向日西北三町許」として図会が付けられていますが、そこには、寺戸村の「用水池(はりこ池)」の西に小松山として松林の続く山並みが描かれ、当時、「五ツ塚原(いつつつかはら)」と呼ばれた現在の五塚原古墳の頂上の南脇に、高畠陵として藤原乙牟漏(おとむろ)の御陵が描かれています。
しかし、その後の研究により、前回、乙牟漏の御陵を採り上げた際に書いたように、明治十二年(1879)十月に、五塚原から北西、現在乙牟漏の御陵がある向日市寺戸町字大牧の丘陵へと指定が替えられています。

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