京都を感じる日々★古今往来Part2・・京都非観光名所案内

京都を感じる日々★古今往来part1・・京都非観光名所案内のニューバージョンです。

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金蔵寺その2

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金蔵寺の続きです・・


善峯寺、楊谷寺、三鈷寺、十輪寺等々、京都の西山方面にある多くの寺院は、山沿いの傾斜地を利用して建てられていますが、金蔵寺の境内も二段、三段に分かれて石段で通じています。

さて、朱塗りの仁王門を潜って石段を登ると、右に護摩堂、左に比較的簡素な庫裡と客殿があります。そこから、さらにに石段を登ると本尊・十一面千手観音像を祀る本堂(洛西観音霊場の第二番札所になっています)があります。また、本堂の左奥には、金蔵寺復興に助力した桂昌院の廟所があり、本堂右には開祖隆豊禅師を祀る開山堂、さらにその東には下の川弁財天社、その後ろに聖武天皇経塚碑があります。

また、本堂の背後には、明治初年に愛宕山より、本尊・将軍地蔵像(防火勝軍地蔵大権現)を移して祀っています。
愛宕大権現は、元々、役小角(役行者)が京都の清滝で不動明王・毘沙門天をはじめ九万八千の夜叉を率いて出現した姿を霊感によって感得し、それをそのまま像として刻んで愛宕山に祀ったのが始まりといわれます。以来、防火と勝負の守護神として信仰され、特に武将の信仰が厚く出陣の際には愛宕山に戦勝宿願を祈念する例が多かったのですが(明智光秀が本能寺の変の直前に愛宕山に参詣したことは有名ですね)、明治三年(1870)の神仏分離令によって、愛宕権現は愛宕山から縁故ある金蔵寺に遷座しました。

さらに、平成二年(1990)四月、本堂の西に新しく葉山社が建立され、本殿には木花咲弥姫大神、右殿に当山全自然神霊、左殿に桂昌院御魂を祀ります。桂昌院の霊告に静岡富士浅間大社の木花咲弥姫大神を勧請し、当山全自然神霊を合祀するようにと感得したという話に基づき、桂昌院も合祀して新たに創建された社です。

最後に、境内の東端の見晴らし台、長嘯亭からは京都市内が一望できます。
善峯寺や三鈷寺からの眺望も有名ですが、今回は善峯寺や三鈷寺と合わせて訪問したため、三ヶ所からの光景を比較することが出来ました。色々な場所からの眺望を楽しめる善峯寺や、眺望をお寺の最大の売りにしている三鈷寺に比べると、普通の山上にある空き地からの眺めといった印象ですが、こちらの方が、自然に囲まれて静かに眺められるという人もいるかもしれません。




尚、今回は先を急いだため寄りませんでしたが、金蔵寺の境内は山門の下をも含み、多くの伝承にまつわる遺跡が残っています・・・開祖隆豊禅師が彫ったという一願不動明王を祀る不動堂、「梅若丸塚、律師桂海供養塔」、向日明神がこの滝側で産まれたことから「産(さん)の滝」と呼ばれる高さ約十二メートルの三の滝、さらに上流の二の滝、一の滝、さらに鳥帽子岩、影向松等もあります。また本堂の奥からは、小塩山頂上の淳和天皇陵まで続く山道もあり、機会があればこれらの史跡もフォローしたいと思います。

金蔵寺その1

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西京区大原野石作(いしづくり)町にある金蔵寺(こんぞうじ)は、広い大原野地区のほぼ中央、小塩山の東南斜面中腹に位置する寺院です。

小塩山は標高六百四十二メートルの山で、頂上には淳和天皇陵があり、周囲にも多くの史跡があることから、山一帯が京都府の歴史的環境保全地区に指定されています。特に金蔵寺は、奈良時代に創建されたと伝えられる古刹で、本堂や仁王門等の歴史ある建物が周囲の自然環境と一体となって歴史的風土が保持されてきました・・人里離れた山間にあることで開発の手を免れてきたのでしょうが、それだけに京都市内の観光寺院の中では最もアクセスの悪いお寺としても知られ、白洲正子著「かくれ里」にも登場するので、隠れ里ファンは必見です。


山間の不便な場所にある金蔵寺ですが、紅葉の隠れた名所でもあることから、秋の観光シーズンは熱心な訪問者が訪れます。(アクセスに関してですが、一応、阪急電鉄「桂駅東口」や「東向日」駅から路線バスが出ていますが、共に最寄り駅から徒歩で約三キロ、五十分程度は山間の舗装道路を歩かなければならないので、時間の無い観光客には不向きです。また、寺には駐車場がありますが、軽自動車以上の車では離合困難な一車線道路が延々と続くので、通行量の増える秋の観光シーズンは要注意です。地元に詳しい方以外は、やはりタクシーを使用するのが無難でしょう。)




さて、金蔵寺は、山号を西岩倉山という天台宗寺院です。
寺の伝承に拠ると、奈良時代初期の養老二年(718)、第四十四代・元正天皇の勅願によって、隆豊(りゅうほう)禅師が開創したと伝えられます。また、神亀五年(728)には第四十五代・聖武天皇が金蔵寺に勅額を賜り、また華厳、普門品等の経典を書き写して埋めたともいわれます。その後、第五十代・桓武天皇が平安遷都に際し、王城鎮護のために、都の東西南北に一切経の経巻を納めた「平安京四岩倉(磐座)」一つとなり、以来、「西の岩倉=西岩倉山」と号するようになったということです。
尚、桓武天皇が平安京の東西南北に置いた「岩倉(磐座)」は、以下のようだったと伝わります。

西岩倉・・・金蔵寺(西京区大原野石作町)
北岩倉・・・山住神社(左京区岩倉河原町  少しブログに採り上げました。)
東岩倉・・・観勝寺(左京区粟田口大日町 大日山(東岩倉山)にあったが応仁の乱で焼失したようです)
南岩倉・・・明王院不動寺(下京区石不動之町  ブログに採り上げました。)


また、隆豊禅師が開創した際、向日町(京都府向日市)にある向日明神の神助があり、この明神の手引きで山中にあった光り輝く楠木の霊木で千手観音を刻んで本尊としたことが「金蔵寺縁起」に記されています。この開祖隆豊禅師と向日明神が神人合作で天狗の爪で刻んだとされるのが、現在本堂に安置されている身の丈約二メートル一木造の本尊十一面千手観音像で、この時に用いられたという天狗の爪も保管されているということです。
金蔵寺は、平安時代以降には西山の名刹として栄え、最盛期には堂塔四十九を数えましたが、応仁の乱等の戦乱によって全ての建物が焼失し、金蔵寺の正確な歴史を伝える古文書記録類も失われてしまったということです。


さて、善峯寺等洛西にある寺院の中には、五代将軍徳川綱吉の母・桂昌院によって再建されたものが多いですが、桂昌院は、幼少時に親に連れられて洛西一帯の寺院に度々参詣していたともいわれ、金蔵寺にも六歳から十三歳まで寄食した縁があったことから、かつての恩に報いるために、金蔵寺の再興に大いに助力したと伝えられます。こうして、元禄四年(1691)、桂昌院は金蔵寺の主要な堂宇の再建に着手し、翌五年(1692)に本堂を再建。その他、庫裏、客殿、護摩堂(後に焼失し、文化五年(1808)に再建)、仁王門、開山堂等の現存する建物が、貞享四年(1687)から宝永二年(1705)の間に、桂昌院の寄進等で再建され、元禄十年(1697)十二月には、幕府から金蔵寺と善峯寺が寺田若干を加賜され、共に寺禄二百石の御朱印地を明治まで賜わっていました。




次回に境内の様子を少し追加します。

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