京都府南丹市八木町 八木城八月の暑い中、歴史巡り仲間と二人で南丹市、亀岡市に史跡巡りに
行ってきました。
今回の史跡巡りは、松永久秀の弟、松永長頼の息子、内藤如安の居城 八木城。
と園部城、細川勝元ゆかりの寺や園部藩の藩主小出家の墓所など十か所を
巡りました。その中でも八木城に登城した時の話です。
ところで、この八木城は、丹波三城に数えられる有名な山城です。
一つ目は、丹波の赤鬼と呼ばれた赤井直正の居城 黒井城。
後一つは、明智光秀の母親を張り付けに殺害したといわれる
波多野氏の居城 八上城。
で、八木城を加えての丹波三城です。
八木城以外の二つの城はすでに登城していたので、今回しんどそうな気がしました。
というか、最近山城にあまり登城していないので運動不足のせいかそんな気がしました。((笑))
ちなみに当日朝の天気は少し曇り模様でしたが、登城していくうちにいい天気になり
気温も上昇してきたなって思うくらい、山の中も風もなく蒸し暑さ全開でした。
登城入口付近からすでに蒸し暑く、登山道もつづら折れ道で、その道筋に地元の小学校の生徒や、保存会の方が書かれた、本丸まであと何合という看板。
一合目から、本丸辺りに九合目の看板がありましたがそれを見ながら登っていくと
まだ四合目やなんやと疲れてくるわ、蒸し暑くて汗全開で頭ふらふら体に力が
入らないやなんやで休憩しまくりでした。
ほんの数年前や去年も夏に山城を登城していますが、こんなにしんどくなったのは
はじめててです。やはり最近の酷暑が影響しているのか、温暖化のせいかなんだか
は解りませんがふらふらでした。
そして、やっと本丸あたりに到着し、いろいろと遺構を見て回り、写真を撮り、休憩しながら水分補給をしました。持ってきた一リットルのスポーツドリンクはあっというまに空になり、いつもよりも長めに休憩して下城しました。
下城して城の遺構の記憶があまりなく、撮った写真で改めて確認し記憶がもどった
感じです。
皆さんも夏の登城はくれぐれもお気をつけを。
八木城本丸本丸土塁本丸から八木町を見る |
城郭
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夏の日に、史跡めぐりに行くいつもの友人と二人で出掛けました。
場所は、鳥取県米子市方面。
毛利家、尼子家、中村家などの史跡めぐりをしていましたが、
南北朝時代 建武の功臣
名和氏の史跡も巡ってきました。
名和神社(名和長年やその一族42人を祀っている)
三人五輪(名和長年と長男の義高、三男の高光の首塚と伝えられている)
また、後醍醐天皇の着船所とも伝えられている円墳の 隠岐の神塚
なども行ってきました。
天気が良く、青空で海も良く見え、隠岐の神塚 という歴史を感じさせる近くに現代の風力発電の風車が
近くにあり何とも面白い光景でした。
名和神社・三人五輪・隠岐の神塚 |
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歴史サークルに 岡山県の方が 入会していただけた。 代表の知り合いらしい。
顔見せも兼ねて、一日史跡巡りし、いろいろ話しようってことになり、2/12に実施した。
あいにくの曇り空。代表の家に着いた時は、雨とも、雹とも霰ともつかないようなものが降っていた。
代表の家は神戸市。ってことでその周辺の城郭、史跡を巡ることとした。
巡ったのは、神戸市西区にある 端谷城。 ここは赤松家の家臣 羽柴方が三木城攻めのときに
別所側に就いた、衣笠氏の居城である。前回来た時よりも史跡が見やすくなっていた。
何年か前に教育委員会主催の端谷城発掘調査説明会があり、その時に整備されたのであろう。
そして、つぎに三木城周辺の城、三木城攻めの際、 羽柴方についた赤松氏一族の有馬法印則頼の
城、慈眼寺山城を見学。本
跡は、公園となっていて、眼下には山陽自動車道が見わたせる。 遠くに三木城もかすかに見えた。
その後、三木城攻めの際に陣没した、竹中半兵衛の墓を巡り、羽柴秀吉が陣所とした、平井山本陣跡を
巡り、昼飯とした。近くのうどんやで食事をし、そのころには外は雨。
岡山の方を送るため、姫路駅まで向かう。
その道中に、小寺政職の居城 黒田官兵衛ゆかりの城、御着城 に立ち寄る。
御着城は公園に整備され、近くには、黒田官兵衛の祖父重隆と、官兵衛の父職隆の妻の供養塔がある。
また、歩道橋を渡り、近くには小寺氏を祀る天川神社もある。
黒田家ゆかりの城に立ち寄りいろいろ話をしながら姫路駅で岡山県からの会員の方と別れた。
たくさん話ができ、いろいろと交流が深められて良かった。と思った一日でした。
写真は上から、端谷城の堀切。
御着城跡横にある、黒田官兵衛の祖父重隆と、官兵衛の父職隆の妻の供養塔。
竹中半兵衛の墓。
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二月の十四日 久しぶりに京都の友人と史跡めぐりに行ってきました。 |
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十二月六日に、史跡めぐりのサークルメンバー四人で行ってきました。 |






