ヒロシ!とその一味

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退院してから再びNJのホテルに戻りました。
そのホテルは北米HQ御用達のホテルなので、世界各国から出張者が来ると利用します。
欧州からの出張者、日本からの出張者、南米からの出張者と会うと、「こんなところで何してるの?」みたいな会話になり、「いやあ話せば長い事ながら・・」というように展開していきます。
日本からも退院おめでとうメールが沢山きました。

3/16(火)(出張17日目、術後4日目)〜3/19(金)(出張20日目、術後7日目)の週は順不同ですが、以下のようなことがありました。

[歩けるようになった]
退院後、毎日少しづつ歩く練習をしました。
友人が歩く練習のために、無理やり食事に外に連れ出してくれたりしました。
お陰で1〜2日経ってから、ゆっくりですが歩けるようになりました。
退院時はお先真っ暗という感じでしたが、人間の回復力は素晴らしい。

[シャワーを浴びれるようになった]
クリニックに行きました。
受付のおばさまや先生は私を見るなり微笑みながら「あなた歩いているじゃない」って声掛けてくれました。
手術の状況を説明してくれました。神経がどのように拉げていたのか絵を描いてくれました。
拉げた神経はすぐには元に戻らないので、痺れはすぐには取れないけど心配無いと説明してくれました。手術は失敗ではなかったと、安心しました。
リハビリはどうすれば良いのかと問い合わせたら、とにかく歩きなさい、とだけ言われました。
患部を見てもらい、シャワーを浴びて良いといわれました。
ホテルに戻って2週間ぶりくらいにシャワーを浴びて髭を剃りました。
周りの人は臭かったでしょうね(^^;

[会社で有名になっていた]
会社に行きました。
会長や役員の皆々様を始め、お世話になった皆様にご心配を掛けたお詫びをしました。
私が知らない外人も声をかけてくれました。「歩けるようになったのか〜」って。
受付で倒れて救急車で運ばれたことは社内で有名になっていました。
会社には数時間いただけですが、ぐったりしてしまいました。
寝たきりが長かったので体力が失われていました。
日本だともっと長く入院するので更に復活するのに時間が掛かるようです。
人事の方と医療費の話を始めました。

[保険屋さんから電話が掛かってきました]
保険屋さんの北米の代理店の人からホテルに電話が掛かってきました。
要件の1つは「医療費は200万を超えるかも知れませんが、大丈夫でしょうか?」という心配してくれる内容。
そうか、これが北米の医療費の実体か。保険に入れないために病気になっても病院に行けずに無くなっていく方が沢山いる格差社会の北米の実体。
この時の私は腹が据わっていたというか何と言うか、死ぬ思いをしたのだからそれくらい払うことになっても仕方ない、なんて思っていました。
そしてもう1つの要件は、「出張前に日本で病院に掛かっていませんでしたか?」というビジネス視点の疑いの内容。保険の適用範囲はあくまでも出張中に掛かった病気が対象となります。つまり出張前に病気に掛かっていた場合は保険の支払い対象外となるわけです。保険屋さんも必死になるわけです。
この後も日本滞在時の状況、クリニックの先生へのヒアリング等、熱心に身辺調査が行われました(^^;

3/21(土)(出張22日目、術後9日目)
大分歩けるようになった私は、最後の週末は外出することができました。
マンハッタンに行き、グラウンド0を見てきました。
あの忌まわしい911事件が起きた場所。
イメージ 1

まだ跡地は整備できておらず、近くのビルも損傷を負ったままでした。
イメージ 2

この事件に比べれば私の手術なんて屁にもなりません。

3/23(月)(出張24日目、術後11日目)
ようやく日本に帰る日です。
まだ患部は痛むので、会社でビジネスファーストクラスを予約してくれました。
食事が違いますなぁ、やはり♪
イメージ 3

イメージ 4

スチュワーデスさんも気を使って下さり、機内でいろいろ声を掛けて下さいました。
依然、歩き方は病人なもので(^^)

3/24(火)(出張25日目、術後12日目)
そして、ついに日本に帰ってこれました。長かったぁ〜。
会社からは役員用の社有車で成田まで迎えに来てくれるという話がありましたが、有難くお礼を申し上げ、丁重にお断りしました。少しは歩けるようになっていたので恥ずかしいので。
代わりに成田には奥様が迎えにきてくれていました♪ 一緒にリムジンバスで帰ってきました。
1週間の予定の出張が3週間になってしまいましたが、考えようによってはこんな事件があったのに3週間って何か短いですよね。


日本に戻ってから


医療費
北米では、救急車代、麻酔代、○○検査代、△△検査代、診療費、手術代、、、、と医療費が非常に細かく分散されております。
医療費については、保険屋さんや医療機関と交渉するエージェントがいて、会社はエージェントと契約していました。エージェントが話を付けるのには結構時間が掛かりました。
それまでは、何ヶ月もの間、何種類かの請求書が届きました。請求書には「あなたはお金を払っていないから今すぐ支払うように」と書いてありました!
総額600万にも上った医療費は、エージェントのお陰で500万くらいになったようです。
結局、保険+会社(出張時の医療費は会社が払ってくれるルールになっていました)で支払われました。
日本では椎間板ヘルニアの手術と入院代は上限100万くらいらしいです。

手術について
後になって、この地域の医療技術は全米でも高い方だと聞きました。
椎間板ヘルニアの手術は昔は相当大変だったようですが、最近では新しい技術が採用されているようです。
最も進んでいる方法は、椎間板の内部をレーザで焼くことにより内圧を高め、溢れたGELを引き戻すようです。
このケースは手術跡が小さい穴が2箇所しか残らないようですが、その後も効果が持続するのかどうかの実績が少ないようでした。
私のケースは、背中の患部近辺を切開し、そこから内視鏡を使って施術する方式でした。
手術後は縦に5cmくらいの後が残ります・・・
入院期間も1週間から2週間くらいとのこと。リハビリには時間が掛かるようですが。

リハビリについて
日本に帰ってから近くの大学病院に行きました。ちょっと心配だったので。
お医者様は言いました。「手術しちゃったんでしょう。しょうがないね。リハビリ? 特に必要ないよ。患部は治っているみたいだね。お大事に。」
もう来なくていいよ、みたいな扱いでした。
まあ、これも一応安心しましたが。
なので、私はリハビリは不要だと思っていました。

半年後、テニスを始めてみました。
おぉ、意外と大丈夫だな。打てるじゃん♪
更に数ヶ月後、ちょっと試合っぽくやってみようかな。
グキッ、うっ、痛い!!
やはり激しい運動は駄目でした。
それから近くのスポーツマッサージ屋さんに通いはじめました。
元JリーグやVリーグのスポーツトレーナがいるところです。
話をしたら、リハビリは必要です(キッパリ)
この日から週に1回、約半年間ここに通いました。金も使いました。
筋肉マッサージ+加圧トレーニングで筋力アップを図りました。
それからスポーツ用の腰のサポーターも購入しました。

おかげさまで今はなんとか普通の生活ができるようになりましたとさ。

これ以降、北米の東地区に足を運んでいないのは言うまでもありません(^^)

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

そしてお疲れ様でした。

あ〜長かった。

おしまい
ミスターヒロシィ〜!
聞きなれない呼び声に目を覚ました私は驚きを隠せませんでした。
ふと見た時計の短針は4時を指していたからです。
4時間くらいの手術だったのか。
全身麻酔だったので全く意識がありません。
ちょっと瞬きしたら大きく時間が過ぎてしまったかのような感覚。空白の4時間。
これは初めての経験でした。
とりあえず生きている。
手術は無事終わったようでした。

その後、手術室から病室に運ばれていきました。
病室は2人部屋。
私は奥の窓際の方でした。

部屋から見る外の景色
イメージ 1


看護士は午前・午後という単位で担当者が変わっていきました。
南米人、アジア人や、学生で看護経験を積むためのボランティアのような人もいました。
入院期間中、一度も同じ看護婦・看護士さんには出会えませんでした。
看護婦と仲良くならないように仕組みができているのか?なんてくだらないことを考える時間がありました。
私は部屋の電話回線にパソコンを繋いでいました。
看護婦さんは私のことをいつもパソコンやっている人と呼んでいました。
他にやることが無いので仕方ありません。

おぉー今日はJasonが担当かぁ。
ちっ、女の子から男の子に変わっちまう。
イメージ 2


手術後、とりあえず最初に困ったのはおトイレでした。
小さい方はユーリナー(尿瓶)がありましたので対応できましたが、大きい方が困りました。
何が困るかというと、腰をまっすぐにしたままだときれいにするのが大変なのです(^^;
それから、腰の痛み、手術直後は麻酔が効いていたので気付きませんでしたが、だんだん痛みがでてきました。
また、足の痺れはとれておりませんでした。


3/14(日)(出張15日目、術後2日目)
初めての入院、初めての病院食です。
日本では質素な病院食を見たことがありましたが、アメリカはどうなのでしょうか。

朝食
さすがはアメリカ、ホットケーキが出てきました
イメージ 3


夕食
野菜の具入りスープ、パンとサラダ
味付けは日本同様に薄いです
イメージ 4


この日は現地の知合いが何人かお見舞いに来てくれました。ありがたいです。
それから手術してくれた先生も状況を見に来てくれました。
そういえば大事なことを聞き忘れていました。
いつ退院できるのか、ということです。
先生は言いました。「明日退院だ。普通は1泊2日だけどちょっと長めで2泊にしとくよ。」って。
えぇ〜、寝たきり生活者のまま退院させるのかよぉ〜。
そういえば、アメリカで出産するとすぐ退院させられるっていうお話は聞いたことがありました。
「明日、退院のための歩く練習があるから」

3/15(月)(出張16日目、術後3日目)
今日は退院の日です。
そして私の誕生日です。
今思えば誕生日のお祝いだったのですかね、この事件は。

朝食を終えたら、アジア系の男の人が2人やってきました。
退院のためのトレーニング係りの人だそうです。
まずは歩行器を使っての歩行訓練です。
この歩行器を使って病院のフロアを真っ直ぐ歩いたり曲がる練習をします。

イメージ 5


でも、どうやって歩いたらいいのかわからない。
足が前に出て行かないのです。
足が悪い人ってこんな感じなのか・・
歩けない・・・・
思った以上に手術のダメージは大きかったのでした。

途中で同じように歩行器で練習しているおじいちゃんとすれ違い、微笑みあう。
いや、正直に言うと苦笑しあう、です。
こうして50mくらい歩いたでしょうか。
なんとか前に進むことはできましたが、歩行器+補助の方が居てくれてやっとという感じです。

続いて、別のトレーニングルームに連れていかれました。
ここには、3段くらいしかない階段や、車の形を模倣したおもちゃのようなものがありました。
階段の上り下り訓練と、車の乗り降り訓練です。
数回やっただけでした。
意味あんのか、これ?
退院前のルールみたいのがあって、とりあえずこなすだけじゃないの?

そして、その日の午後、迎えに来てくれた友人に付き添われ、見事に退院を果たしたのでありました。
歩行器は無し。
友人の肩とクラッチ(松葉杖)だけ。

病室にもクラッチ持込です
イメージ 6


この先、いつになったら帰れるのだろう。
手術後は痛みも取れてすぐ歩けると思い込んでいた。
痺れは残っているし、歩けない。
手術は本当に成功したのだろうか??
不安で不安で仕方が無い・・・
この時期が発症以降で最もブルーになった時期でした・・・
Disc Herniation ディスクハーニエーション

私に下された判決です。
いわゆる椎間板ヘルニア。
過去に聞いたことはありましたが、まさか自分がなるとは思ってもいませんでした。
http://en.wikipedia.org/wiki/Spinal_disc_herniation

「手術するしかないね・・」
英語で何と言われたのか覚えておりませんが、、、、
もうちょっと補足すると、「ここに長く滞在すれば少しは痛みも和らいで日本に帰って判断することも出来るかもしれないけど、仕事をしているあなたにとってはそれはできないでしょう」という前置きを含んだ言葉です。
Dr.Klempnerのこの冷静でちょっと笑みを浮かべた残酷な告知に対して、私の前向きな回答までにはそれほど時間はかかりませんでした。

「是非お願いします」

発症から1週間、この痛みがこれ以上続くくらいなら、遠い異国の地で万が一っていうことがあろうがなかろうが、とにかく手を打って頂きたいという気持ちでした。
また、Dr.Klempnerは「この手術は簡単だよ、1年に何回もやっていて失敗したことはない」と言っていたのを信頼した(信頼するしかない)というのも加担しました。

Dr.Klemlnerは今は別の病院に移ったみたいです。
http://www.njneuroneck.com/index.html

ホテルに帰り、会社や家族に今日の出来事を連絡しました。
反響はとても大きく、当時の上司は「何とかして帰ってこい、手術するなら日本でしろっ」と言って下さったし、奥様も心配してくれて「子供と一緒にNJまで行こうか」と言ってくれました。
かつてアイスホッケーをやっていた後輩の1人はこんなメールをくれました。
「アイスホッケー部の先輩が椎間板ヘルニアの手術を受けたけど、椎間板の後ろに脊髄があるので、脊髄損傷とならないようにボルトで骨を固定した手術したそうです。ヒロシさん、大丈夫ですか?」
どんなシーンだか想像つきませんが、だんだん事の重大さに気付いてきました。
もしかしたら手術で失敗して歩けなくなるか、死ぬかも知れないと思ったのかもしれません(^^)
HPでいろいろ調べようかと思いましたが、今更調べても心配になるだけなのであきらめました。
手術は2日後なので、奥様にも来なくても大丈夫だと伝えました。

3/12(金)(出張13日目、発症8日目)手術決定翌日、手術日に朝から病院に行けるようにNJに住む後輩の家に移動して泊めていただきました。
車の後部座席にマットレスを敷いてくれたので、そこに横になって移動しました。
この時の写真は残っていますが、ちょっと情けなくてお見せできません(^^;
後輩の家です。
イメージ 1

自然の中にありゆったりとして造りのアメリカのお家、いいですね。
夜は久しぶりに彼の奥様の手作りの夕飯を頂きました。

3/13(土)(出張14日目、発症9日目)
手術日当日、後輩に病院に連れて行ってもらいました。
手術は、住宅街の一角にあったクリニックではなく、近くの大きな病院で行うことになりました。
アメリカでは小さなクリニックが大きな病院の設備を借りて手術するというアフィリエートシステムが多いようです。

クリニックのある場所
Ridgewood、NJ
イメージ 2


クリニック近くの病院
The Valley Hospital
イメージ 3


病院では「何があっても病院は責任を持ちませんよ」みたいな内容の証明書が沢山でてきました。
良くわからないので、片っ端からサインしまくりました。
血液検査や血圧検査とか、いろいろな事前検査も受けました。

11時過ぎくらいだったでしょうか。
担架に乗せられて、いざ手術室に向かって運ばれていきました。
あ〜、なんかドラマの1シーンみたいだ・・・
そして手術室に入りました。

眩しい!!!

良くTVで見るあの手術室の照明。
ライトが沢山ついているやつが頭上に現れました。

すげぇ〜、なんか感動だぁ・・

そして運んできれくれた人が言いました。
点滴からアナステージア(麻酔)を始めますよ!
生まれて初めての全身麻酔です。
そう言われてほどなく私は意識を失ったのでありました・・・
ホテルに戻ってからいろいろ考えました。
そのまま土日はニュージャージーのホテルで過ごすしかない。
たまにはゆっくりするのもいいことだ。
そうだ、会社に連絡いれよう。
皆驚いているみたい! そりゃそうだ、こんなところで救急車に乗るなんて・・・
まあ、ぎっくり腰のように暫くすれば歩けるようにはなるだろう。
そうしたらさっさと飛行機に乗って帰ろー。

しかしどうもアメリカの東は相性が良くないみたいです。
考えてみれば今回は3回目の事件でした。
一番最初は20年くらい前、飛行機がJFKに向かって高度を下げている時、飛行機の中で耳がとっても痛くなりました。
現地で先輩に病院に連れて行ってもらったら「航空性中耳炎」というのに掛かっていました。
風邪をひいていて鼻が詰まっていたために、飛行機が高度を下げて気圧が高くなってやられてしまいました。
二回目は15年くらい前かなぁ、週末に現地のアメリカ人達と一緒にNY州の北部郊外にあるハンターマウンテンというSKI場に遊びに行きました。
日本にもハンターマウンテン塩原っていうSKI場がありますが、姉妹提携しているみたい。
最初の一本目、やや固めのアイスバーンで転んで腰を打ってしまい、ぎっくり腰になってしまいました。
せっかくリフト券買ったのに、その後はSKI場の食堂で1人淋しく休憩していました(涙)
揚句のはてにアメリカ人からは仮病じゃないか・・なんて言いがかりをつけられる始末(情けない)
でもこの時はアスピリン飲んでなんとか2〜3日で治りました。

ニュージャージーのホテル
友人がクラッチ(左端に立てかけてあるやつ、、あれ何ていうんだっけ日本語?)を持ってきてくれました(^^;

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ところが痛み止めの白い錠剤(忘れたけど多分アスピリン、、、アメリカ人は何でもアスピリン)は全く効果はなく、土日も寝たきり生活となってしまいました。
見かねた現地の後輩達が代わる代わる様子を見に来てくれました。
何が一番助かったかというと、食事を買ってきてくれたことでした。
寿司折のお弁当買ってきてくれたり、ジャンクフーズを差し入れしてくれたり・・
寝たきりって大変なんだなぁ〜とつくづく思いましたよ。
やることの無い私はパソコン少年と化して、ホテルの無線LAN経由で日本の情報を入手していました。
あ〜風呂入りてぇ〜

3/8(月)(出張9日目、発症3日目)、まだ痛みが取れないので医者に行くことになりました。
午前中にいった医者から別の医者を紹介されて訪れたびがこの神経科クリニック。
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North Jersey Neurosurgical.PA
Dr.Klempnerという医者がやっている個人クリニックです。
ここで診療を受けたら、「しばらくすれば治るでしょ、そうしたら飛行機乗ってかえりなさい。3日後に来なさい。」とのこと。
やった〜、今週中に帰れそうだな、これは。
この日は意気揚々としてホテルに戻ったのでありました。
日本にも連絡を入れました。多くの人からメールが来たり、チャットが入ったり。
ありがたいものですねぇ、心配していただけるなんて。
あっ、当然奥様や子供も心配してくれました(^^;

ホテルから駐車場を臨む
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3/11(木)(出張12日目、発症6日目)、いい加減ホテル生活も飽きてきました。
やることが無いっていうのが辛い。
今日はクリニックに行く日です。
でも何となくさえない。
あまり症状が変わっていないのです。
クリニックには会社の人事の人に連れて行ってもらいました。
また同じような診療を受け、あまり状況は変わっていないと申告しました。
そうしたら、医者は何といったと思います?
「手術するしかないな、これは」
えっ? 帰れるんじゃなかったの? 何? 言っている意味がわからない・・・・
レントゲンだかMRIだかの写真を見て、椎間板からGELが出てきて神経がひしゃげているとのこと。
手術するなら2日後だと言う・・・
言葉を失った私はしばし呆然としていました・・・
前から書こうかな〜と思っていた、4年前のある事件について書いてみることにしました。
この内容はちょっと恥ずかしいのでファン限定とさせていただきます(笑)

2004年の3月、北米ワシントンD.Cとニューヨークの関連会社に出張がありました。
出張直前に日本でテニスの試合があり身体の調子は良くなかったのですが、1週間の出張なので何とかなると思っておりました。

2/29(日)(出張初日)
ワシントンD.Cのマリオットの部屋
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マリオットから見た外の景色
ちょっと淋しい町並みです
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着いた日は眠くて死にそうなのですが(日付変更線を越えるので・・)、時差吸収のため夜まで寝ないで過ごさないとなりません。
この日はバスと地下鉄に乗ってホワイトハウスを見学に行きました。
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3/1(月)(出張2日目)
翌日は新商品のプレゼンテーションや顧客訪問の目的でワシントンD.Cの販売会社に行きました。
ここはかつてM&Aした会社です。

3/2(火)(出張3日目)
ワシントンD.Cでの仕事を終え、次の拠点であるニューヨークに向かいました。
通常は飛行機で行くのですが、この時はAMTRAKで行きました。
長距離列車は初めて乗りましたが、旅行みたいで楽しかったです。
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ニューヨークまではどのくらいだったかな?
2〜4時間だったかも。
途中、綺麗な景色や治安の悪い街等を通り抜け、ニューヨークに着きました。

マンハッタンのシェラトンの部屋
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シェラトンから見た外の景色
高層階だったようです
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3/3(水)(出張4日目)
ニューヨークではショールームでのプロモーションや顧客訪問に同行したりして、とにかく歩き回りました。今思うとここで歩き過ぎたのが後の事件の要因になったように思います

イエローキャブだらけです
運転が荒くて困ります
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3/4(木)(出張5日目)
ニューヨークでの仕事を終え、最後に北米会社のHQがあるニュージャージーに移動しました。
ニュージャージーのホテルでは何人か知っている仲間もいて、ホテルで12時くらいまで飲んでおりました。翌日に最後のミーティングがあり、これが終われば土曜日の便で帰国する予定でした。


さて、ここからが事件の始まりです


3/5(金)(出張6日目)、翌朝6時頃でしょうか。
ベッドで目を覚まし、さあ起き上がろうと思ったらうまく起き上がれません!
あれ、何がおこったのだろう?
ん?  腰が痛い!!!
まあ、元々腰には自信があり、いや腰の悪さには自信があり、これまでもテニスした後は腰が真っ直ぐ伸びなくなって、近所の中国整体行ったり息子の友達のお父さんがやっている整骨院行ったりしていたけど・・・
とにかくシャワーを浴びよう??
こういう時には冷静になって患部は温めてはいけないというのが鉄則なのでしょうが、そんなことは思い付きもしませんでした。
ベッドで身体を横に回転させながら何とか抜け出して、這うようにしてシャワールームへ。
服を脱ぐのも辛い状況でしたが、暖かいシャワーを浴びれば治るような気がして(既に思考回路がおかしくなっています)、無心にシャワーを浴びまくりました。
死ぬ思いで着替えて、ホテル1Fのロビーに向かいました。
この時、既に顔は激痛で歪んでいたと思います。一緒にエレベータに乗り合わせたおじちゃん達も変な顔してみていたかも。
右腰から右足の先にかけて足の後ろ側がかなり痺れていて普通には歩けません。
何とかロビーまで辿り着いて、ソファに座ろうとするのですが痛くてじっとしていられない。痛くない姿勢を探すが見つからない。
これはちょっと今までの腰痛とは違うな・・・この時初めて気付きました(遅〜い^^;)
現地の同僚に肩を担がれながら(ホテルの人は驚いていたと思いますが)、車の助手席に乗せてもらい、会社に向かいました。もちろんリクライニングにしているんだけど全く意味を成さない状況で、ひたすら苦痛に耐えていました!!

やっとのことで会社の受付窓口まで来たのですが、余りの痛さにソファにも座れず、ついに地べたの絨毯にうつぶせになってしまいました。
なんという無様な姿でしょう。スーツを着たやつが地べたにうつぶせですよ(^^;
続々と会社に出勤してくる外人が何やら騒いでいる声がすご〜く遠くから聴こえてきました・・
次第に騒ぎが大きくなってきましたが、もうそれどころではありませんでした。
気付いたら、黒くてゴッツイブーツが見えました。
無理して横目で見上げようと首を傾けると・・・・・
ポリスだぁ!!
しかも二人いる・・
誰かが911に電話してくれたのです。
ほどなく救急車が到着し、担架で救急車に載せられ救急病院に搬送されました。
救急車なんて日本でも乗ったことないのにぃ〜。
アメリカでは救急車を呼ぶとまずポリスが来るシステムになっているようです。

救急病院に着いたら、オープンな病室(だったかなあ?)に寝かされ、痛み止めのような注射を打たれました。
ただ周りには血だらけの患者が沢山いて、正にER(ドラマ)の世界。
見た目には健康でちょっと顔を歪めている患者なんて優先度はめちゃくちゃ低いのです。
たまに外人がやってきて、ピーは大丈夫か、プーは大丈夫か、アスピリン飲んでさっさと日本に帰れっていう扱い(^^)
ちなみにピーはお○っこ、プーはう○このことを示す幼児用語で、完全に舐められておりました。
言われた通り薬をもらって一旦ホテルに戻りましたが、翌日の飛行機には乗ることは断念しました。

この辺は当然ながら写真が残っていません(^^)


長くなったので続きはまた書きます。
(いつになることやら・・)

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