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『最後のステージはせめて1曲でも
隣でギターを弾かせてほしい』
2014年3月6日、かのローリング・ストーンズの東京ドーム公演で
ストーンズ側から直接オファーされ一緒にプレイした
世界で一番有名な日本人ギタリスト布袋寅泰が
『せめて1曲でも』
と、懇願する相手・・・・。
それが先日引退を表明した氷室京介である。
☆氷室京介(てらにし おさむ)1960年10月7日生まれ
群馬県高崎市出身
1994年からロサンゼルスに移住。
ビバリーヒルズに敷地面積4000平方メートル(121坪)
購入価格7億円というとんでもない大豪邸に住んでいて
金持ちの証しであるプールはもちろん
体育館、録音スタジオ、映画館、ゲームセンター、テニスコートが
全部自分の家にあるという超リッチモンド・ハイな生活を送っている。
が、その一方で
東日本大震災の発生後には8億円を寄付し
全曲BOOWYの楽曲という復興支援ライブを東京ドームで行ない
バックバンド、スタッフ全員がボランティアとして参加し
コンサートの収益金は全額復興支援義援金として寄付された。
もちろん氷室もノーギャラで25曲を熱唱。2日間で11万人の動員をしたこのライブは
日本のチャリティーライブにおいて過去最多の入場者数を記録し
さらに新曲の著作権料も復興支援基金に全額回している
まさに男の中の男!
そんな氷室の実家は精肉店。
店が忙しかった為、割と放任主義で育てられ、小学校の頃は
『半ズボンの下に紺のタイツをはいて赤い蝶ネクタイしてた。』
という元気で明るい子だったが、些細な事がキッカケで横道にそれて行った。
ある日同級生のカバンに誰かがクギで傷をつけるという事件が起こり
担任の先生に呼び出された氷室は
『正直に話せば怒りはしない』
と、頭ごなしに犯人扱いをされたという。
『僕はやっていない!』
しかし先生は最後迄彼を疑った。
中学に上がり、助っ人として入った陸上部でいつも
1、2年生に悪口を言う為だけに来ていた3年生を殴ると
後日、殴った先輩と複数の3年生に囲まれた。
『自分がケンカが強いとは思ってもみなかった』
気が付くと3年生は足元に倒れ、1人は逃げて行った。
暴走族(ブラック・エンペラー)に入り
無免許でバイクを乗り回し、敵対する族とのケンカに明け暮れる毎日。
『言葉で言った事は必ず実行する』
それが氷室のポリシーだった。
高校に入る頃には街でその名を知らない者はいないほどの有名人で
布袋曰く
『帝王ですよ。いつもギラギラしててとにかく怖かった。
大極道っていうイメージで
腹にサラシ巻いて歩いてて、志賀勝的な感覚でしたね。
あの人がいた所はみんな遠回りしようみたいな感じで。
でも絶対弱い者イジメはしなかったので
人情味のある極道(笑)だった。』
当の氷室は
『悪い事をやってはこれじゃないなと思っていた。』
『何をやっても楽しくない。いつもイライラしてた。』
『自分は一体何をしたいんだろう。』
『自分でもわからないけど何かがしたい。』
そんなある日、何気なくテレビを観ていると
目の前に飛び込んできた映像にクギ付けになった。
矢沢永吉率いるキャロルである。
皮ジャンにリーゼントでロックを歌うその姿に圧倒された氷室は
『俺も音楽をやりたい!』
と、同じ小学校だった松井恒松と『ディスペナルティ』というバンドを結成。
ボーカルは既に居たために、氷室はドラムを担当。
ある日のコンサートで調子が悪いボーカルに代わって
氷室が歌うと、探していた『何か』を見つけたような気がしたという。
『泣き言から生き様に変わった瞬間』
そして素人バンドの登竜門と言われていた
『イースト・ウェスト79、関東甲信越大会』に出場。
ディスペナルティは決勝で布袋率いるBLUE FILMを破って見事優勝。
氷室はベスト・ボーカル賞を受賞した。
ちなみにBLUE FILMのボーカルだった土屋博は後のBOOWYのマネージャーである。
『バンドとしてデビュー』という条件で事務所と契約。
上京するが、歌詞が汚いとレコードは出してもらえず、実力不足を理由にバンドは解散。
自分で曲を書いても採用されず、やりたい事もできないバンドに嫌気がさし
高崎に帰る事を決意する。
そんな氷室に当時つきあっていた彼女が一枚のチケットを渡す。
RCサクセションの日比谷野音のコンサートだった。
『清志郎さんにガチンと殴られたような感じがした。
俺は何をやってるんだろう。
自分が忘れてた本来一番やれてなきゃいけない姿があった。
みんな右手を上げて、汗びっしょりになっている中で
自分は負け犬でボーっとしてる。
清志郎さんに負けたくない。
絶対、抜いてやるって。
俺はこんなところでこんなことやってる
下らない人間であるハズがない!』
奮起した氷室は一本の電話をかける。
『電話かかってきた時は殴られると思った』
布袋が六本木のアマンドに行くと、化粧した氷室が待っていた。
『布袋、バンドやらない?』
音楽的には水と油と言われていた2人。
190cmもの長身でいかつい顔をしているが、ケンカはめっぽう弱く
本当は他の人と組みたかったが、怖くて断れなかった為OKするしかなかった布袋。
ベースに幼馴染の松井恒松。
ドラムはオーディションの時、カウントの声が一番大きかったという理由で選ばれた
高橋まことが加わり
『暴威』(のちのBOOWY)が結成!
バンド名にΦ(空集合)を入れたのは布袋のアイディアで
『誰にも似ず、どこにも属さない』
という意味なんだとか。
『柄の悪いバンド連中と同じタコ部屋の楽屋に入れられて
普通のバンドだったらひと悶着起こっていただろうが
ウチには氷室がいた。
『なんか文句あんの?』
と、一睨みしただけで
他のバンドは視線をそらしていったよ』
布袋のソリッドなギターと氷室の圧倒的なボーカル。
実際、皆が思う程セールス的にはたいした事はなかったが
BOOWYは記憶に残るバンドであり
群馬県民の自慢だった。
そして絶頂期にまさかの解散!
最後の東京ドームのライブは10万人分のチケットが
たった10分でソールド・アウトとなり
チケット入手の電話で文京区の回線がパンクするという異常事態となった。
ちなみに当日ダフ屋で売られたチケット1枚の価格ナント10万円!
解散の理由は明かされてませんが、一番聞いた理由が
『チャートで1位を取ったら解散。最初からそう決めてた』
後に布袋さんはこうコメントしてます。
『音とか売上げじゃなく
意識が完成したから解散したんだと思う』
最後に氷室京介の最強伝説を一つ。
1993年1月19日の大阪城ホールでの公演でのこと。
この日の氷室は風邪を患い、声が枯れている状態で体調も悪く
無理を押して何とかステージに立っている状態だった。
それでもアンコールを含む全19曲をなんとか歌いきったのですが
コンサートの出来に納得いかなかったんでしょう。
ライブの途中でこんな事を言いだしたのです。
『風邪を・・・引きたくて引いたワケじゃないけど・・・・
一応俺もプロの端くれだから
こんなんでいいわけないんで
今日来たみんなをタダで招待します!』
前代未聞のやりなおしライブ発言!
このMCを受けてスタッフはすぐに動き
コンサート終了後の場内アナウンスでは
『大阪の会場を当たってみましたが小屋がみつかりません。
ただ、氷室の思いも汲んでやりたく
必ず皆様を無料で招待させて頂きたいと思います。』
観客はチケットの半券の裏に名前と住所を書いて事務所に送付すると
後日、招待状が送られてきて約束通り氷室は無料ライブを実行。
会場は大阪城ホールよりデカい代々木体育館だった。
会場からスタッフの人件費から全部自腹!
これが氷室イズムの真骨頂!
カッコ良すぎる!
カッコイイと言えば、BOOWYがまだ無名だった頃・・・
氷室は追っかけをしていた女の子と結婚しています。
凄いのが
離婚も浮気もせずに、今でもその時の奥さんを大事にしてるって事。
これは布袋も永ちゃんも出来なかった事ですからね・・・
氷室は真のサムライです。
来年最後のツアーを持って引退する氷室京介。
『最後のステージはせめて1曲でも隣でギターを弾かせてほしい』
という布袋さんのお願いも多分ダメでしょうね。
だって布袋さん、BOOWY時代に氷室の印象を聞かれた時に
こんな事言っちゃってますから。
『高校の頃、パイプカットしてるって噂があった。』
『してねーぇよ!』
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いつもながら、スゴい情報力です。
男性アーティストも記事になさるんですね。
楽しませて頂きました。
2014/7/24(木) 午前 8:34 [ マカロニ ]
僕にとっては記事にせざるを得ないショックな出来事でした。
追憶日記は基本はフリーテーマですが、魂がフルフルした出来事を
中心に書いてます。
2014/7/26(土) 午前 5:14 [ しろしです。 ]