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☆キューティー鈴木(すずき ゆみ) 1969年10月22日生まれ
埼玉県川口市出身 155cm AB型
高校の頃、『キューティー』と言えばハニーしか思い浮かばなかったが
彼女が世に出てからは、『キューティー』と言えば
キューティ鈴木!
そして永遠のライバルと言われたこの人も忘れてはいけない
☆尾崎魔弓(おざき まゆみ) 1968年10月28日生まれ
埼玉県川口市出身 158cm A型
2人共、子供の頃に見たクラッシュ・ギャルズに憧れて女子プロレスラーの道を志し
当時一つしかなかった『全日本女子プロレス』のオーディションに2度も落ち
あきらめる事無く、月謝を払えばだれでも通えるプロレス学校の道場へ練習生として
川口から一緒に通った同郷の友でもあるのだ。
さて、女子プロと聞いてまず思いだすのは
試合は見た事ないがその名前だけは強烈に覚えている
マッハ文朱!
あの『スター誕生!』の決選大会で百恵ちゃんに敗れ
どうゆうワケか『全日本女子プロレス』の門を叩き
リングの中の和田アキ子と呼ばれた元祖アイドル・レスラー!
そのマッハ文朱を破ったのが
ジャッキー佐藤とマキ上田のビューティー・ペア!
♪ビューティ、ビューティー、ビューティーペア〜♪
リング上に紙テープがこれでもかと投げ入れられ、ラメ入りの服を着て
試合前に歌うスタイルを定着。
女子プロ界のピンク・レディーと言われるほど凄さまじい人気を誇っていた。
ちなみに『かけめぐる青春』(最高26位)はトータル80万枚の大ヒットとなり
スポーツ選手が歌った歌の中では歴代第一位の売上で
未だに破られていない大記録!
そのビューティー・ペアが解散した後に出てきたのが
ライオネス飛鳥と長与千種のクラッシュ・ギャルズ!
とにかく凄かったのが紙テープの量!!
また、この黄金期&絶頂期&全盛期は二度と来ないと断言できるほど
クラッシュ・ギャルズの人気は絶大であり驚異的だった。
特にダンプ松本とブル中野の極悪同盟との闘いは女子ならず男子までもが
テレビの前にクギ付けとなり
極悪同盟にやたら有利に加担する不公平ジャッジと高速カウントが名物だった
阿部四朗の存在も忘れてはならない!
このクラッシュ・ギャルズの人気にあやかって
それまで『全女』しかなかった女子プロ界にジャッキー佐藤が中心となって
1986年、『ジャパン女子プロレス』が旗上げされる。
通称『ジャパ女』の新人募集の記事を見たキューティーと尾崎は
すぐにオーディションを受け見事合格!
2人共高校を中退して『ジャパン女子プロレス』に入門!
江戸川橋にあったプレハブ道場では朝の8時から夜の22時迄
部屋を閉め切った状態で練習が行われ、今なら病院に行くような怪我をしても
『病院に行くなんて甘えてるだけだ!』
と、そのまま続行。受け身や関節技等、地獄のような猛練習を繰り返していたという。
この『ジャパ女』を運営していたのは
岡田奈々、松本伊代、本田美奈子、少女隊等が在籍していた
芸能プロダクションの『ボンド企画』!
さらにアドバイザーには秋元康を起用し、コンセプトが
『プロレス版おニャン子クラブ!』
旗揚げ戦にはゲストとしてアントニオ猪木、本田美奈子、少女隊が招かれ超満員の会場は
レーザー光線が飛びかう華々しい幕開けだった。
この時キューティーは会場整理係。
旗上げ戦こそ大成功だった『ジャパ女』だが、地方へ行くとたった20人しか客が入らず
選手の方がお客さんより人数が多かった時もあったという。
半年もの間給料が出ず、飲み屋でバイトをしたり、売店のグッズを売らないと
宿泊費も出なかったんだそうだ。
そんな危機的状況を救ったのが
イジメ抜く尾崎と耐え忍ぶキューティーの試合!
最初は普通のレスラーだった尾崎。
しかしデビューして1年後に突然ヒール役への転向を命じられ、断ると
『だったら今すぐ帰れ!』
と言われ、翌日から悪役として試合に出たという。
一方のキューティーは『ジャパ女』の中でも落ちこぼれ的存在。
プロレスは下手で弱かった為、試合内容は対等どころか一方的であった。
『キューティーはライバルじゃない』
『いじめ甲斐があって一番の獲物だった』
最初は嫌がっていたヒール役だったが、キューティーをイジメるにつれ
だんだん面白くなってきた尾崎は
『こうゆう事されたらファンは嫌だろう』
という事を常に考えながら試合をしていたという。
やがて二人の試合が注目を集め始め
『そのやられっぷりがいい』
と、技をかけられ苦悶するキューティーの表情が
可愛い!
と、観客にウケはじめたのだ。
元々男性誌だった『週刊ゴング』はキューティーを載せると発行部数が伸びると
毎週のようにキューティーを特集し
1989年には『週刊ヤングジャンプ』の表紙を単独で飾った。
そして遂には『泣かないで』で歌手デビュー!
ラジオのレギュラー、歌番組への出演、ドラマ、写真集、イメージビデオと売れに売れて
キューティーの人気が爆発!
引退までに出したイメージビデオは19本、写真集14冊は
女子プロ界最多であり、その記録は今も破られていない。
1日の睡眠時間は3〜4時間。
試合ギリギリに会場に入って試合が終わるとすぐ次の(芸能)の仕事に行く毎日。
オフの日でも芸能の仕事が巡業先まで入っているという超ハードスケジュールで
1年のうち休みはたったの1日しかなかった。
その為、練習もできず周りの仲間からも孤立。
タレント活動は本人にとっては嫌で嫌でしょうがなかったという。
そんなキューティーの人気をもってしても動員は回復せず
『ジャパ女』は旗揚げから5年半で解散。
そこから『LLPW』と『JWP』の2つの団体に分裂し
尾崎とキューティは『JWP』の方に参戦。
旗揚げ戦では新人以来5年ぶりとなる尾崎とのタッグを組み
初代と第3代のJWPのタッグ王者に輝いた。
1998年、キューティー鈴木、29歳で引退!
7年連続売上No1に輝いたカリスマホストに強引にアタックして
2005年に結婚、現在は男の子2人のママである。
一方の尾崎は1998年、自らが校長を務めるヒール養成学校
『OZアカデミー』を設立し、現在も現役でリングに上がっている。
キューティーも度々ゲストで呼ばれてセコンドに付いたりしているのだ。
そんな生涯のライバルだった尾崎との通算成績は
10勝1分け25敗。
試合では弱いイメージしかなかったキューティーだが
実は打たれ強くて受け身がメチャクチャ上手かったので
現役だった12年の間、怪我らしい怪我をしなかったという。
そんな永遠のライバルだった2人が
一度だけ一緒に写真集を出しているのがコチラ!
リングの上で汗を流した2人が
まさかベッドの上で技をかけあうようになろうとは・・・
しまった・・・他にも用意してたのに
限度の50枚になってしまった・・・!
なんて日だ!
今年1年、しょーもない記事を読んで頂いた皆様
ありがとうございました。
来年も『可愛い』を基準にカキコキしてイキますので
よろしくお願いします。
では良いお年を!
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いいところで・・・・。
寸止!です。
2014/12/28(日) 午前 10:57 [ toc*ito*hib**g ]
尾崎は覚えていませんが、キューティーは懐かしいですね。
確かに弱かったですね。
関係ないですけど、明菜が紅白に出演とは見逃せませんね。
紅白には出ませんが、
これからチータの自宅へお邪魔して来ます。
2014/12/28(日) 午後 6:54 [ マカロニ ]
toc*ito*hib**gさんナイス表現(笑)思ったより過激なので
このままフェードアウトにしておきます。
2014/12/30(火) 午前 6:45 [ しろしです。 ]
『これからチータの自宅へお邪魔して来ます』って・・・
つっかけサンダルを履いて用を足しに行くみたいな軽いトーク・・・
マカロニさんは一体何者ですか(笑)
2014/12/30(火) 午前 6:49 [ しろしです。 ]
ちょっと軽すぎましたかね。
初めて訪問した時は、かなり緊張しましたが、
何度か訪問する度に緊張度が下がりました。
記事を読んで頂きありがとうございました。
さて、白状しますと、
今年最も好きなブロガーさんは、しろしさんでした。
いつも本当に楽しませて頂きました。
あらためて御礼を申し上げます。
結婚出来ない普通のサラリーマンより。
2014/12/30(火) 午前 9:46 [ マカロニ ]
マカロニさん、明けましておめでとうございます。
しょーもないブログに毎回コメント頂き、こちらこそありがとございました。
誉められるとすぐ調子に乗るタイプなので僕を知ってる人は
結構ドライなので、こんなに誉めてもらったのは久しぶりです!
ありがとうございます。僕もマカロニさんのブログを読むたびに
ネタの発想や展開、オチ等、『うまいな〜』と感心しまくら千代子の1年でした。
明菜譲も復活した事だし、今年もよろしくお願いします!
2015/1/1(木) 午前 5:27 [ しろしです。 ]