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アルバム発売2001年3月28日
最高1位
売上 446、9万枚
性器の・・・
もとい!
『世紀の歌姫対決!』
と、マスコミが大騒ぎした2001年3月28日は
今でもよーく覚えている
野村のヨッちゃんをギターに従え、飛ぶ鳥を落とす勢いだった
浜崎あゆみが『A BEST』を
デビューアルバムで夢の印税生活を手に入れた宇多田ヒカルが『ディスタンス』を
同日発売した日である!
打倒!宇多田に執念を燃やすエイベックスは5億円をかけて
都内に真っ黒な『あゆバス』を走らせて大規模な街頭広告を繰り広げ
これでもかとCMをバンバン流して『A BEST』を宣伝!
どっちが売れているのか気になって見に行くと
タワーレコードやHMVならともかく
いつもはガラガラのヨドバシカメラのCD売り場で
レジが追い付いていない!
しかもほとんどの人がオリーブオイルを買いに行って
『オリーブを買ったらポパイも!』
と、ほうれん草も一緒にカゴに入れる感覚で
『A BEST』と『ディスタンス』の両方を買っていたのだ!
『みんなが買うから私も買う』
そんな日本人特有の連帯感に惑わされる事なく、僕はお目当ての『A BEST』を購入!
そこへ、見るからにあゆファンという女の子が
中央に設置された特設コーナーで『A BEST』を2枚
(おそらく聞く用と保存用であると思われる)
を手に取っていたのだが、いざレジに並ぼうとした時
1枚を『ディスタンス』に取り替えたのを見て
改めて宇多田ヒカルの凄さを体感!
最終的にあゆが429、5万枚、宇多田が446、9万枚で
『世紀の歌姫決戦!』は宇多田ヒカルの勝利で
その凄さを見せつけたが
娘も凄きゃお母さんも
凄かった!!
☆藤圭子(あべ じゅんこ)1951年7月5日生まれ
岩手県一関市出身北海道育ち
盲目で三味線を弾く瞽女(ごぜ)と呼ばれていたお母さんと
浪曲歌手だったお父さんと
『流し』(飲み屋を回って客の歌の伴奏をしたりリクエストに応じて歌ったりすること)
で生計を立てる旅回りの生活を送っていた藤圭子は
子供ながらに会った大人の顔と名前を忘れない抜群の記憶力で中学の成績は何と
オール5!
しかしながら貧しい家計を支える為に高校進学を断念
17才の時、『雪まつり歌謡大会』のステージで歌っていた所をスカウトされ上京
上京するまで白いご飯を食べた事が無かったという
そんな彼女の才能をいち早く見抜いたのが
作詞家の石坂まさを
彼は一度だけ藤圭子の母親である澄子の歌声を聴いた事がある
カラオケ・ボックスの席だったが、石坂は澄子の歌に鳥肌を立て
『音楽の神が歌っているのではないかと錯覚を覚え
『天の声』が宿っていた』
その『天の声』は澄子から娘の圭子に受け継がれ
石坂は彼女のデビューに全力を注ぐのだった
上京した藤圭子は以前、石坂が歌を作った事で親しくなった
初代・林家三平宅に1年ほど預けられる
その時の有名なエピソードが、三平邸の建て替え工事の時
コップ酒を飲む大工さん達に藤圭子が歌を披露した事があった。
まだデビューもしていない無名の少女の歌声はいつの間にか彼等を魅了し
やがてコップ酒に運ぶ手を止めさせたという
しかし途中から激しい雨が降り出し、女将さん(海老名香代子)が
家の中へ入るようにと声を掛けたが、誰も中に入ろうとする者はおらず
藤圭子はどしゃ降りの中で3時間も歌い続けた。
大工さん達はその根性に度胆を抜かれ
長女の海老名みどりは自分と年齢もそう変わらない藤圭子の
鬼気迫る姿に驚き
泣きだしたという
『歌いすぎて玄関で倒れて血を吐いていたこともありました。』
『絶対に売れると思った』
そして1969年9月25日
『新宿の女』で待望のデビュー!
キャッチ・コピーは
『演歌の星を背負った宿命の少女』
黒のベルベットスーツに白いギターを抱え、彗星のように現れた藤圭子は
25時間ぶっ通しで『流し』をしながら歩くという異例のキャンペーンを行い
その甲斐あってかデビュー曲『新宿の女』はオリコン9位、売上37、4万枚と
新人にしては予想外のヒットを記録!
続くセカンドシングル
『女のブルース』(74、8万枚)は
初のオリコン・チャート1位を獲得!
8週連続の1位という大ヒットのオマケ付きである!
その2ヶ月後にリリースしたのが
♪15〜16〜17と〜私の人生暗かった・・・・♪
という有名なサビでお馴染みの
『圭子の夢は夜ひらく』(76、5万枚)
この曲は藤圭子にとって最大のヒット曲であり
驚異の10週連続1位を獲得!
歌詞の途中で出て来る
♪昨日マー坊、今日トミー、明日はジョージかケン坊か♪
の部分は、当時藤圭子が付き合っていた男の名前を全部入れたんだそうだ
およそ18歳とは思えないドスの効いたハスキーボイスで観衆をねじ伏せ
決して媚びを売らない姿勢とは裏腹にお人形さんのようなルックスで
一世を風靡!
彼女が本領を発揮したのはデビュー後半年でリリースされた
ファーストアルバム『新宿の女』(32、5万枚)
全12曲中、9曲がカバー曲だったにもかかわらず
驚異の20週連続1位!
このアルバムを聴いた五木寛之は毎日新聞の日曜版コラムに感想を寄せている
以下はその抜粋
『藤圭子という新しい歌い手の最初のLPレコードを買ってきて夜中に聴いた。
彼女はこのレコード1枚残しただけで、たとえ今後どんなふうに生きて行こうと
もうそれで自分の人生を十分に生きたのだという気がする。
歌い手には一生に何度かごく一時期だけ
歌の背後から血のしたたり落ちるような迫力が感じられることがあるものだ。
彼女のこのLPは、おそらくこの歌い手の生涯で最高の短いきらめきではないか
日本の流行歌などとバカにしている向きはこのLPを試しに買って
深夜、灯りを消して聴いてみることだ
おそらく、ゾッとして暗い気分になって、どうしてももう一度この歌を
聴かずにはいられない気持ちになってしまうだろう
ここにあるのは〈艶歌〉でも〈援歌〉でもない
これは正真正銘の
〈怨歌〉である。
彼女の持ち歌は少ないが、選曲も編曲も鮮やかにこの歌い手の〈怨歌〉の核を
見抜いて作られている見事なレコードだといっていい。
だが、しかし
この歌い手がこういった歌を歌えるのはたった今
この数か月ではないかという不吉な予感はあった。
彼女は酷使され、商品として成功し、やがてこのレコードの中にある
この独特の暗く鋭い輝きを失うのではあるまいか』
延々と1位を独走していた『新宿の女』を引きずり落としたのが藤圭子の
セカンド・アルバム『女のブルース』(25、1万枚)で
こちらも16週連続1位の大ヒット!
さらに『女のブルース』に代わって1位になったのが
内山田洋とクールファイブとの混合作
『演歌の競演 清と圭子』
これも5週連続の1位!
つまり、アルバムは違えどトータル
41週(10ヶ月)もの間、藤圭子がずっと1位!
しかもそのうちの18週はアルバムとシングルの両方で1位という
マー君の24勝0敗に匹敵する
不滅の大記録を達成しているのだ!
一方でテレビ出演、雑誌やグラビア撮影、地方公演やキャバレー回りの営業
さらに1時間で5曲をレコーディングしなければならないという
ギリギリの過密スケジュールで
『藤圭子は寝たまま歩いていた』
と言われたほどであった。
この1970年だけでも4本も撮られた映画の撮影は明け方まで続き
ある時、生理の出血がひどくて病院に緊急搬送されたが
『紅白歌のベストテン』の本番には何事も無かったように歌ったという
恐るべきプロ根性!
楽屋で騒いで先輩に怒られた時は
他のタレントさんが化粧を崩しながら泣いているのに対し
藤圭子は化粧を崩さぬよう首を直角に折り曲げ
涙を垂直にたらすようにして泣いていた
というしたたかな面もある女性だった。
1971年、内山田洋とクールファイブのメイン・ボーカル前川清と結婚!
『元祖ママゴト婚』と呼ばれ、わずか1年で離婚!
離婚の原因を聞かれた前川は
『結婚したから』
と、例の調子で答えた後
『とにかくセックスがなかったのですよ。ホント。初夜だけだった。
一回だけですよ。
初夜にしても血の通ったセックスではなかった。
圭子はクールな女でしてね。あまり好きじゃないみたい。
よく拒絶された。
僕が思い描いていた夫婦とは違いましたね』
と、原因が性の不一致だったと赤裸々にコメント!
決定打となったのは当時2人が飼っていた
錦鯉!
前川が帰ってきても藤圭子は錦鯉に話しかけてばかりいるので
さすがの前川も彼女をあきらめたんだそうだ・・・・
これが本当の
『鯉仇!』
離婚後、藤圭子の人気は急落し、1974年にはポリープの手術を受けた事で
声質が変わってしまった事に悩み
『藤圭子っていう歌手の余韻で歌って生きていくのは嫌!』
と、1979年に『引退』を表明
『歌うことに疲れました。二度と芸能界には戻りません』
1982年には音楽プロデューサーの宇多田照寛と再婚!
翌年、宇多田ヒカルが生まれている。
『おかみさん、この子天才よ!
私が何も教えないのにジャズとか歌い出して。
それに声もいいの!
マライヤ・キャリーよりも凄いんだから!』
幼い娘を連れて海老名家を訪れた藤圭子はそう言うと
娘が歌を吹き込んだテープを聴かせたという。
澄子の『天の声』は圭子からヒカルへと間違いなく受け継がれていたのである
『予測のつかない人で、急に学校から帰ったら
「光、明日からニューヨークに引っ越すわよ!」
みたいな。
「え!?え!?・・・あの、うん、わかった」
「荷物まとめなさい」
で、しくしく泣きながら荷物まとめて次の日ニューヨーク行くとか。
また2、3年経って
「明日東京帰るわよ」
「お友達にお別れ言いたいよぉ」
「後から手紙書きなさい」
とか。
そうゆう感じだったです。
最近家の中が険悪って思ってたら
「もう二度と会えないよ、お父さんと」
って言われて
「えっ?」
ってなって。
「離婚しちゃった」
泣きながらお父さんとお別れとかして
学校で作った粘土のパイプとかあげて
「これ持ってって」
って言って。
あーもう会えないんだ・・・
と思ったのに
1ヶ月後位に気が付いたらお父さんが家に住んでるんですよ。
「あれぇっ」
って思うと
「私たち、また結婚したの」
って言われて
「あらー」
みたいな事が多かったですね
だってこの人たち、5、6回結婚と離婚繰り返しているんですよ
わけわかんないです。
学校が終わったらスタジオに行って
どんちゃか、どんちゃか音出してる中で
スピーカーの下のソファに寝転んで宿題やったりご飯食べたり
スタジオ代稼ぐ為に車売ったりする親見てて
そんな生活も大変だなと思いましたし
お金大丈夫かなと思ったりして
私、絶対こんなミュージシャンとかなりたくないと思っていたんです』
後に娘が大ブレイクし、数十億もの大金が転がりこんで来ると
『5年で5億使った!』
と、生活が激変!
1泊数十万円する高級ホテルのスイートを都内で複数利用し
飛行機はファースト・クラスで世界各国へ旅行
高級ホテルで豪遊し
カジノやギャンブルで一晩に数千万使うなどザラ!
しかし後に 『パニック障害』である事を告白
自分の言動や行動をコントロールする事が出来ず
人間不信になり、家族さえも信用できなくなってしまった
そして2013年8月22日
新宿のマンションから飛び降り自殺
享年62歳であった。
『うちの母親の趣味で私は危うく“いちご”とか“メロン”とか“すいか”と
命名されるところだったらしい』
以前、宇多田ヒカルがツイートした名前の由来が話題になったが
それは違う
宇多田ヒカルが生まれた時、藤圭子は母親と同じ
網膜色素変性症(視野や視覚に影響が出る)という病気の影響が出てきており
失明の恐怖と闘っていた
この病気は遺伝性が高く
『この子だけは光を失わずに生きてほしい』
という願いを込めて
『光』
と命名したんだそうだ
いいお母さんではナイカ!
今も破られていない不滅の記録
☆歴代アルバム売上最高枚数/宇多田ヒカル『ファースト・ラブ』765万枚
☆初動売上最高枚数/宇多田ヒカル『ディスタンス』300万枚
☆首位獲得最高連続週アルバム/藤圭子『新宿の女』20週連続
そして今後一番破られそうにない記録が
☆初の親子で年間アルバム首位を獲得した歌手
(親)藤圭子/『新宿の女』1970年
(子)宇多田ヒカル/『ファースト・ラブ』1999年
『ディスタンス』2001年
『ディープ・リバー』2002年
『シングルコレクションVOL1』2004年
次回、宇多田ヒカル最終回と同時に
今年最後になりそうです
何とか年内に
UPっぷぅ〜 |

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姫対決は、相乗効果もあったようですね。
こんな対決があったとは、知りませんでした。
最後の記事も楽しみにしています。
2016/12/8(木) 午後 10:38 [ マカロニ ]
休みの数は変わらないのにやる事は一杯の12月・・・
自分の事以外に使う金と時間に嘆きつつ
今日は姪っ子のクリスマスプレゼントを買いに行く予定
あー早くのんびりしたい!と『姫い』をあげてる毎日でス。。。。。
2016/12/9(金) 午前 5:40 [ しろしです。 ]
クリプレ、いいおじさんなんですねぇ。
マカロニの職場では今日、棒茄子支給日ですが、さて いくらか??
働き悪いし・・・。
加えて、今夜は、忘年会。昨夜はイヤな上司と忘年会。
無駄な時間とお金が、もったいないです。
2016/12/9(金) 午前 9:45 [ マカロニ ]
棒茄子が出るだけ良いではないですか・・・
我が社にはそのような制度は無く、いつもと変わらぬ給料のみです!
この前お客さんが神楽坂の『イカセンター』で忘年会をするらしく
会費が1人8000円と嘆いてました
2次会、3次会と、一体いくら出費するのか心配しまくら千代子!
そもそもイカに8000円とはイカがなものか・・・・
マカロニさんクラスになると出費も相当なものでしょうね・・・・
2016/12/9(金) 午前 10:15 [ しろしです。 ]
藤圭子さんのデビュー時は小学生だったので、こんなに凄い人だったなんて知りませんでした。記憶にも、記録にも残る歌手なんですね!
今頃気づいたけど、イイ女だし(クールな女もエエナァ😋)
それにしても取材力、構成力ハンパナイス‼ラストも楽しみ!!!
2016/12/11(日) 午前 0:23 [ amedama3iro ]
amedama3iroさん、藤圭子さんの事は今回調べてみて始めて
知った事ばかりです。僕もクールな女性は好きですが
初夜の一回だけというのはちょっと・・・・(笑)
2016/12/12(月) 午前 6:43 [ しろしです。 ]
藤圭子さんと前川氏の結婚の時私は中学生だったのですが、週刊誌が、無口な2人では初夜の床の中で何話すんだろう?ってそればっかり言ってたのが印象的です。というか、そういうことばかり覚えています
2016/12/12(月) 午前 8:08
タイチオさんリアルタイムだったんですね・・・。
実際は錦鯉に話してたようですけど(笑)
2016/12/14(水) 午前 7:34 [ しろしです。 ]
たった今TVの中で前川清氏が言っていました。「NYから1度だけ藤圭子から電話がかかってきたことがある。この子(=ひかる)、天才よと言っていた」そうです。う〜む、そうなんですね。また初めてひかるの歌を聞いたとき、母親と声がそっくりでびっくりしたって言っていました。尚前川氏は中々ひょうきんなおっちゃんですね。。。
2017/3/11(土) 午前 8:19
タイチオさん、去年の記事を覚えて頂いて感謝感激ヒデキ還暦!
今でもテレビでその話題が出るなんてある意味凄いです!
『宇多田ヌケル』って店があるのも凄いが・・・・・
2017/3/12(日) 午前 7:29 [ しろしです。 ]
お久しぶり…実はこの時の記事の触発され、沢木耕太郎「流星ひとつ」(新潮文庫)という藤圭子のインタビュー本を読みました。非常に面白く、また週刊誌の記事がいかにいい加減か分かるものでした。
2018/6/12(火) 午後 6:13