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1978年6月25日発売
8週連続1位
売上 110、2万枚
作詞/阿久悠 作曲/都倉俊一
ミーちゃん、ケイちゃん
阿久先生、都倉先生、土居先生、野口先生、飯田ディレクター
この七人の侍が作った昭和史に残る最強ユニット
ピンク・レディー!
彗星の如く現れ、最初の仕事が雪山で水着を着てスキー!
ミニスカートで股をパカパカ踊るダンスに大人達は眉をひそめたが
面白い事に素直に反応する子供達が真っ先に飛びつき
レコードを出せば数ヶ月1位を爆走する大ヒット!
歌番組からCMまでテレビを付けたらピンク・レディーを見ない日はなく
ハッとする歌詞と、テンポの良いメロディー、独創的な衣装と奇抜なダンスで
老若男女はもとより、歌謡曲を聞かない人にも知られていた
恐るべき知名度で一世を風靡!
1976年のデビューから1981年の解散までの4年7ヶ月のうち
ピークだったのが1977年と78年の2年間で
『S.O.S』から『カメレオン・アーミー』迄9曲連続1位
『渚のシンドバッド』から『モンスター』迄5曲連続ミリオン突破!
今はほとんどの記録が塗り替えられてしまっているが
未だに破られていないのが
『年間首位獲得週数』
1977年には『S.O.S』、『カルメン’77』、『渚のシンドバット』、『ウォンテッド』、『UFO』と
1年間50週のうち28週もの間、ピンク・レディーが1位を占め
さらに翌年の1978年には
『UFO』、『サウスポー』、『モンスター』、『透明人間』、『カメレオン・アーミー』と
年間52週中31週独占という快挙を達成!
これはB´zや浜崎あゆみ、ミスチル、AKBを持ってしても
年間10週以上も1位を達成するのは困難と言われており
オリコン史上未だに破られていないピンク・レディーの
永久不滅の大記録!
『次は何をやってくれるんだろう』
そんな期待に4年以上も応えてきたピンク・レディー
『サウスポー』の次にリリースされたのが
都倉先生の声を音声加工した
『ワーッハハハハ』
という笑い声と
『キャー!!』
という叫びから始まる
『モンスター』!
♪モンスタ〜この私のかわいいひと〜♪
夜ヒットの本番直前にギリギリ間に合ったという
出来たてホヤホヤの衣装を装着したピンク・レディー!
歌ってる途中でよりによってミーちゃんの衣装がずり上がり
翌日のスポーツ新聞の売上げに大いに貢献した
『下乳ポロリ事件』が勃発!
実際は言うほどのものでは無かったが
輪郭はハッキリクッキリキドカラー!
狙ったワケではないだろうが、次にリリースされたのが
シースルーの衣装がエロかった
『透明人間』
1978年9月9日発売
4週連続1位
売上 88、6万枚
作詞/阿久悠 作曲/都倉俊一
『ザ・ベストテン』では
♪消えますよ〜♪
♪消えます!♪
♪消えます、消えます♪
♪消えます!♪
と、歌った後に本当にテレビから消えて
再び画面に現れるという離れ業を生放送中にやってのけ
視聴者の度肝を抜いた
個人的には
♪ショック〜!♪
♪ショーーーック!!♪
の部分と
バックシャンが一番の大好物でした!
そして数あるピンク・レディーの楽曲の中で
最もハードな振り付けと言われているのが
歌ってる途中で衣装の色が変わっていった
♪カメ〜レオ〜ン、アミー!♪
『カメレオン・アーミー』
1978年12月5日発売
6週連続1位
売上 70、8万枚
作詞/阿久悠 作曲/都倉俊一
初登場88位から1位という未だに破られていない
驚異のジャンプアップを記録!
これは発売日の12月5日がオリコンの集計日だった為
順位の決めてとなる初動売上が食いこんでしまったせいで
翌週には初動が無くても1位を獲ってしまうという
余裕を見せつけられた曲でもある!
その11日後にはピンク・レディー初の主演映画
『ピンク・レディーの活動大写真』が公開!
ストーリーは3話のオムニバス形式で
1話目ではミーちゃんとケイちゃんが同じ男を好きになるという
真面目なラブストーリー
スナックの名前が『シンドバット』で飲み物は『ピンク・レディー』だったり
『スナックに務めてる男なんて・・・きっと狼なんだから!』
と、言わせた後、テレビをつけると
♪男は狼だから〜気をつけなさい♪
と歌ってるピンク・レディーの映像が流れるというドリフな所もあるが
真剣に演技するミーちゃんとケイちゃんの表情は見ものです!
2話目はサーカスに連れてこられたモンスターを助け
落ち込むモンスターを慰める為に『モンスター』を歌い
最後はUFOも出てきて子供も喜べるSFファンタジー
3話目はタイトルでほぼ内容の想像がつく西部劇『WANTED』!
最大の見どころと言えば最後に出てきた
ケイちゃんの入浴シーンでしょうか・・・
『カメレオン・アーミー』が1位を独走し
映画も封切られ
大晦日には『U.F.O』でレコード大賞を受賞!
まだまだピンク・レディー旋風が続くものと思っていたが
年が明けると、それまでの人気が
ウソのような急落が始まるのだ!
以下は1979年中にリリースされたピンク・レディーのシングル
『ジパング』(4位 26、9万枚)
『ピンクタイフーン』(6位 29、8万枚)
『波乗りパイレーツ』(4位 24、2万枚)
『キッス・イン・ザ・ダーク』(19位 11、1万枚)
『マンデー・モナリザ・クラブ』(14位 11、4万枚)
『ドゥ・ユア・ベスト』(36位 5、1万枚)
見ての通り、1位を獲れなくなったどころか
売上も30万枚以下というガタ落ちぶり!
その発端となったのが
『紅白』の出場辞退!
もちろん本人達の意向ではなく、あくまで事務所の方針に従ったまでで
大晦日は『紅白』の裏番組だった
『ピンク・レディー汗と涙の150分!』
という日テレのチャリティー番組に出演!
葛飾区の盲学校の生徒達のためにピンク・レディーがコンサートを
開く模様を生中継するというものだった
『10月にこの盲学校を訪れた時、みんなもの凄く喜んでくれて
『歌って!』
って言われたんだけど、その時は何も準備してなかったから
『今度絶対みんなの前で歌うからね!』
って約束したんです。』
『チャリティっていうと何かカッコ良いみたいに思えるでしょう?
だから自分達も何か犠牲(紅白)にしなくちゃ』
『紅白』を辞退して『チャリティー』に出る事は決して悪い事ではない
しかしこの年の8月に『24時間テレビ』の第1回目の放送が行われており
ピンク・レディーはそこでパーソナリティーを務め
テレビで歌うのは最初で最後という『2001年愛の詩』を熱唱したばかり
24時間で11億円もの募金を集め、感動のフィナーレを迎えた日テレが
大晦日になぜまたチャリティーだったのか?
視聴率80%を誇る国民的番組を蹴った罪は重くのしかかり
『ピンク・レディー汗と涙の150分!』の視聴率は8、2%と惨敗!
レコード大賞受賞者が『紅白』に出場しなかったのは後にも先にも
ピンク・レディーだけ!
マスコミからバッシングを受け、急速に人気も陰り始め
1979年になると
連続1位と連続ミリオンの記録が途切れただけでなく
それまで持っていた多くのレギュラーが終了
そんな中、司会に抜擢されたのが
『ナウ、ゲッタ、チャンス!』
の決めセリフと
伊東四朗が問題が書かれたカードを取り出す時に
『ニン!』
と言うギャグを飛ばしていたクイズ番組
『ザ・チャンス!』
伊東四朗が司会をやっていたイメージが強いが
初代の司会はピンク・レディー!
ところが1年も経たないうちに
『お休みしま〜す』
と言って番組を降板!
アメリカに渡米し
『キッス・イン・ザ・ダーク』で全米デビュー!
坂本九の『上を向いて歩こう』(全米1位)に次ぐ
ビルボード37位を記録!
これはYMO、オノ・ヨーコ、松田聖子、宇多田ヒカル、そして去年大騒ぎになった
ピコ太郎の『PPAP』(77位)でさえ超える事が出来なかった
メチャクチャ凄い記録なんです!
さらにアメリカ3大ネットワークのひとつであるNBCでやっていた
『ピンク・レディー&ジェフ』に出演!
短期間で準レギュラーの番組を獲得する等、無名だったわりに活躍していましたが
内容がエロイムエッサイムだった為
『ピンク・レディーのイメージを損ねる』
と、日本では全く報道されず!
どんどんピンク・レディーは忘れら去られて行った
『もうこれ以上やらなくていいんじゃないか』
そう思うケイちゃんと
本格的にエンターテイメントを目指し、アメリカで勝負したかったミーちゃん
『理想の解散は『結婚します』と言って辞めたかったです
2人で同じ時期に結婚式、同じ所で挙げたかった』
その理想に一番近かったのがケイちゃんで
当時は野口五郎と熱愛中!
『私にアメリカで仕事させるのは恋人と私を引き裂くためなんだ』
『早く日本へ帰りたい』
最終的にケイちゃんの思いが強く、アメリカでの活動を断念し
1980年9月1日、ピンク・レディーは解散を発表!
『期待が凄く大きかった。レコードを出せば必ず1位にならなきゃ
いけないみたいな・・・・
全てが異常なのに私たちにとってはそれが
普通に見られてしまうことが重かった』
そしてみぞれ交じりの冷たい雨が降る悪天候の中
空席が目立つ後楽園球場で
1981年3月31日、ピンク・レディーの解散コンサートが行われた
『泣いたら平手打ち』
ある日、突然声が出なくなって泣いてしまったケイちゃんに
『約束だからね』
と、平手打ちをしたミーちゃん
叩かれて本当に痛かったケイちゃんは
『二度と泣くまいと誓った』
静岡時代!
同じミニスカートで歌って踊っていたキャンディーズには絶対なかったのに
ピンク・レディーの時はテレビカメラが平気でスカートの下から映していた
デビュー当時!
国民的な人気だったにもかかわらず最高月収が350万円と
ピーク時には月収4000万をもらっていたピン芸人のヒロシより少なかった
全盛期!
21時以降に帰ると規則でご飯は作ってもらえず
深夜に食パンを2人でかじって空腹を満たし
ボイラーの音がうるさいからと、お風呂を沸かす事も出来ず
真冬に冷水で髪の毛を洗っていたミーちゃんとケイちゃん
睡眠不足のせいで記憶が定着せず
休みも無い不規則な生活がたたって
ミーちゃんは常に微熱が続き、真夏でも体が寒く
ケイちゃんは盲腸で退院した後、まだ傷口がふさがってない箇所を
ガーゼで巻いて武道館コンサートをやりきった
黄金期!
『あの解散は100人以上のスタッフから職を奪ったんです。
家族を入れたら300人以上
自分のしたことの愚かさや過ちに気づいて凄く辛かった』
『私たちピンク・レディーは今日、今ここで無くなりますけれども
ここにたくさんの風船があります
この中に花の種が入っています
もしどこかでこの風船をみつけたら
皆さん、お庭の片隅にでも埋めて下さい』
『ケイ、あなたと出会えた事は私の大きな宝物です
あなたの存在に心から感謝します』
クライマックスになって感極まった2人が抱き合って泣きだすと
ディレクターが
『早く、早くさよならを!』
と、放映時間内に収める為に進行を急がせる場面に批判が集まった
『さよならピンク・レディー、別れの涙もせかされて・・・・最後までテレビしばり』
(1981年4月1日付けの毎日新聞)
2010年、『解散やめ!』会見を開いてピンク・レディーが完全復活!
『まさか50歳を過ぎてこんなミニスカートで歌うとは思いませんでした』
このバイタリティ!
現役の頃より凄いかもしれません!
僕もまさか50歳を過ぎてこんな姿を発見するとは思ってもみませんんでした
ミーちゃんは映画『コールガール』で脱いだのは知ってましたが
ケイちゃんは知らなかった・・・・・・
今年はこれでおしマイケル!
来年は元旦から仕事。。。。
みなさん良いお年を!!! |

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野口五郎との熱愛は知りませんでした。
というより、覚えていないのかもしれません。
それと、2人とも良いπをお持ちですね。
2017/12/19(火) 午後 10:38 [ マカロニ ]
そうなんですよマカロニさん!水着やグラビア写真を見た限りでは
私の肩甲骨の方があると思っていたんですが、ところがどっこい!
意外や意外!
ガチャピンがムックりしてしまいました(笑)
2017/12/20(水) 午前 6:06 [ しろしです。 ]