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1981年4月21日発売
最高6位
売上 39、7万枚
作詞作曲/荒井由実
☆石川ひとみ(いしかわ ひとみ) 1959年9月20日生まれ
愛知県あま市出身 154cm 40kg B型
子供の頃は天地真理が大好きで、レコードをかけてよく一緒に歌っていたという。
おとなしそうに見えて実はおてんばで
男の子と喧嘩は日常茶飯事で、小学校の頃はソフトボール部に入りエースで4番!
中学時代はテニス部で活躍。運動神経は抜群なのだ!
高校2年の時、『君こそスターだ!』で
7週連続勝ち抜いてチャンピオンとなり
1978年5月25日『右向け右』でデビュー
同期のアイドルは石野真子、金井夕子、高見知佳。
当時はピンク・レディー旋風が巻き起こっていた為、ヒット曲に恵まれず
『まちぶせ』までに10枚ものシングルを発売しているが
『くるみ割り人形』の42位が最高で3枚はTOP100にも入らなかった。
『ナベプロの国立寮にはいろんなアイドルがいたけど
後輩の事まで気にかけるひとみちゃんは学級委員
みたいな存在でしたね・・・』
泣かず飛ばすの石川をみかねた当時のディレクター長岡和弘(元甲斐バンドのベース)は
同じ事務所に所属していた三木聖子の『まちぶせ』のカバーを発案。
1976年に一度発売されている三木版『まちぶせ』は彼女のデビュー曲であった。
1976年6月25日発売
最高47位
売上 6、9万枚
歌詞は三木の実体験を元にユーミンが作詞したが、全くヒットせず
その後2枚のシングルとアルバムを発表しTV局のディレクターと結婚。
わずか8ヶ月で芸能界を引退し、今は『聖子』という飲み屋をやっている。
そんな三木の『まちぶせ』を長岡が提案すると
『オーディションでも歌った大好きな曲!
これ・・・シングルになりませんかねぇ・・・・』
と、いつになく積極的だった石川に自信を深めた長岡だったが
現役のアイドルがカバーシングルを出すという慣例が無かったのと
過去に小ヒットで終わった楽曲には社内からも反対が出た。
『渡辺晋社長からは何で昔の曲をやるんだ!
自信が無いのか!って言われました。』
それでも長岡は度重なる説得を重ね、ようやく発売にこぎつける。
『この歌でダメならあきらめがつく・・・』
引退も考えた覚悟が実ったのか、シングルはじわじわと売れ始め
『ザ・ベストテン』の『今週のスポットライト』に出たことがキッカケでブレイク!
オリコン6位という石川ひとみ最大のヒットとなった。
そして念願だった紅白にも出場!
これをキッカケにブレイクするかと思いきや
次もカバー!
しかも・・・・また三木聖子の曲であった。
『カバーは1曲だけにしたかったのですが
渡辺社長から次もカバーだ!
の声には逆らえませんでした・・・・』
2曲連続で同じアーティストのカバーは結局ヒットには至らず
石川はその後18枚ものシングルを出しているが
その全てを合計しても
『まちぶせ』1枚分にも及ばなかった。
そんなある日、友達から聞いたのが 『石川ひとみってB型肝炎で死んだんだって!』
もちろんデマである。
でもB型肝炎にかかったのは本当だった。
入院中は24時間寝たっきりで、歩く事はもちろん、頭も使ってはいけないという事で
テレビを見たり、音楽を聴く事もできず、ただ1日中天井を見て過ごしたんだとか。
退院後も1年の自宅療養。そして所属事務所からまさかの
解雇通告!
テレビはもちろん、芸能界のあらゆる表舞台から消えてしまった石川ひとみ。
それはある意味『死んだ』と同じであった。
その後、山田直毅氏と結婚。
歌を唄い続ける傍ら、自らの闘病生活の経験からB型肝炎についての
正しい知識を広める為の講師として
全国各地で講演会を行っている。
歌よりそっちの方が儲かったりして・・・
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