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1983年1月25日発売
最高14位
売上 8、9万枚
作詞/来生えつこ 作曲/加藤和彦
ホタテのバター焼きを頼んだ時・・・・
あのこんがりとしたバターの匂いと、貝柱から立ち上がる湯気に誰もが
『美味しそう〜!』
と、我先に箸を伸ばすであろう。
僕はそのホタテを見た瞬間、一瞬手が止まってしまい箸が出遅れる。
『これで隠してたのか???』
☆武田久美子(たけだ くみこ) 1968年8月12日生まれ
東京都北区田端出身 158Cm A型 女優−歌手−グラビアヌードという短命な路線をたどりながらも
2011年には『43歳でもなぜ武田久美子でいられるのか』という本を出し
アラフォーとは思えない美魔女ぶりをアピールして
今、尚生き続けている武田久美子。
中学生の時に第2回東大のアイドルコンテストで優勝。
『東大生が選んだアイドル』として一躍有名になった。
永ちゃんがモデルと言われた漫画『ハイティーン・ブギ』の映画化が決まり
主演の近藤真彦の恋人役に選ばれたのが武田久美子だった。
ところがマッチとのキス・シーンがあった為に
映画の製作会社、東宝、武田の事務所には
連日抗議の電話が殺到!
血判状やカミソリ入りの手紙が送られ
自宅には『死ね!』とイタズラ電話が毎日かかり
撮影中も『バカ!』等の罵声が飛びかい
地下鉄に貼られた武田のポスターは
目玉をくりぬかれてズタズタに破り捨てられた。
マッチファンのしつような攻撃に武田はとうとう
撮影中の現場から逃げ出した事があった。
『私は中華街の方向へわけもわからず走り出しました。
事務所の塩見さんという女性が必死に後を追ってきます。
ビルのトイレに逃げ込んで、しばらく一人で泣いていると
肩を叩かれました。
塩見さんにつかまった!と思って振り返ると
そこには知らない女の子が二人立っていて
『久美子ちゃん、頑張って!』
と言って私にお守りをくれました。
そのお守りには『根性』と書いてあって
私はまた泣いてしまいました。
私に勇気をくれたお守りは今でも大事に持っています・・・・』 母親は事務所に電話をした。
『賠償金を払ってもいいから役を降ろさせて下さい』
するとマネージャーはこう言った。
『桃子をやりたかった何万という
女の子の代表だって事を
忘れないで!』
ポニーテールに大きな瞳・・・・
まさか数年後、πに貝殻をつけるなんぞ夢にも思わなかった。
事務所が中森明菜と同じだったせいもあって、武田もアイドルとして歌手デビューしているが
その歌声は往年の浅田美代子を彷彿させるかのような見事な外れっぷりで
歌手・武田久美子の路線は早々に無くなった。
女優としてドラマや映画に出演もパッとせず、やがて人気は低迷。
最後はセクシー路線に変更!
グラビアの女王として世の男性諸君の前に再び君臨したのである。
『和食レストランでたまたま食べたホタテの貝殻を見て
『これで行こう!』
と、急きょ決まったんです。しかも撮影の前日に・・・・・』
あの伝説の貝殻ブラは単なる思い付きだったのか・・・
何も着けてないスッポンポンよりエロい!
『これにπが収まってたのか・・・・・』
食べ終わった後のホタテの貝殻をしげしげと見ながら武田久美子を思い出す。
そして貝殻を胸に当てて
『武田久美子!』
と、やらずにはいられないのがリアルタイム世代の悲しいサガだ。
現在はアメリカ人と国際結婚をして、プール付きの豪邸に住んでいる。
お金には一切困らない超セレブな生活をしてても
あのお守りは今でも持ってるんだろうか・・・・・
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明菜と同じ事務所とは知りませんでした。
歳とともに変わりますね。
最後の画像は、ちょうど良いころかなぁ。
ホタテ、懐かしいです。
2013/7/6(土) 午後 6:17 [ マカロニ ]
1983年は3枚のシングルをリリースしてますがズッコケで
翌年は2枚のみで終わってます。
その頃の明菜嬢と言えば、『サザン・ウインド』や『飾りじゃないのよ涙は』で
大ヒットを飛ばしていた頃です。武田久美子へかけるハズの予算が
高中正義や井上陽水に回ったんじゃないかと勝手に思ってます。
2013/7/6(土) 午後 9:40 [ しろしです。 ]
マカロニさんスイマセン。明菜と同じ事務所じゃなくて
同じレコード会社(ワーナー・パイオニア)でした。
2013/7/9(火) 午前 4:54 [ しろしです。 ]