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1979年3月5日発売
最高 44位
売上 2、9万枚
作詞/小林和子 作曲/和泉常寛 ☆大場久美子(おおば くみこ) 1960年1月6日生まれ
埼玉県川口市出身 A型
10歳の時、友達が勝手に応募した東京宝映テレビのオーディションに合格。
『劇団フジ』に入り児童タレントとして所属。
15歳でテレ朝のオーディション番組『あなたをスターに!』で特別賞を受賞。
後に本田美奈子、松本伊代等が所属する『ボンド企画』にスカウトされて芸能界へ。
1977年6月5日、『あこがれ』で歌手デビュー。
キャッチコピーは『一億人の妹』
1978年ドラマ『コメットさん』が最高視聴率25、7%を記録。
全国的にその名が知れ渡りブロマイドが飛ぶように売れ
一躍トップアイドルになった。
しかし歌の方はパッとせず。
デビュー曲『あこがれ』とセカンド・シングル『追いかけないで』は
オリコン200位にも入らず!
高視聴率を記録した『コメットさん』の主題歌だった『キラキラ星あげる』ですら
最高41位の4、7万枚だった。
ちなみに大場久美子の最も売れたシングルは
『ディスコ・ドリーム』という全く聞き覚えの無い曲で
最高41位、売上 4、8万枚。
僕が唯一知ってる曲が『スプリング・サンバ』。しかも
♪すぷり〜んさんば〜♪
というサビしか記憶に残っていない。
調べてみると、大場久美子はオリコンの20位どころか
30位にも入った事が一度も無いのだ。
なぜか!!
理由は歌番組でことごとく外しまくった音程とリズム感に他ならない。
本人もわかったのか、1979年の10月に突然『さよならコンサート』を武道館で行うと
『私は明日から女優の世界にお嫁に行きます!』
と、宣言。歌手をあっさり辞めてしまった。
記者会見で理由を聞かれた大場は
『私は音痴だから』
と、素直に言ってのけた。
しかし歌番組が全盛期だった時代に歌手を辞めれば当然テレビの露出が減り
人気は急落、嫁ぎ先の女優業も『コメットさん』を超える作品にも巡り会えず
結局また歌手活動を再開。
ここからが不運の始まりである。
復帰シングルはなぜかピエロの格好をしたジャケットの
『悲しみ貯金箱』をリリースするも、200位にも入らず。
歌もダメ、女優もダメと来れば、あとはもうお決まりのパターンで
1984年、ヌード写真集を発表。
リアルタイムで見た記憶はあるが
『ふ〜ん・・』
と、いう程度であった。
このギャラで持ち直したのもつかの間!
実家が火事のもらい火で全焼。
京都でレストランの経営に乗り出すも経営不振のため2年で閉店。
実質的な経営者が金を持って夜逃げしてしまった為
名義上の社長である大場久美子に
1億400万円の負債がのしかかり
払えるワケなく自己破産。
さらに所属事務所『ボンド』が倒産。
個人事務所『オフィス大場』を設立し、母親と二人三脚でやってきたが
1999年に母が他界。
ショックで大場久美子自身もパニック障害になってしまったのだ。
金が無くなった・・・いや、病気が良くなった大場は6歳下のダンサーと結婚。
しかしすれ違いの多い生活で5年で離婚。
何もかも失った大場久美子だったが
ブログに書き込んだファンの男性にメールを返信したのをきっかけに
2010年暮れから交際がスタート!
男性は、大場のグッズを数百点も集めていて
所属事務所に無い資料でも男性が全て持っているほどのマニアぶりで
交際わずか5ヶ月でスピード結婚!
お相手の男性は
『ちびまる子ちゃんの男バージョンみたいな人』
らしい。
すかっり丸くなった大場久美子。まさか
熱狂的なファンと結婚するとは・・・
音程は外しても人生は外すなよ!
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ステージで花束を受けとる写真、ナイスですね。
最後の一文は もう 上手過ぎます!
2013/11/10(日) 午前 0:59 [ マカロニ ]
これでうまくいかなかったら
大バカ久美子と改名すべきです。(笑)
2013/11/10(日) 午前 7:34 [ しろしです。 ]
そう言えば、
学生時代に「NTV紅白歌のベストテン」を観に行ったことがあります。
懐かしいです。
2013/11/10(日) 午前 9:16 [ マカロニ ]